2018年4月20日、ついにその時はやってきた。イングランドの名門アーセナルは、1996年10月1日から長期にわたってチームを指揮してきたアーセン・ベンゲル監督が今シーズン終了をもって退任することを正式に発表した。アーセン・ベンゲル監…

 2018年4月20日、ついにその時はやってきた。イングランドの名門アーセナルは、1996年10月1日から長期にわたってチームを指揮してきたアーセン・ベンゲル監督が今シーズン終了をもって退任することを正式に発表した。



アーセン・ベンゲル監督とアーセナルの蜜月関係がついに終わった

 近年は批判の矢面に立たされていたフランスのアルザス地方ストラスブール出身の名将は、昨年5月にクラブとの契約を2年間延長したばかり。つまり、まだ契約が残されているなかで行なわれた今回の発表は、実質的には”解任”と言っていいだろう。

 この22年間、ベンゲルはプレミアリーグ優勝3回、FAカップ優勝7回を獲得した他、一昨シーズンまでは19シーズン連続でチャンピオンズリーグの舞台に導くなど、数えきれないほどの功績を残してきた。ただ、リーグ5位に終わった昨シーズンから思うような成績を収められず、今シーズンもチャンピオンズリーグ出場権獲得が絶望的であることを考えれば、今回フロントが下した決断は予想どおりだったと言える。

 来るべき時がきた。少なくとも「Wenger Out」のバナーを手にエミレーツ・スタジアムを訪れていた多くのファンは、今回の発表をポジティブに受け止めているに違いない。

 しかし、だからと言って彼が残した功績が色あせることはないはずだ。彼こそが、アーセナルというクラブの枠を超え、プレミアリーグの潮流を大きく変えた「イノベーター」であることを、イングランドを去ることが決まった今、再認識すべきではないだろうか。

 ベンゲルがアーセナルの監督に就任した1996年当時、島国のイングランドサッカー界はイタリアをはじめとする大陸の強豪国から大きく後れをとっていた。ほぼ内需に頼って発展するプレミア勢はチャンピオンズリーグなどヨーロッパのカップ戦で奮わず、戦力・戦術面において大陸の国々との差は開くばかりだった。

 それに追い打ちをかけたのが、ヨーロッパサッカー界の趨勢を大きく変えた「ボスマン裁定」だった。それにより、1996年から各クラブはEU内国籍の選手を制限なく保有できることになり、一流選手が資金力のあるイタリア、スペイン、ドイツの名門クラブに流入。プレミアリーグでは例外的にチェルシーだけが選手の国際化に着手したにすぎなかった。

 そんななか、時代に取り残されることを懸念した当時のアーセナル会長ピーター・ヒルウッドが英断を下す。彼は選手に投資するのではなく、大陸出身のマネージャー(監督)に全権を託すことで、クラブの国際化を進めようと考えたのである。そしてその旗印として白羽の矢を立てたのが、かつてフランスでモナコを常勝軍団に育て上げ、当時名古屋グランパスで指揮を執っていたベンゲルだった。

 当時のプレミアクラブの監督は、基本的に英国およびアイルランド出身の指導者で占められていた。1996−1997シーズンは、グレン・ホドルがイングランド代表監督に就任したことにより、チェルシーではオランダ人のルート・フリットがプレーイングマネージャー(選手兼監督)を務めることになったが、ベンゲルの到着を待っていたアーセナルもスコットランド人のスチュワート・ヒューストンが監督を務めていた(開幕直後に解任され、その後は北アイルランド人のパット・ライスが暫定監督を務めた)。

 今でこそ外国人監督主流の時代にあるプレミアリーグではあるが、その時代にフランス人監督を招聘すること自体が大きな賭け。イングランドで無名に近かったベンゲルに対して疑問の声が上がったのも当然で、クラブ史上初の英国外出身監督となったベンゲルのプレミアリーグでの船出は、まさに逆風にさらされていた。

 ところが、ベンゲルがチームに注入した「大陸の血」は、ほどなくして効果を示す。

 まず真っ先に取り組んだのが、食事面の改善をはじめとする選手の体調管理だった。当時のイングランドサッカー界にはまだアルコール文化が深く根づいていて、たとえばアーセナルではFWポール・マーソンやDFトニー・アダムスがその筆頭格。試合後の飲酒はもちろん、二日酔いで練習場に現れるのがまだ日常茶飯事というなか、ベンゲルは科学的根拠に基づいた体調管理の重要性を説き、ベテラン選手を中心に選手たちのパフォーマンスはみるみるうちに向上した。

 今では当たり前の話だが、当時のイングランドサッカー界では画期的なことだった。

 同時に、ボールを直線的に蹴り込む「キック&ラッシュ」が主流だったプレミアリーグにおいて、パスをつないでサイドから崩すといった大陸のモダン戦術を導入したことも大きかった。その大陸のスタイルを浸透させるために、当時ACミランでくすぶっていた19歳のMFパトリック・ヴィエラ、ストラスブールからベテランのDFレミ・ガルデを補強。いずれも、ベンゲルが監督に就任する前からフロントにリクエストしていた新戦力である。

 果たして初年度からリーグ3位という好成績を残すことに成功したベンゲルには、いつしか追い風が吹くようになった。そして1997−1998シーズン、フランス代表MFエマニュエル・プティとオランダ代表FWマルク・オーフェルマルスを新戦力として迎え入れたベンゲル体制2年目には、アレックス・ファーガソン監督率いる首位マンチェスター・ユナイテッドを終盤で追い抜き、プレミアリーグ優勝を達成したのである。

 もちろん、英国外出身監督がプレミアのタイトルを手にしたのは初めてのことだった。

 さらにもうひとつ、ベンゲルの功績として忘れてはいけないのが、若手を発掘するために独自のスカウト網を世界中に広げ、クラブの財政負担を軽減させるスカウティングシステムを構築したことである。

 もともとイングランドには、選手の補強についても監督が権限を持つという全権委任の伝統が存在していた。しかし、金の力がものを言うボスマン裁定時代を見据え、ワールドワイドな視点でその伝統を洗練化させたことは、ベンゲルの慧眼(けいがん)に他ならない。分業がトレンドになっている現在では時代遅れに感じるかもしれないが、当時はそれがクラブ経営におけるひとつのイノベーションだった。

 いずれにしても、その後アーセナルの成功を目の当たりにした各クラブが大陸に視線を向けたのは当然の流れと言える。ベンゲルが突破口となり、やがてプレミアにはジェラール・ウリエ(フランス/リバプール、アストンビラ)、ジャンルカ・ヴィアリ(イタリア/チェルシー、ワトフォード)、クラウディオ・ラニエリ(イタリア/チェルシー、レスター・シティ)、ジャン・ティガナ(フランス/フラム)といった外国人監督が次々と誕生。島国と大陸のギャップを埋めるどころか、プレミアリーグが名実ともにヨーロッパを牽引する時代が到来したのである。

 だからこそ、現在のプレミアリーグの潮流が22年前に端を発していたことを忘れるべきではない。時代の先駆者であり、イノベーターでもあるベンゲル最大の功績は、そこに集約されているのではないだろうか。

【短期連載・ベンゲルがいた名古屋グランパス】第1回から読む>>>