日本には卓球の福原愛やゴルフの宮里藍など、「アイちゃん」の愛称で親しまれている女性アスリートが多い。実はモータースポーツにも、トップカテゴリーを目指して奮闘している「アイちゃん」がいる。全日本F3選手権に参戦する28歳の女性ドライバー…

 日本には卓球の福原愛やゴルフの宮里藍など、「アイちゃん」の愛称で親しまれている女性アスリートが多い。実はモータースポーツにも、トップカテゴリーを目指して奮闘している「アイちゃん」がいる。全日本F3選手権に参戦する28歳の女性ドライバー、三浦愛だ。



F3マシンを駆る三浦愛はサーキットの人気者

 普段は可愛らしい笑顔で誰にでも気さくに接する性格なため、サーキットではいつも大人気。ファンサービスの時間では彼女のサインをもらおうと、毎回長蛇の列ができるほどだ。

 しかし、一度ヘルメットをかぶってマシンに乗り込むと、その表情は一変する。特にここ最近はドライビング面でも成長が著しく、昨年はプロレーシングドライバーの登竜門であるF3のカテゴリーで日本人女性として最高位タイとなる4位を獲得。国内モータースポーツ界において、日に日に注目度が増しているドライバーのひとりだ。

 三浦がモータースポーツに出会ったのは幼少のころ。もともと父親が趣味でレースをやっており、その影響で彼女の兄もレーシングカートを始めていた。そのため、毎週末は家族そろってカート場に出かける日々を過ごし、徐々に「自分も乗ってみたい」と思うようになったという。

「最初は乗るつもりはなかったんですけど、速い人の走りを見て興味を持つようになり、自分から『乗りたい!』って言ったのが始まりでした。それが12歳のころでしたね」

 彼女が国内モータースポーツ界で最初に注目されたのは2009年。鈴鹿サーキットで毎年夏に開催される『ソーラーカーレース鈴鹿』だった。車両に太陽電池パネルを搭載し、太陽光から充電したエネルギーで走る電気自動車の耐久レースで、三浦は当時在学中だった大阪産業大学のチームから参戦して見事優勝。さらに翌年も、同大会で連覇を成し遂げた。

 そこでの活躍が三浦に”新たなキッカケ”を与えることとなる。大阪産業大学でソーラーカーの担当をしていた先生から、国内有数のクラッチメーカー「EXEDY(エクセディ)」を紹介されたのだ。

 EXEDYは社員アスリートの支援に力を入れており、ちょうど女性社員のアスリートを支援するプログラム設立のタイミングとも重なった。三浦もサポートを受けることになり、大学を卒業するとEXEDYに入社。平日は社員として働き、週末はレースに参戦するという環境が整った。現在も、彼女は白をベースに青とピンクのラインが入ったEXEDYのコーポレートカラーのマシンで走っている。

「ソーラーカーの先生に出会っていなかったらEXEDYとの話もなかっただろうし、もしかするとレースができなくなっていたかもしれなかった。そう考えると、大学の先生との出会いは非常に大きかったです。そしてEXEDYでもいろんな人と話す機会があって、気軽に相談できたりしています。レースのサポートもそうですが、人に恵まれているなと感じていて……。今の環境に感謝しています」

 2014年、三浦は「プロドライバーへの登竜門」と言われている全日本F3選手権のF3-N(※)というカテゴリーにエントリーする。だが、F3マシンを操るにはそれ相応の体力と技量が必要で、周囲からは「女性ドライバーがF3で活躍するのは難しいのでは?」という声がほとんどだった。

※全日本F3選手権F3-N=日本フォーミュラスリー協会が独自に定めたカテゴリー。全日本選手権のタイトルとして行なわれるのではなく、日本フォーミュラスリー協会独自の賞典で争われる。旧型マシンや使用エンジンの統一など独自の規制をかけることで、低コストで参戦できるのが特徴。

「女性が今までF3で結果を出したことがなかったということと、そのときの自分自身の実力が伴っていなかった部分もあって、最初は会社からも(参戦することを)反対されました。

 でも、私にとってF3でレースをすることは大きな目標でした。年末には世界一を決めるマカオグランプリもあるので、『絶対に乗りたい』『マカオのレースに出たい』という気持ちが本当に強かったです。

 だからあきらめずに、何度も社長のところへ企画書を持って直談判にいきました。そうしたら、最後は社長も折れてくれて、F3に参戦できることになりました」

 そんななかで迎えたF3開幕戦の鈴鹿大会。三浦は第1戦でいきなりクラス3位に入ると、第2戦ではレース序盤からトップに浮上する。そして追いかけてくるライバルを振り切り、見事クラス優勝を飾った。F3-Nで女性ドライバーが優勝したのは、過去に例のない快挙。彼女の「結果を出したい」という強い想いと、ここまで積み上げてきたスキルが存分に発揮された瞬間だった。

「初年度でのEXEDYからの条件は、年間でひとつでも表彰台に乗ることでした。それがいきなり第1戦で達成できて、肩の荷が降りたところで第2戦を迎えられたのがよかったです。

 チェッカーフラッグを受けた瞬間は、コックピットのなかで叫んでいました。私にとってもレースキャリアのなかで初めての優勝だったので、忘れられない瞬間でした。

 あと、この優勝でメディアにもたくさん取り上げられたので、社内の(私への)見方もすごく変わって、レースがしやすくなりましたね(笑)」

 翌2015年はシーズン3勝を挙げ、F3-Nのクラスでランキング2位を獲得。そしてついに、三浦は2016年から全日本選手権のタイトルで争われるCクラス(※)に挑戦することになった。

※全日本F3選手権Cクラス=F1から数えて3番目に位置するフォーミュラカーのカテゴリー。日本国内を舞台にして開催している全日本選手権は30年以上の歴史を持つ。現在はヨーロッパやイギリスなどでも同じ規則の車両でF3のレースが開催されている。毎年11月後半に中国・マカオで行なわれる「マカオF3グランプリ」はF3の年間世界一が決まるレースとして有名。

 Cクラスはマシンがパワフルで、それまでのF3-N以上にドライバーへの体力的な負担は増える。また、参戦するドライバーも各メーカーが育成している若手有望株たちで、将来はF1などトップカテゴリーを目指す強者ぞろいだ。三浦の1年目は入賞圏内になかなか届かず、苦戦を強いられた。

「ずっと乗ってみたいと思っていて、自分で選んだカテゴリーだったのですが、いざやってみると大変でした。体力面もそうですし、クルマのセットアップやドライビングの能力、レース中の駆け引きも含めて何もかもが違うなと感じました。2016年は本当に苦しかったですね」

 それでも、あきらめずに目標を目指すのが三浦の身上だ。1年目で何が足りなかったのかを分析し、シーズンオフには課題を克服するトレーニングも敢行。1年目は体力面の心配もあり、マシンのパフォーマンスを犠牲にしてステアリングを扱いやすくするセッティングだったが、2年目の途中からはライバルと同じ仕様に変更した。その分、彼女の体力的な負担は倍増するが、歯を食いしばってマシンをコントロールしていった。

「Nクラスで結果は残せていたけど、実際は大したことをやっていなかったんだなと……。自分の甘さに気づきました。みんなそれだけ(自分を追い込んで)やっているから結果が残せていて、自分はその努力ができていなかった。クルマのセッティングに対しても、1年目と同じでは勝てないから、2017年はみんなと同じ仕様にしました」

 今まで以上に自分を追い込み、1戦1戦をシビアに戦っていくと、その成果はしっかりと成績に反映されていった。鈴鹿サーキットでの第4戦で5位入賞を果たすと、そこから毎戦のようにポイントを獲得。岡山国際サーキットでの第8戦では女性ドライバーとして過去最高タイの4位に入り、Cクラスでも対等に戦えることを証明してみせた。

 その後も三浦は常にポイント圏内を争う位置でレースをするようになり、ライバルをはじめ関係者もいつのまにか「F3唯一の女性ドライバー」ではなく、「ポイント獲得争いに常に絡んでくるドライバー」という目で彼女を見るようになっていた。最終的に全20戦中で7回の入賞を果たしてランキング8位。堂々とした成績で2年目のシーズンを終えた。

「2017年はシーズンオフにやってきたことがしっかりと成績に結びついて、ちゃんと努力すれば結果につながることがわかりました。だから、2018年はもっとがんばらなきゃな!と思っています」

 そして2018年、三浦はこのシーズンを「最後の勝負」と位置づけている。今後の目標について、このように語ってくれた。

「いつまでも同じカテゴリーでダラダラやっていても仕方ないので、今年がF3に挑戦する最後の年のつもりで考えていて、次のステップアップにつながるシーズンにしたいなと思っています。最低でも表彰台には上がって、もちろん優勝も狙いたいし、年間ではランキング4位を目指したいです。

 そして、年末のマカオグランプリに出場したいし、スーパーフォーミュラのルーキーテストにも参加できるレベルまでいきたい。どんどんステップアップして、最終的にはF1を目指すくらいの気持ちでやっています」

 2018シーズンの全日本F3選手権は4月21日~22日に鈴鹿サーキットで開幕する。今年も有力な若手ドライバーがそろい、例年以上に激戦となることは必至だろう。そのなかで勝ち抜いていくためには、さらなる努力が必要となるのは間違いない。

 ただ、これまで培ってきた経験が、彼女の自信につながっていることも確かだ。三浦愛にとって勝負のシーズンが、いよいよ幕を開ける。