ライター:宮地陽子 モハメド・アリが危篤というニュースは、NBAファイナル第1戦から一夜明けたきのう(アメリカ時間6月3日)、オラクル・アリーナでの取材中に知った。ウォリアーズのリアンドロ・バルボサの囲み取材をしていたときに、テレビレポータ…

ライター:宮地陽子

 

モハメド・アリが危篤というニュースは、NBAファイナル第1戦から一夜明けたきのう(アメリカ時間6月3日)、オラクル・アリーナでの取材中に知った。ウォリアーズのリアンドロ・バルボサの囲み取材をしていたときに、テレビレポーターの一人がアリの病状についてバルボサに告げ、バルボサにとってアリがどんな存在かを聞いていたのだ。

 

危篤というニュースをまだ知らなかったバルボサは、回復することを願いながら、アリとの関わりを話した。
「僕にとっては、彼はとても大きな存在だ。僕の父が、よく彼のことを話していた。父はボクサーだったからね」とバルボサ。彼の父親は、若い頃にブラジルでプロボクサーだったのだという。もっとも、ブラジルはボクシングがそれほど盛んな国というわけではなく、さらにボクシングで脳に衝撃を多く受けた父は早くに引退し、その後、病院のラボテクニシャンとして働いていた。バルボサがNBAに入った2年後の2005年に癌で亡くなっている。

 

バルボサにとってアリは、亡くなった父が現役の頃に目標として追いかけた人。それだけ思い入れもある。NBAに入って最初の6年半をフェニックス・サンズで過ごしていた頃には、サンズの試合を見に来たアリと何度も会う機会があり、色々な話をしたという。

 

「彼はレジェンドだ。国のために多くのことを成し遂げた人だ。ボクシングのためにも多くのことを成し遂げた。彼のような人は他にはいない」(バルボサ)

 

きのう夜になってアリがこの世を去ったというニュースが世界を駆け巡ると、きょう(アメリカ時間6月4日)の両チーム練習では、明日の第2戦での戦術や、修正といった話題に混じって、アリの偉業や、どんな影響を受けたかといった話が語られた。

 

ウォリアーズは、いつも練習の時に音楽を流しているのだが、きょうの最初の音楽は、70年代に流行った『ブラック・スーパーマン』という、アリのことを歌った歌だったという。

 

「モハメド・アリが全盛期の頃、僕はまだ8才ぐらいの子供だった」と、ウォリアーズのスティーブ・カー・ヘッドコーチ。「彼は社会問題を語る最も有名なアスリートだった。彼が行ったことは、ボクシング・リングやスポーツの世界全般を超え、平等に対する意識や、国で起きていることへの意識を高めた。その点では、アフリカン・アメリカンだけでなく、アメリカ全体に影響を与えた。この国で最も影響力が強かったアスリートだと思う」

 

キャブズのヘッドコーチ、ティロン・ルーの場合は、アリは祖父にとってヒーローであり、祖父の影響で、ルーにとっても、子供のころに最初に憧れた存在だったという。祖父にアリの名言、「不可能とは、自らの力で世界を切り拓くことを放棄した臆病者の言葉だ」で始まるフレーズを教わったルーは、周囲から「無理だ」と言われるたびに、その言葉を思い出して気持ちを奮い立たせていたのだという。

 

NBAに入ってから、大きな怪我で一時は選手生命も危ぶまれたウォリアーズのショーン・リビンストンも、苦しい時期にはアリの言葉に励まされたという。

 

「(アスリートとしての)彼は僕より前の時代だけれど、彼の生き方や大志は多くの人に影響を与えた」とリビンストンは言う。「逆境にあるときに、彼の言葉には本当に助けられた」

 

今の現役選手たちにとって、アリがボクサーだった時のことは昔話でしかない。それでも、彼の生きざま、反骨心、そしてパーキンソン病にかかったあとも自分らしさを失わなかった姿など、アスリートとして、そして人間として多くの感銘や影響を受けてきた。

 

キャブズのレブロン・ジェームズも言う。
「彼がどれだけすばらしいボクサーだったか、僕らみんな知っている。でも、それは彼のすばらしさの20%に過ぎない。彼は、自分の信じることのために、それまで成し遂げたことすべてを投げ打った人だ」とジェームズ。「モハメド・アリがいなければ、今、僕はここにいない」」

 

 

好評放送中!NBAバスケットボール頂上決戦“NBAファイナル”

WOWOWではNBAファイナル全試合生中継!

 

■6/6(水)午前8:45〜現地会場より生中継/WOWOWライブ

「NBAファイナル第2戦 キャバリアーズvsウォリアーズ」

[現地]ゲスト:Bose(スチャダラパー)、解説:佐々木クリス

[東京]ゲスト:持田香織(Every Little Thing) ほか