あまりにたくさんの事象が立て続けに発生した混乱のレースだった。その混沌を巧みなレース戦略と熟練のテクニックで乗り切り、トップグループのバトルを制して第2戦・アルゼンチンGPで快勝したのは、カル・クラッチロー(LCR ホンダ・カストロー…

 あまりにたくさんの事象が立て続けに発生した混乱のレースだった。その混沌を巧みなレース戦略と熟練のテクニックで乗り切り、トップグループのバトルを制して第2戦・アルゼンチンGPで快勝したのは、カル・クラッチロー(LCR ホンダ・カストロール)だった。



アルゼンチンGPを制したのは32歳のカル・クラッチロー(中央)

 まずは決勝レースで発生した状況を、発生順にまとめておこう。

 日曜日のテルマス・デ・リオ・オンド・サーキットは、前夜に降った雨の影響で午前はフルウェット状態だった。だが、午前のウォームアップとMoto3、Moto2クラスの決勝が終わったころには、路面は乾いてドライコンディションになっていた。

 そこにふたたび雨が降り、MotoGPのレース時刻前に選手たちはウェットタイヤでグリッドについた。スリックタイヤを装着して勝負に打って出たのは、ポールポジションのジャック・ミラー(アルマ・プラマック・レーシング)のみ。ウェットレースが宣言されるが、スタート前のミラーの読みは当たり、路面は乾きはじめてドライパッチ(乾いた部分)が出現。ミラーを除く23名全員がスリックタイヤのマシンへ交換するためにピットへ戻った。そのため、レースディレクションは「安全上の理由」からスタートの延期を通告した。

 15分後にあらためてスタート進行がクイックプロシージャ(簡略手順)で開始され、23名の選手はミラーから5列後方でスタートグリッドについた。このスタート直前に、今度はマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)のエンジンがストール。押し掛けでエンジンの再始動を試みるマルケスに対し、ルール上はピットレーンからのスタートとなるかに見えたが、エンジンがかかったマルケスは、「親指を突き出してグリッドスタートを許可したマーシャルの指示」に従いグリッドについた。

 このような慌ただしい時間経過での混乱を経て、当初の25周から1周減算されて24周で争われる決勝レースがスタートした。

 オープニングラップはミラーがリードするが、2周目にはマルケスが追い上げてきてミラーをオーバーテイク。一気に後続を引き離し始めるマルケスに対し、しかし、レースディレクションはライドスルーペナルティ(※)を通告。理由は、エンジンストールで混乱したスタート時に再度グリッドへ戻った際、エンジンのかかったバイクに乗った状態でコースを「逆走」したことに対するものだ。

※ライドスルーペナルティ=レース中にピットレーンを低速通過することで結果的に順位を下げさせる罰則。

 これにより、マルケスは19番手まで大きく順位を落としてしまう。そこから猛追を開始し、かなりアグレッシブなオーバーテイクで前の選手を次々と抜き去りながら6番手までポジションを回復するが、その過程で何名もの選手に対して接触や押しのけが発生。バレンティーノ・ロッシ(モビスター・ヤマハ MotoGP)とも接触し、アウト側に流されたロッシはコース外の芝生でマシンを滑らせて転倒してしまう。結果的に、マルケスは再度ペナルティを科され、ポイント圏外の18位という結果に終わった。

 しかし、クラッチローはこれらの混乱にも巻き込まれることなく、終始上位グループで走行。ミラーやヨハン・ザルコ(モンスター・ヤマハ Tech3)、アレックス・リンス(チーム・スズキ・エクスター)の後ろで虎視眈々と機をうかがい、レースが終盤に差し掛かるころ、一気呵成に勝負をかけた。

「燃料がフルタンクのときはブレーキングでかなり挙動が大きかった。タイヤを温存しながら、前の選手たちとある程度の距離を保っていた。誰かが前で転倒したときに巻き込まれたくなかったから、ラインも少し変えて走っていたんだ。最後は引き離せると思っていたし、ここなら抜けそうだという場所もわかっていた」と、クラッチローは狙い澄ました勝負展開を振り返った。

「正直なことを言えば、グリッドについたときから勝てると思っていたよ。そうじゃなきゃピットボックスで座ってる。強い気持ちがなければ勝てはしないし、完走すらできない。僕は、表彰台争いをできるし優勝も狙える、そう思ってアルゼンチンにやってきたんだ。

 もちろんマルクが上位陣にいれば、レースはもっと厳しかっただろう。彼はこのウィークを通して、どんなコンディションでも速かったからね。でも、最後に勝ったのは僕なんだ。自分は勝てると思って走っているし、それはここのふたり(ザルコとリンス)もそうだと思う」

 今回の勝利で、クラッチローはホンダのグランプリ750勝という節目に自らの名を残すことになった。そして、25点を加算してランキングトップに浮上した。首位に立つのは、自身にとって初めての経験だ。ちなみに、イギリス人としては1979年のバリー・シーン以来、40年ぶりの快挙である。