記念競輪という言葉がいまだにしっくりきている古い人間です(笑)。そんな私の川崎記念の思い出は1991年、まだ前後2節開催されていたうちの後節。新進気鋭の吉岡稔真さん(福岡65期・引退)が記念初優勝を飾ったレースです。決勝直前、桜花賞といって…

記念競輪という言葉がいまだにしっくりきている古い人間です(笑)。そんな私の川崎記念の思い出は1991年、まだ前後2節開催されていたうちの後節。新進気鋭の吉岡稔真さん(福岡65期・引退)が記念初優勝を飾ったレースです。決勝直前、桜花賞といっても花冷えの寒さに震えつつマイクを持つレポーターである私の横をユニフォーム姿の吉岡さんが通り過ぎていく。グッと、一層に寒さが増したような気がするくらいピリピリしたムード。この頃の吉岡さんは本当に緊張感の強い選手でした。福岡へ取材に行ってジックリお話しを伺った直後でも競輪場では目が合わない。その姿は何かを恐れているのか?追われているのか?まるで“手負いの獣”と、評した作家さんもいたくらいです。
その緊張感の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのようにレースでは力を爆発させるので、観ている側には大きな爽快感がありました。
吉岡さんは1990年5月のデビュー当時こそ少々の出遅れはありましたが、その年11月の三山王冠(前橋記念)で初めての記念決勝進出。準決勝では中野浩一さん(福岡35期・引退)と初連携。先行する吉岡さんを追い込めず2着に終わった中野さんのコメントが印象的。
「アイツ、最終4コーナーを回ってから踏み直したよ、あんな強いとは思わなかった」
そうとまで言わしめた吉岡さんの大物ぶりでした。しかし、残念ながら初の決勝は車体故障。レース後に「残念でしたね」と、私は一声をかけたのですけれども、吉岡さんは「悔しいっす」と、歯噛みしながら言い捨てました。結果もさることながら勝負できなかったことを悔しがる気の強さは頼もしく映りました。
その後、12月・佐世保、1月・和歌山、2月・門司、3月・松山と優勝こそできなかったものの、吉岡さんは毎月のように決勝に乗り、どのレースでもレースを動かし、注目を集めてきました。当時は今と違ってスピードチャンネルもなく、レース実況は簡単に観られません。噂が噂を呼び、全国を旅打ちして回る豪勢な一部の穴党ファンからは絶対本命の印が付かない吉岡さんを
「高配当が狙える本命選手」
「今が買い時」
なんて称して、随分、熱心に追いかけたそうです。
そんなファンの旅打ちに終止符を打ったのが、冒頭の川崎桜花賞の決勝でした。この川崎で吉岡さんは初めて滝澤正光さん(千葉43期・引退)と対決しました。吉岡さんが4番手外併走から残り1周でかまし先行の態勢に入ると、誰も捲れずに逃げ切り優勝。
「上ばかり見ていると足元から凄い新人が出てくる」
滝澤さんがレース後にそのように語った一戦であり、剛脚・滝澤正光がこの若武者を視野に入れた瞬間でもありました。
以後、吉岡さんは“FⅠ先行”の異名を引っ提げて、エンジン全開の快進撃、競輪界のメインステージ特別競輪に名乗りを上げていったのです。

もう一場所、函館競輪場の思い出もたくさんありますが、こちらはインタビュアーとしてのエピソードです。2001年ふるさとダービー函館。ビッグレースの決勝で長くインタビュアーとして務めた私も同着優勝は1回だけ。競輪史上1回きりと思います。この頃は北日本勢の勢いが増し始め、その急先鋒が伏見俊昭選手(福島75期)でした。後にアテネ五輪で銀メダリスト(チームスプリント)になるほどの逸材。すでにこの時点でその片鱗は明らかでした。
一方の渡邉晴智選手(静岡73期)も厳しい攻めを貫く追い込み選手として全国区の人気を誇っていました。
先行した伏見選手に3番手から追い込んだ渡邉選手。逃げる選手よりも、追い込む選手の方がスピードを上げてゴールに飛び込む分だけ確信が強いといいます。この時も渡邉選手は右手を挙げてガッツポーズ。でも、写真判定で待つことなんと10分間!インタビュアーとしてホームストレッチで待機していた私は残念ながらその様子を伺うことはできなかったのですが、結果待ちをしていた敢闘門付近はなかなかドラマチックだったようです。伏見選手が「頼む!本当のことを言ってくれ」と、言ったとか、言わなかったとか。


結果は1着同着。晴れやかに仲良くファンの前に姿を現した2人にマイクを向ける私。どっちが先って?そう、こういうときでも地区が違っても先輩は先輩。まずは先輩の渡邉選手に優先的にマイクを向けるのが自然の流れ。ファンの皆さんにとっては2人分の喜びの声が聞けて、2倍楽しめたかも知れませんね。
初夏の函館で爽やかな2人の笑顔を眺めながら、私は時間内に必死で2人分のインタビューを入れるべく冷や汗をかいた思い出のシーンでもありました。

【略歴】


設楽淳子(したらじゅん子)イベント・映像プロデューサー

東京都出身

フリーランスのアナウンサーとして競輪に関わり始めて35年
世界選手権の取材も含めて、
競輪界のあらゆるシーンを見続けて来た
自称「競輪界のお局様」
好きなタイプは「一気の捲り」
でも、職人技の「追い込み」にもしびれる浮気者である
要は競輪とケイリンをキーワードにアンテナ全開!