千代勝正インタビュー@前編 4月7日~8日に開幕する2018スーパーGTシリーズ。昨年のGT500クラスはレクサス勢が上位を占めたが、今年は日産やホンダも巻き返しを図っている。その日産陣営で大いに期待されているドライバーがCRAFTSP…

千代勝正インタビュー@前編

 4月7日~8日に開幕する2018スーパーGTシリーズ。昨年のGT500クラスはレクサス勢が上位を占めたが、今年は日産やホンダも巻き返しを図っている。その日産陣営で大いに期待されているドライバーがCRAFTSPORTS MOTUL GT-R(ナンバー3)から参戦する千代勝正(ちよ・かつまさ)だ。



千代勝正にこれまでのレース人生を振り返ってもらった

 千代は東京都世田谷区出身の31歳。オーストラリアのバサースト12時間レースやブランパン耐久レースなど、名だたる強豪ドライバーが集まるレースを制してきた実績の持ち主だ。今年は「最速の座」をかけて、GT500クラスのシリーズチャンピオンを虎視眈々と狙っている。

 千代がクルマを運転することに興味を惹かれたのは小学生のころ。当時、発売されたばかりのプレイステーション用ゲームソフト『グランツーリスモ』で遊んだのが、レースとの出会いだった。

「『親の影響でレースを始めた』というドライバーが多いと思いますが、僕は友だちと遊んだゲームから影響を受けました。子どものときにクルマ好きの友だちが何人かいて、当時グランツーリスモが出たときにそれで一緒に遊んでいたのが始まりでしたね」

 高校生になった千代は本格的にカートを始め、千葉県にある新東京サーキットに行くようになる。そこでの体験が、真剣にレーシングドライバーを目指す大きな後押しとなった。

「新東京サーキットに行ったら、チビッコたちがバンバン走っていて、最初は惨敗でした。そこから『負けたくない!』という火がついて、カートチームに入ってレースに出るようになりました」

 その後、千代はプロのレーシングドライバーになるべく、全日本カート選手権に参戦するかたわら、各クルマメーカーが主催する若手ドライバー育成プログラムのオーディションを受け始める。そのとき運命的な出会いを果たしたのが、現在でも所属している「日産」だ。

「実は他社の若手育成プログラムのオーディションもいくつか受けたのですが、どれも合格することができずに悔しい思いをしていました。ちょうどそのとき、日産の関係者が全日本カートの最終戦を観に来ていて、そこで僕がポールポジションを獲得したんです。それが目にとまって、日産から『若手育成のオーディションがあるから受けてみないか?』というお話をいただきました。

 自分は『プロになるにはそれしかない』と思いましたし、日産は昔からスーパーGTを観ていて好きだったので、オーディションを受けることを決めました。そして、それまでのオーディション経験も役に立って合格することができ、フォーミュラにデビューできたんです」

 2007年と2008年はフォーミュラチャレンジ・ジャパンに参戦し、2009年からは全日本F3選手権のNクラス(※)に挑戦する。しかし、ここで苦労が待ち構えていた。F3デビュー初年度は、なかなか思うような走りができずにランキング6位。その結果、戦力外通告を受けて育成枠から外されてしまう。

※Nクラス=正式名称は「ナショナルクラス」。全日本F3選手権Cクラスとは異なり、エンジンのワンメイク化や旧型シャシー(車体)の使用義務があるなど、コスト抑制を重視したクラス。現在は日本F3協会独自タイトルで争われているが、千代が参戦していた2011年まではNクラスも全日本タイトルとして争われていた。

 しかし、2年目は自身でスポンサーを集めて、プライベーターのル・ボーセから参戦。まさに”背水の陣”で勝負に出て、見事1勝を挙げてランキング3位となる。

 この成績が評価されて、千代はふたたび日産育成チームのNDDP RACINGへ移籍。そして2011年、千代自身が「ラストチャンスだった」と語るシーズンに臨んだ。

「F3はレースのカテゴリーで言うと(野球の)甲子園のようなものです。そこで勝てるか勝てないかで、プロになれるかどうかが決まります。僕にとっては『高校3年生の夏』という感じで、ここで勝てなかったらレースの道はあきらめようと思っていました」

 そのシーズン、千代は野尻智紀(現在スーパーフォーミュラとスーパーGT500クラスに参戦中)とチャンピオン争いを展開した。だが、シーズン中盤までは野尻にリードを許す流れとなる。

 さらに、第12戦・第13戦を予定していた9月の鈴鹿大会が台風の影響により2レースとも中止。これにより、千代はスポーツランドSUGOで行なわれる残り3戦で16ポイント差を逆転しなければならない状況となった。仮に千代が3連勝しても、野尻が残り3戦で下位に沈まなければ、逆転の可能性は絶たれてしまう……。

 そんな劣勢のなか、千代は第14戦でポール・トゥ・ウィンを果たし、第15戦では2位を獲得。これで野尻との差は7ポイントにまで縮まった。しかし、最終戦のスターティンググリッドは、野尻がポールポジションなのに対し、千代は絶対不利の4番手。

「逆転でチャンピオンになるためには、最終戦で僕が優勝し、野尻が4位になって、さらに僕がファステストラップを出してボーナスの1ポイントを獲得しないといけない。どう考えても(逆転は)不可能に近い状況でした。でも、ここでチャンピオンになれなかったらレースの道はあきらめると決めていたので、本当に瀬戸際でした」

 幕を開けた最終決戦――。スタートで千代は抜群のダッシュを決め、たちまちトップに浮上する。一方の野尻は3番手に下がり、2周目には4番手に後退。あとはこのまま順位を守り、千代がファステストラップを叩き出せば、奇跡の逆転チャンピオンとなる。そして6周目、千代は1分17秒527のNクラス最速ラップをマーク。そのままチェッカーフラッグを切り、逆転でシリーズチャンピオンを勝ち取った。

「本当に奇跡の大逆転でした。あのレースの後、泣きました。いろんな意味で崖っぷちでしたからね」

 翌年の2012シーズン、千代は国内トップカテゴリーのひとつ「スーパーGT」のGT300クラスで日産育成チームからデビューを果たす。1年目から並み居るライバル相手に善戦し、第4戦のSUGOでは初優勝も遂げてランキング4位を獲得。好成績でシーズンを終えることができ、来年以降も順調にステップアップするかと思われた。

 しかし、またしても千代には、「逆境」が待ち受けていた……。

(後編に続く)