『bj-league THE FINAL』DVDで振り返るbjリーグ11年間の軌跡 河内敏光(bjリーグ コミッショナー)インタビュー【Vol.1】先日、11年の歴史に幕を下ろしたbjリーグ。ラストシーズンを記念して制作した『bj-leag…

『bj-league THE FINAL』DVDで振り返るbjリーグ11年間の軌跡 河内敏光(bjリーグ コミッショナー)インタビュー【Vol.1】

先日、11年の歴史に幕を下ろしたbjリーグ。ラストシーズンを記念して制作した『bj-league THE FINAL』DVDを見ながら、河内コミッショナーに、歴代ファイナルの思い出と共にこれまでのbjリーグの歴史を振り返るインタビューを実施致しました。全4回(予定)の連載記事でご紹介して参ります。

【心からブースターに感謝したい】
――さて、まずこの「bj-league THE FINAL」DVDは歴代のファイナルを振り返る内容になっていますが、これまでのファイナルで印象的だったことはありますか?
河内:あれは2年目か3年目の時だったかな…対戦チームのブースター同士がエールを送り合って、お互いに頑張ろう!というところからスタートしたんですよ。我々リーグからはそれぞれのブースターにエールを送ろうなんて一切言っていないのに。あれを見た時は本当に感動しました。ブースターから、「自分達がチームやbjリーグを盛り上げているんだ」っていうものを感じたんですよね。

――震災が発生した年のファイナルも、両チームのブースターから仙台チームへのエールが送られましたね。
河内:そうです。あの時も本当に自然と沸き起こったんですよ。リーグがお願いしてやってもらいたいようなことを、自らやってくれた。ブースターの方がよっぽど事情を分かっていて。本当に感謝です。そもそも、bjリーグのブースターは本当に仲がいいんですよね。例えば、東京チームが新潟で試合があった時には、新潟のブースターが東京のブースターを地元のおいしい居酒屋さんに招待したり、中には別のチームのブースター同士で結婚したカップルもいました。ブースター同士の交流が印象的で、小さないざこざはあっても、お互いにリスペクトし合っている出来事の方が圧倒的に多かった!ブースターの皆さまには心から感謝したいです。

【「精神的な支柱」という意味では、彼は本当に1番】
――さて、早速初年度から振り返っていきたいと思いますが、6チームで開幕した2005-2006シーズンのファイナルは大阪vs.新潟でした。
河内:新潟は、元々bjが開幕する前からチームがあって、リーグが立ち上がった時に参加したチームですね。一方で大阪は、同じくbjリーグが立ち上がった時に参加したけれど、チームとしては生まれたばかりでした。その大阪のエースはリン・ワシントン。実は、彼は元々新潟にいたんですね。で、bjがスタートする時に大阪へ行った(注:04年に新潟を退団後、フィンランドリーグを経て05年に大阪へ入団)。彼は日本のバスケットもよく分かっているし、なおかつバスケの名門大学出身で、精神的にもパフォーマンス的にもチームを引っ張って、とにかくすごかった。プレイだけ見ても、もちろん歴代のトップ5に入ると思うし、精神的な支柱という意味では、本当に1番。外国籍選手をまとめる力もあるし、”For The Team”の意識が高くて、組織の中でのリーダーシップという意味では1番だと思いますね。

――なぜ新潟は放出しちゃったんでしょうね…
河内:そうですね(笑)。リンを獲得した大阪が、奇しくもファイナルでまさにその新潟と対決することになって。もしそのままリンが新潟にいたら、新潟が勝ったかもしれない。リンが大阪に行ったから大阪が勝ったのかもしれない。新潟は「リン・ワシントンに負けた」みたいなことかもしれませんね。

――ちなみに初年度はどのチームが優勝すると思っていましたか?
河内:実は、僕は東京アパッチが勝つと思っていました。結局決勝には行けなかったけど、東京は強かった。本当に強かった。ヘッドコーチはジョー・ブライアントでね。つい先日引退したコービー・ブライアントっていうNBAスーパースターのお父さんです。選手も本当にすごかったですし。でも考えてみたら、大阪には当時波多野や城宝もいて、外国籍選手だけではなく、日本人選手も優秀な選手がいたんですよね(笑)。さらに大阪の天日ヘッドコーチは元々松下電器のヘッドコーチで、彼自身経験もあったし、外国籍選手の扱いもうまくて、そういう意味では大阪はよくまとまっていたと思います。

【バスケットボールは6thマンが重要】
――さて、2年目は2006-2007シーズンですね。
河内:2年目は、このシーズンから参入した高松がファイナルに進出したんですね。対する相手は前年王者の大阪。高松は、bjリーグに参入するにあたって、”打倒大阪”ということでかなりチームの強化を図ってきたんですよ。ファイナルでは、まさかこんなに点差がついて大阪が勝つとは思わなかった。2年目ももちろん大阪のエースはリン・ワシントンでした。だから、大阪がリンなどの主力選手をベンチに下げた時に、ここで高松が追い上げるかな…と思っていたら、代わって出てきたパルマーが爆発して。

――この試合でパルマーは33得点をあげて、MVPも獲得しました。
河内:そう、このファイナルはとにかくパルマーでしたね。バスケットボールって、40分間を5人で戦うというスポーツではないんですね。だからベンチから出てくる6thマンがすごく重要。スタートからメンバーチェンジでベンチから選手が出てくると、たいていスタートの力よりも全体的に少し落ちることが多いわけですが、6thマンが出てきたときに、スタートの5人の時よりもパフォーマンスを発揮するチームは強い。ベンチから出てきた選手が活躍すると、一気にチームが盛り上がる。それでまたスターターが少し休んで出てくるからチーム力が下がらない。そういう意味で、大阪は本当に層が厚かった。マット・ロティックがいて、リン・ワシントンがいて、ジェフ・ニュートンがいて、それでさらにパルマーがいたわけですから。しかもパルマーっていう選手は、センターもシュートもできるしボールも運べる。だから3人の誰と代えてもパルマーはフィットできる。ファイナルでは、このパルマーが神がかっていて大爆発ですよ。そういう選手を、ベンチに温存しておけた大阪のチーム力ですね。

【青木選手がいたら結果は変わっていたかもしれない】
――2007-2008シーズンは大阪が3連覇を達成しました。その強さの理由はどこにあったのでしょう?
河内:元々bjリーグは、毎年違うチームが優勝するようなシステムにしていました。エクスパンション・チームもそうだし、ドラフトやサラリーキャップ制度を設けていたこともそうですね。それにも関わらず大阪が3連覇を果たしたというのは、やはり大阪の外国籍選手が3年目もそのままチームに残ったことが大きかったと思います。さらに、強いチームの中で日々練習している日本人選手たちもレベルアップしていましたし。大阪が2年連続で優勝していましたから、このシーズンは本当に全チームが”打倒大阪”でしたが、止められませんでしたね。

――ファイナルは大阪vs.東京でした。
河内:あぁ、青木選手が試合中に怪我をしてしまった試合ですね。東京アパッチのエースは青木康平選手で、ヘッドコーチのジョーも彼を中心に作っていたはずですが、この試合の途中に青木選手が目を怪我して、それが崩れてしまった。彼が怪我で戦線離脱したのは2Qでしたが、前半が終わった時点では同点でしたから、もしあのまま青木選手がプレイしていたら、正直、どうなっていたか分からなかったと思いますよ。

――結果的に大阪が勝利しましたが、ロースコアの戦いでしたね。
河内:そうですね。でも逆に言うと、大阪は66点しか取っていなくても相手を56点に抑えている。相手の状況を見て、高得点になるゲームであればそういうゲームができるし、ロースコアゲームならそれはそれで対応できる。そこが大阪の強さだと思いますね。もちろん、青木選手がいたら結果は変わっていたかもしれませんが(笑)

≪インタビュー【Vol.2】へ続く≫

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