現在の日本代表において、DF長友佑都は指折りの経験豊富な選手である。彼が口にしたその言葉は、自戒を込めてあえて強めに言ったというより、何の誇張もない率直な思いそのものだったに違いない。「今日の試合(内容)では、W杯で勝つのは難しい。(…

 現在の日本代表において、DF長友佑都は指折りの経験豊富な選手である。彼が口にしたその言葉は、自戒を込めてあえて強めに言ったというより、何の誇張もない率直な思いそのものだったに違いない。

「今日の試合(内容)では、W杯で勝つのは難しい。(マリには)スピードがあって、いい選手はいたが、(W杯のグループリーグで対戦する)コロンビア、セネガル、ポーランドはレベルが違う。ここで苦戦していては、W杯は苦しくなる」

 本来なら「辛辣(しんらつ)な」と形容されてもおかしくない言葉も、さほど辛(から)さや厳しさを感じないのは、つまりはそういう試合内容だったということだ。客観的に見ても、長友の評価は正鵠(せいこく)を射ている。

 3月23日、日本代表はベルギー・リエージュで、マリ代表との親善試合を行なった。スコアは1-1の引き分け。結果こそドローで終えたものの、W杯開幕まで3カ月を切ったこの時期としては、収穫がほとんどない試合だった。



マリ代表との試合は1-1の引き分けに終わった

 DFラインを高く保ち、コンパクトな布陣から連動した守備で、できるだけ高い位置でボールを奪う。そんな狙いはいつもどおりだったが、前線からのボールアプローチが緩く、奪いどころが定まらない。結果、マリの選手に易々(やすやす)とボールを前に運ばれてしまった。

 機能不全は、攻撃もまた然り。単調なパス回しを続けるばかりで、しかも選手同士の動きが重なるケースも多く、スピードアップして相手ゴールに迫ることができなかった。

 試合終盤、マリの若い選手たちが自己アピールを焦ったのか、それまで規律を持ってプレーしていた”仮想セネガル”が大味な打ち合いに出てきてくれたことで、日本は攻撃機会を増やし、FW中島翔哉のゴールで同点に追いついた。

 だが、見るべきものがほとんどなかった試合を、A代表デビューとなる23歳の初ゴールひとつで帳消しにするのは無理がある。たとえアシストしたのが、21歳のMF三竿健斗だったとしても、だ。

 いつもは自信に満ちた言葉を次々に発するヴァイッド・ハリルホジッチ監督も、さすがにこんな酷(ひど)い試合のあとではしばし言葉を失い、「何を言えるのかな、という試合。まだ深い分析には入りたくない」と語ると、「まだまだやるべきことがある。かなりたくさんある」と何度も繰り返した。

 確かに「先発させたい選手が3、4人いなかった」(ハリルホジッチ監督)という事情はある。DF吉田麻也、DF酒井宏樹、MF香川真司らをケガで欠き、試合中にも、MF大島僚太が前半途中にして負傷交代となる誤算が起きた。

 ハリルホジッチ監督が「2列目から速い攻撃を仕掛けられる選手。(交代するまで)しっかりと組み立てに関わっていてよかった」と評した大島が、最後までピッチに立っていたら、試合はどうなっていただろうか。そんな想像もしないわけではない。

 しかし、その一方で「かなりの選手をテストした」(ハリルホジッチ監督)と言っても、この試合で初めてA代表でプレーしたのは、中島とDF宇賀神友弥のふたりだけ。それ以外は、現監督下での(トレーニングも含めて)プレー経験をそれなりに持つ選手たちなのである。酷い凡戦の理由が主力の不在だとするなら寂しい話だ。

 ハリルホジッチ監督就任以降の日本代表は、特に昨年のW杯最終予選以降、対戦相手に応じて選手や布陣を含めた戦い方を変えることで、結果を残してきた。少なくともW杯本大会においては、弱者に属する日本にとって、それは必ずしも悪いことではない。

 だが、相手次第でサッカーを変えるチームは、結果的に本来中心に定まっているべき軸を失わせた。試合ごとに選手も変われば、戦術も変わる。うまくいかなかったとしても、次の試合はまた別の選手と別の戦術。この試合のように自らの戦術が相手にハマらなかったとしても、立ち返るべき場所がない。ともすれば、評価は「選手が戦っていたかどうか」だけでまとめられがちだ。

 思えば4年前、日本代表がブラジルで惨敗を喫したとき、「自分たちのサッカー」という言葉がひとり歩きした。「自分たちのサッカーをやりたい」と口にする選手たちの揚げ足を取るように、柔軟性の欠如だとの批判が巻き起こった結果である。

 しかし、当時の選手たちにしても、常に自分たちがやりたいようにパスをつないで攻撃できるほど、サッカーが単純ではないことはわかっていたはずだ。彼らが言う「自分たちのサッカー」とは、必ずしも戦術的なことだけを意味したわけではないだろう。そこには「平常心」や「自信」、あるいは「裏づけのある成功体験」といった意味合いが含まれていたに違いない。

 結果として、4年前は一度ズレた歯車を短期決戦のなかで元に戻すことはできなかったが、「自分たちのサッカー」という拠(よ)りどころを持っていることは悪いことではない。まして、それが”戦犯”としてやり玉に挙げられるようなことでは、決してなかった。

 ハリルホジッチ監督が率いる日本代表は、ある意味で「自分たちのサッカーを持たない」ことを強みとしてきた。4年前のアンチテーゼとして、必然的に生まれたチームと言っていいのかもしれない。

 だが、その結果、現在の日本代表は進むべき目的地ばかりでなく、一度戻って現在地を知るための目印さえも失い、あてもなくさまよい歩いているように見える。

「W杯は遠い。まだまだ遠い」(ハリルホジッチ監督)

 悲しいかな、今わかっているのは、それだけである。