17年11月下旬、錦織圭は毎年恒例のイベントとなった「ドリームテニス有明」に参加するため、日本に一時帰国した。公の場でボールを打つ機会はなかったが、トークと明るい笑顔で会場を盛り上げ、ファンと交歓した。その表情を見て、筆者はスポーツ総合誌…

 17年11月下旬、錦織圭は毎年恒例のイベントとなった「ドリームテニス有明」に参加するため、日本に一時帰国した。公の場でボールを打つ機会はなかったが、トークと明るい笑顔で会場を盛り上げ、ファンと交歓した。その表情を見て、筆者はスポーツ総合誌『ナンバー』(文藝春秋)にこう書いた。

〈その姿を見、声を聞けば、だれもが、今は気長に復帰を待とうか、という気持ちにさせられたのではないか。見通しは不透明でも、彼自身が春遠からじの希望を運んできたように感じた〉

 この時点では、シーズン開幕戦のブリスベン、さらに四大大会の全豪オープンを目指すが、リハビリの進捗によっては「2月、3月になるかもしれない」というのが本人の見通しだった。

 結局、全豪は出場を見送り、同じ時期に米国で開催された下部ツアーのATPチャレンジャーに出場した。最初のニューポートビーチでは初戦敗退に終わったが、翌週のダラスで優勝、さらにATPワールドツアーへの復帰戦となった2月12日からのニューヨークオープンではベスト4と、まずまずの成績を収めた。

 ニューヨークでは日によって雪の降る日もあったようだが、錦織の準決勝進出に「春遠からじ」を感じたファンも多かったのではないか。

 なにより、その表情がよかった。ショットの調子は完全には戻らず、試合の中でのアップダウンもあった。最終セットのタイブレークでギアが上がらなかったのは、試合勘のなさという言葉に集約すべきなのだろう。それでも錦織は、勝つために頭を使い、ひたむきに体を動かした。表情の輝きは少年のようだった。昨年の春頃に見られた、伏し目がちにゲームを進める場面はほとんどなかった。

 近年は四大大会とマスターズ1000での優勝を目標に掲げていた。しかし、17年の錦織はBIG4のラファエル・ナダルとロジャー・フェデラーに頭を押さえ付けられ、Next Genの若い選手たちには下から追い上げられて、窮屈な思いをしていたのではないか。言葉を換えれば、様々な感情、すなわち不安や重圧、焦燥感とともにゲームに臨んでいたと思われる。右手首のけがでシーズン半ばで離脱したが、そこでプラス面を探すなら、心機一転の期待を与えられたことだろう。

 昨年11月のインタビューでは〈ある意味、苦労した1年ではあったので、そのリフレッシュはしっかりできたと思う〉と離脱が心理面で好影響があったことを明かした。

 復帰からニューヨークオープンまで10試合をこなしたが、幸い、右手首に異変はない様子だ。故障した部位を酷使する怖さも徐々に乗り越えていけるだろう。

 フェデラーが王座に返り咲き、ナダルがぴったり追走、一方、若い世代では、錦織が最も警戒するアレクサンダー・ズベレフに加え、チョン・ヒョン、カレン・カチャノフ、デニス・シャポバロフ、フランシス・ティアフォーといった選手が存在感を増してきた。この時期のツアー復帰とは、二人のレジェンドが健在でありながら、同時に激動期を迎えようとしている男子ツアーのまっただ中に飛び込むことにほかならない。しかし、半年間の離脱の間に準備はできているはずだ。上記のインタビューで錦織はこう話している。

〈立ち向かわないといけない。フェデラーとかナダルとか、そういう挑戦も楽しみながら、前みたいな5位以内の位置はキープしたい〉

 ツアー復帰のニューヨークオープンで、その気概は示した。あとは一戦一戦、自信を積み上げていくだけだ。(秋山英宏)

※写真はシティ・オープンでの錦織圭(Photo by Tasos Katopodis/Getty Images)