父親はアメリカ人、母親は日本人で、ニューヨーク生まれの日本とスペイン育ちという、カラフルな国際色の生い立ちゆえだろうか。あるいは、レッド・ツェッペリンやウディ・アレンをはじめとする1970年代の音楽や映画、書籍を好む、博覧強記(はくら…

 父親はアメリカ人、母親は日本人で、ニューヨーク生まれの日本とスペイン育ちという、カラフルな国際色の生い立ちゆえだろうか。あるいは、レッド・ツェッペリンやウディ・アレンをはじめとする1970年代の音楽や映画、書籍を好む、博覧強記(はくらんきょうき)のためだろうか。



ジョコビッチに勝った瞬間、ラケットを落としてしゃがみ込むダニエル太郎

 ダニエル太郎はよく考え、よく悩み、そしてそれらを独自の言葉で表現できるアスリートである。

「冷静に、結果を待てていなかった」

 3月8日にインディアンウェルズ・マスターズが開幕したとき、ダニエルはこの数ヵ月間の葛藤の日々を、そのように振り返った。

 14歳から住むスペインのアカデミーを離れ、日本へと拠点を移したのが昨年の9月。少年時代から師事したコーチとの関係性が、25歳を迎えた今も「父と子ども」のようであることに嫌気がさしたための決断だった。

 日本に戻ってからのダニエルはさっそく、自分のテニスの模索に取り組み始める。

「自分で試さないと楽しくない。プレースタイルもひとつに固定されるとつまらない」と、試行錯誤のプロセスにも楽しみを見出していた。フォアハンドとサーブのフォームを変え、それにともないプレースタイルも、以前よりも速い展開で自ら仕掛ける攻撃的テニスを指向する。実際にその成果は、練習では確実に出ていると感じることもできていた。

 だが、今季は3月を迎えた時点で、上位選手相手に善戦するも、実際に得た勝ち星はわずかふたつ。それも、いずれも自分よりはるかに下位の選手から得たものだ。

「ここ数ヵ月は試合中に、『また負けちゃうんだな』というネガティブなものが頭の後ろからにょろにょろ生えてきた」

「ネガティブな思いがよぎったとき、それが雲みたいにパーッと風に乗って流れていくときと、そこで暗くなって雷が落ちてくるときがある」

 端正な顔の口もとを少しゆがめ、ダニエルはこの数ヵ月間味わってきた苦い胸中を言葉にした。

 だから彼は、今回のインディアンウェルズには「結果は求めず、もっとポジティブに考える」ことを目標に訪れた。父親やカリフォルニアに住む友人のテニスコーチからも広く助言を求め、その結果、耳にした言葉は「みんな同じで、とてもシンプルだった」とダニエルは笑う。

 前向きな姿勢を崩さず、結果は必ずいつかついてくると信じること――。

 その「シンプルだが、取り入れるのが難しいこと」を真に理解するために、彼は自分の心の奥深くにまで踏み込みながら、何が必要かを探し求める。そのような内省的な問答を繰り返した末に、日々の練習を楽しめるようになった時点で、彼はすでにひとつの目標を達成していた。

 予選から挑んだインディアンウェルズ・マスターズでは2連勝で本戦入り。本戦初戦も突破したダニエルは、2回戦で元世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)との対戦を迎える。

 試合の朝、ダニエルはセンターコートで練習しながら、「なんてバカでかいアリーナなんだ!」と、1万6000の客席が敷き詰められたセンターコートの景観に感激を覚えていたという。その練習の数時間後……観客で埋まったアリーナに足を踏み入れ、アナウンスされるジョコビッチの名に呼応する大声援を耳にしたときには「ナーバス」にもなった。

 だが、いざ試合が始まると、ジョコビッチの調子が万全でないことに気づく。昨年の夏から今年の全豪オープンまで約6ヵ月間コートを離れ、2月上旬には検査手術も受けたジョコビッチには、たしかに「精密機械」と呼ばれた往時のショットの精度がない。

 第1セットで先にブレークされたダニエルだが、ゲームカウント3-5からブレークして追いついたとき、「いける!」と心の声がした。ポジションを高く保ち、ボールを深く打ち返しながら、機を見てバックをストレートに打ち込んでいく。第1セットはタイブレークの末に、ダニエルが奪い取った。

 第2セットに入るとダニエルは、より攻勢に出て主導権を奪いにかかる。

 しかしジョコビッチには、いかに不調なときでも、あるいはどんなに追い詰めたられた状況下からでも、蘇り、試合をひっくり返す力がある。試合の趨勢(すうせい)はダニエルにありながら、気づけば最終ゲームをブレークしたジョコビッチの手に、第2セットは渡っていた。

「普段ならここで、『試合は終わった。第3セットはジョコビッチに6-2や6-3で取られちゃうんだろうな』と思うところだった」

 試合後にダニエルが、ターニングポイントを振り返る。

「でも、今回はなぜかわからないけれど、大丈夫だと信じ、冷静でいられた」

 かつては無尽蔵のスタミナを誇ったジョコビッチが、炎天下のなか、疲労の色を深めていく様子もダニエルの目に映る。体力を削る長い打ち合いなら、ジョコビッチが「彼はどんなボールでも拾ってくるファイター」と評するダニエルの望むところ。時にベースラインのはるか後方に下がり、自分の時間を確保しながらジリジリとゲームを作るダニエルに対し、ジョコビッチはミスが増えていく。

 ゲームカウント2-1のジョコビッチのサービスゲームを、24本のラリーを塗り重ねて最後にフォアのウイナーでブレークしたとき、ダニエルの事実上の勝利は決した。マッチポイントでジョコビッチのショットがラインを逸れたとき、勝者はラケットを落とし、両手を握りしめてその場にしゃがみ込むと、アリーナを満たす大声援の熱を、しばらく背中で受け止めていた。

「僕のキャリアにとって、ものすごく大きな意味を持つ勝利」

 試合後のダニエルは、感激の面持ちを見せる。だが彼は、この1勝に浮かれたり、過度な期待を寄せることもない。かつて彼は、「僕のようなタイプの選手はコツコツ、少しずつ積み重ねて上がっていくしかない」と言っていた。今回のジョコビッチ戦の勝利も、その「積み上げ」の成果であり、この先につなげて初めて価値を帯びることを、彼は誰よりも知っている。

「今回は予選を突破し、本戦でも勝ってきたので、自信がまったく違う。3試合勝ってやっと、『この試合もいけるのかな』というのが出てくる感じでした。まだ完全に成果が出るには時間がかかると思いますが、こういう試合に勝ち始めているのは本当にいいサインだと思います」

 その「サイン(=兆候)」をより克明なものにすべく、ダニエル太郎はさらに上を目指す。