ベテランJリーガーの決断~彼らはなぜ「現役」にこだわるのか第1回:播戸竜二(FC琉球)/後編インタビュー前編はこちら>> 契約延長の話はなく、播戸竜二(ばんど・りゅうじ/38歳)は3シーズン在籍した大宮アルディージャから離れることになっ…
ベテランJリーガーの決断
~彼らはなぜ「現役」にこだわるのか
第1回:播戸竜二(FC琉球)/後編
インタビュー前編はこちら>>
契約延長の話はなく、播戸竜二(ばんど・りゅうじ/38歳)は3シーズン在籍した大宮アルディージャから離れることになった。だが、彼のもとに届いたオファーは、J3のFC琉球からのみ。そこで、播戸は「初めて引退も考えた」というが、いつまで経っても、自分の進むべき道が見えてこない。考えも定まらない。その原因は他にもあった。
実は、昨年の11月18日。播戸は最愛の母を亡くしていた。子供の頃はもちろん、練習生としてガンバ大阪に加入し、毎日、母の作るお弁当を持って練習に通っていたときから、どんなときも彼の背中を押し、がむしゃらに夢を追い求める彼を笑って支えてくれた、よき理解者だった母を、だ。
あまりに突然訪れたその別れを、播戸はどうしても消化できず、何かを考えようとしても、すぐに母のことが頭に浮かび、気がつけば涙が流れるという毎日が続いていた。
「あの頃は、お母さんがこの世にいないという……その事実をどう消化すればいいのかわからず、自分のことにまで考えが回らなかったというのが本音だった。だから、大宮から来季の契約がないと言われたときも、正直『そうなんか』っていうだけというか……正直、チームがどうとか、将来がどうとか、そんなことがどうでもよくなるくらい頭が真っ白やった。
そこから少し時間が経って、12月に入ってからは少しずつ物事を考えられるようになっていたけど、気持ちは一向に決まらない。お父さんは『お前の人生や。お前の思うように好きにやったらええ』と言ってくれたし、弟や妹も『兄ちゃんが引退するって決めたなら止めないけど、でも、やってほしいな』みたいなことを言ってくれて……。お母さんが生きていたら『何て言うのかな』って考えても、答えが聞けないことにまた苦しい気持ちになったり……。
家族のことも心配やから、少しでも近くにいたいなと思っていたのに、『沖縄じゃ遠すぎるわ』とも考えたし。そんなこんなで、気がつけば12月が終わってた」
そんな彼がようやく自分を取り戻したのは、母の四十九日法要が終わったあとだ。
播戸の実家のある兵庫県旧・香寺町(現・姫路市)では、亡くなられた方を弔うために、四十九日法要を迎えるまでは毎日、親戚縁者が集まってお経をあげるという地元ならではの風習がある。そんな毎日を過ごし、法要を終えたあとにふと、気持ちがスッと楽になったと言う。
「言葉にするのが難しいけど、四十九日法要を終えて『ああ、お母さんは天国に行ったんやな』って素直に思えて。ずっと何かに縛られて硬くなっていた心が初めて和らいだ気がした。そのときに『ここからまた、俺は自分の人生を歩んでいかなアカン』と思えたし、そこで初めて、プロサッカー選手としての自分を必要としてくれた、FC琉球でお世話になろう、ボールを蹴ろうという気持ちが湧いてきた」
そこからは、あっという間に事が進んだ。FC琉球に連絡を入れて加入の意思を伝え、1月20日には沖縄の地に渡り、1月22日には沖縄市役所での新体制会見に臨む。以来、前編の冒頭で記した「忙しい毎日」が始まり、J3リーグを舞台にした新たな挑戦が始まった。
移籍後、初めて出場した練習試合。古巣・ガンバ大阪と対戦し、1ゴールを決めた播戸(右から4番目)
「自分が心を開いてからは、地元のいろんな人と交流を持つようになった。その中で感じたのは、島の人たちにとって、僕がプロサッカー選手であることなんて、はっきり言って関係ないってこと。一緒にいて楽しい、とか、美味しいものを美味しいねと言い合えるとか、そういうことが重要で、それがすべてなんよね。
でも考えたら、俺も本来はそうやったというか。プロになり、名も知れるようになり、自分を取り巻く環境がどんどん変化していくうちに、逆に自分の世界が狭まって、鎧(よろい)がどんどん厚くなって、プロサッカー選手であることに縛られすぎて、自分がただのイチ人間だということを忘れていた。
だから今は、沖縄に来て、サッカーをやめるって決断をしなくて、ホンマによかったと思ってる。というのも、自分がこの土地やクラブの現状を受け入れてからは、プロとして20年かけてつかんだこと以上のものを、この1年で得られそうな予感があるから。
この20年はほぼ同じ流れの毎日を過ごし、常に野心を持って、一歩一歩積み重ねて、試合に出ること、ゴールを決めること、代表に選ばれることがすべてだった。そうやって上を目指してきた時間があったから、今の俺がいるのも事実やけど、でも、ここに来た以上、俺はこの1年でその20年とは違うものをつかんでやると思っている。今は心からそう思って、この沖縄にいるよ」
その胸に芽生えた新たな感情を露(あら)わにする彼に、その情熱の源について尋ねてみる。プロを目指していた頃、あるいは、ガンバ大阪で数々の”タイトル”の歴史に貢献し、日本代表として活躍していた時代。もしくは、大宮アルディージャのJ1昇格に力を注いでいた時代の情熱と、今のそれは変わらない温度なのか、と。
その質問に、ゆっくりと思考を巡らせ、言葉が返ってくる。
「サッカーそのものへの情熱は変わらないけど、プロサッカー選手としての情熱は残念ながら、若いときと一緒とは思わない。若いときのように自分のことだけを考えて、ガムシャラに突っ走っていればよかった時代とは違って、キャリアを積むことによって、自分の立ち位置、求められることも変わってくるしね。
実際、俺も年齢が上になるほど、必然的にチームをまとめることも考えるようになったしさ。本来は、そんな柄じゃないのに(笑)。でも、それを含めてチームに必要とされてきたと考えれば、それが自分の”価値”だと思うけど、その役割も意識した情熱って、子供の頃やプロになったばかりの頃の『サッカーが好きでたまらん!』って情熱とは全然、種類が違う。
でもそれが、このサッカー界の現実やから。いくつになっても、好きにボールを蹴って契約してもらえる選手なんて、世界中を見渡してもほぼおらん。
だから、だんだん自分の役割の変化を感じながら、体に痛いところが出てきたり、回復が遅れたりするのを実感しながら、時に将来に不安も感じながら、サッカーをしている。そのことを自分が認めて楽しめるようになったら……おそらく、これまでとはまた違うサッカーの楽しさが見えてくる。ともすれば、その先の人生も見えてくるかも知らんしね。ってか、この1年は、その『先』もしっかり見つけたいと思ってる。
でもこれは、何も引退を考えてサッカーをするって意味じゃない。目指すのは、チームのJ3優勝とJ2昇格。そこは揺るぎない。でも今回、初めて『引退』を考えて実感したから。いつかその日が来ても、あっさりと引退できるくらいの自分じゃないと、次の人生は拓(ひら)けないって」
この20年、まとい続けてきた鎧の紐(ひも)を少し緩めたせいか、実に穏やかに、表情豊かに言葉があふれる。そのすべてをここで記すことはできないが、彼が沖縄の地でやりたいと思っていることも、やろうとしていることも驚くほど多い。一時は「引退」を考えていたとは思えないほどに、だ。
そのことを素直に告げると、自信に満ちた顔で言い切った。
「じゃないと、沖縄にくる決断をした意味がない」
プロになりたての頃のギラギラした彼とは違い、肩の力を抜いて、いろんな現実を受け入れて、だけど確かな情熱をその胸に抱いて、播戸はいま、沖縄にいる。