ベテランJリーガーの決断~彼らはなぜ「現役」にこだわるのか第1回:播戸竜二(FC琉球)/前編 日焼けした顔に満面の笑みを浮かべて、約束の取材場所に現れた播戸竜二(ばんど・りゅうじ/38歳)は、開口一番、こう言って笑った。J3のFC琉球に…
ベテランJリーガーの決断
~彼らはなぜ「現役」にこだわるのか
第1回:播戸竜二(FC琉球)/前編
日焼けした顔に満面の笑みを浮かべて、約束の取材場所に現れた播戸竜二(ばんど・りゅうじ/38歳)は、開口一番、こう言って笑った。
J3のFC琉球に移籍した播戸竜二
「練習が終わったあと、一旦、家に帰って洗濯をし、それを干してから出てきたわ。やることがたくさんあるから忙しいで、ここは。でも、新鮮でいいわ!」
J3のFC琉球への加入記者会見を終えてから、約3週間後のことだ。「さすが、馴染むのが早いですね」と返すと、意外な言葉が返ってきた。
「正直、加入してすぐの頃はいろんなことが衝撃的すぎて、この毎日を1年間続けられる自信が持てずに、『無理や、やめよう』って思ったけどね(笑)。でも、加入前に描いていた、自分が積み上げてきた経験を生かして……っていう考えは捨てて、というか、正直、そんなものは『ここではいらんな』と思えるようになってからは、逆にすごく楽になった。
クラブハウスなんてもちろんないし、練習場にシャワーがないのも、自分で洗濯をするのも当たり前。弁当が配られても、油モノばかりとか……そういうJ3の現状を知って、今まで在籍したクラブでは常識と思ってきたことが、全Jクラブに通じるものではないということ。俺が加入したのは、『そういうレベルで戦っているクラブなんや』と、受け入れてからは楽になった。
ただ、せっかく呼んでもらってここに来たからには、FC琉球の現状は受け入れつつも、その中で自分は何をするのか、できるのか、するべきなのかを考えながら前を向く1年にしたいと思ってる」
播戸が前所属の大宮アルディージャから「来季は契約しない」と伝えられたのは、昨年の11月終わりのことだった。
チームのJ2降格が決定的となった中で、播戸にはこれまでの経験から「契約の延長はしてもらえないだろうな」という予感があったという。だからこそ「次のステップに行くなら、早く結論がわかったほうがいい」と代理人を通してクラブに確認してもらい、契約延長がないことを告げられた。
「一昨年に続き、昨シーズンもケガで離脱している期間が長かったからね。ある程度、覚悟していたところもあった。ただ、体としては『正直、厳しくなってきたな』という自覚はあったものの、9月に負ったケガから復帰してからはコンディションが少しずつ上がってきているのを感じていたから。戦う場所が変わっても、『やれる』という気持ちはあったし、むしろ『来季はどこでやれるんかな』くらいの感覚でいた。それが、J1リーグではなくても、ね。そういう意味では、自分に対する自信もあったし、だからこそ、大宮から契約満了を告げられても”引退”を考えるようなことはまったくなかった」
だが、その播戸の心にあったはずの”自信”は12月に入り、時間の経過とともに薄れていく。
体の状態が万全ではなかったことと、「Jリーグでこれだけのキャリアを積み上げてきた自分がわずか1試合、しかも30分で評価されたくない」という考えから、合同トライアウトも受けずにオファーを待ったが、話があったのはFC琉球のみ。突きつけられたのは、あまりに厳しい現実だった。
「自分としては正直、大宮との契約がないことが明らかになったら、いくつかのチームが手を挙げてくれると思っていたけど、話をもらったのはJ3リーグのFC琉球だけ。J2にステージを下げてでも……という自分の考えが、いかに甘かったのかを思い知らされた。と同時に、自分に対する世間の評価はそういうことなんやな、と。
どれだけ自分が『やれる!』と思っていても、プロサッカー選手って周りに評価されて初めて契約できるもの。その周りから評価されないということは……その現実は受け入れるべきだし、それならもう、やめてもいいんちゃうかと。初めて”引退”を真剣に考えた」
そこからは時間を要した。
1998年にプロになってから20年。一度も考えなかった「引退」の二文字が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え、と繰り返しながら時間が過ぎていく。気がつけば、12月は終わり、プロサッカー人生で初めて所属チームが決まらないまま、新たな年を迎えていた。
「まさか、自分が引退を考えることになるなんて、正直、僕自身も意外やった。そもそもは、やめるつもりなんてまったくなかったし。でも『評価されない、求められないのにサッカーやるって何なんや?』ってことをずっと考えて……。もちろん、ここまで長くプロとして戦ってきたわけやから、選手として『やり切った』と思える終わり方ができたら理想やけど、この先、現役を続けたとして、そんな気持ちになれるのかもわからんかったしね。
でもじゃあ、いざ『引退して何をしよう?』って考えたら、それもない。僕なりにこれまでいろんなことを考えて、行動してきたつもりやけど、いざやめるとなったら、何ひとつ現実的に”仕事”として考えられるものがない。周りから、『引退するなら、うちの会社でこういうことをしてくれないか』的な話もなかったしさ。
つまり、俺、何もないやん、と。だから正直、焦った。あまりに何もない自分にめちゃめちゃ焦った。でも、いつまでたっても考えが定まらなくて。っていうか……正直、この時期はまともに何も考えられなかったというか、考えることをどこかで放棄している自分がいた気もする」
(つづく)