2018年シーズンに向けて、ホンダは大きく舵を切った。 名門マクラーレンと決別し、中堅トロロッソとタッグを組むというだけではない。ホンダ自身も開発と運営の体制をガラリと変え、2015年に復帰した第4期F1活動は再出発を切るどころか、&…

 2018年シーズンに向けて、ホンダは大きく舵を切った。

 名門マクラーレンと決別し、中堅トロロッソとタッグを組むというだけではない。ホンダ自身も開発と運営の体制をガラリと変え、2015年に復帰した第4期F1活動は再出発を切るどころか、”第5期”と呼んでも差し支えないほどの変貌を遂げようとしている。



F1ホンダを牽引する山本雅史氏(左)と浅木泰昭氏(右)

 開発のトップに就いたのは、浅木泰昭。1980年代に第2期F1活動の立ち上げから携わり、連戦連勝の成功を肌身で味わった人物だ。

「当時ホンダはF2を隅っこのほうで細々とやっているくらいで、まったく何もないところからスタートしました。1.5リッターV10ターボをはじめいろいろ検討しましたが、燃費規制導入の情報を鑑みて、F2で成功していた2リッターV6エンジンをショートストロークにし、バカでかいボア(ピストンの径)にものすごく短いストロークというエンジンでF1を戦い始めました。

 過給エンジンでボアが大きすぎるとなると、ピストンの耐久性を担保できないんです。それで私も相当生意気な人間なんで、まだ24~25歳だったけど上司に喰ってかかって、『こんなボアで戦えるわけないじゃないか!』って言って(苦笑)」

 まだ小さな所帯だった当時のF1開発部隊では、燃焼からターボ、制御、耐久テストまでなんでもやり、全部に口を出したという。1983年にスピリット・ホンダでF1に復帰したホンダは同年にウイリアムズと組み、エンジンのボアを縮小してロングストローク化した1985年からは急激に力をつけ、頂点へと駆け上がっていった。

 短期間での成功の裏には、勝つためには何でもやるという血気盛んなところと、どんな意見でも耳を傾けるという風通しのよさがあった。それがホンダらしさの源(みなもと)であり、ホンダの強みだった。

「当時のホンダにはまだ中小企業の名残みたいなところがあって、若造の言うことでも馬鹿にせずにちゃんと聞いてくれる雰囲気があった。そんなところから段々勝てるようになっていったんです」

 そのF1での成功経験が、その後の自分を形成したと浅木は語る。

 F1から離れ量産車の開発に移った浅木は、北米市場向け『レジェンド』のV6エンジンを担当。北米市場で目の当たりにした人々の生活様式から、日本でも同じようにミニバンが売れる時代が来ると直感し、初代『オデッセイ』を提案する。既存の工場ラインで製造するために『アコード』をベースにし、その車体サイズに合わせるかたちで直列4気筒エンジンを作ってヒットさせた。

 常識から外れたことをやり、「上司にはものすごく怒られたし、冷や飯も食わされた」という浅木だが、それでも信念を曲げずに貫き通した。他社が開発に苦労していた気筒休止による低燃費エンジン制御も世界で初めて成功させ、浅木のそのスタンスはその後に配属された軽自動車部門でも遺憾なく発揮された。

 赤字で撤退すら視野に入り、立て直しは絶望的だとさえ言われていた軽自動車部門で、浅木は『N-BOX』を生み出してリーマンショックで落ち込んでいたホンダの業績を一変させるほどの大ヒットを飛ばしたのだ。

「私は変な人間で、不可能だと言われるほうが燃えるんです。周りが不可能だと言えば言うほど、チャンスだと思う。『俺じゃなきゃできないんだっていうことを証明してやる』って気持ちになる。

 その大もとになっているのは、第2期F1ですよ。難易度の高いことをやり、このままやっても勝てるかどうかわからない先の見えないなかでも、あきらめずにもがきながらやり続け、勝てるようになった。それがどういうことなのかを経験させてもらったからこそ、他のプロジェクトでも同じような感覚で挑戦できるんだと思います。

 会社が順調なときには目の前の技術に集中できる人が活躍するけど、ピンチになればなるほど『自分のチャンスだ』と思えるような変な技術者――そういう人材が生きるんです。私はそれを実践したつもりです」

 そんな浅木が抜擢されたということは、すなわちホンダのF1活動が危機に直面しているということだ。

 ホンダ本社のマネージメントを取り仕切る山本雅史モータースポーツ部長も、浅木と同じく豪腕で知られる人物だ。カートで全日本選手権まで争っていた生粋のレース好きで、モータースポーツ部長に就く前は研究所に在籍していた山本は、浅木の強みもよく知っている。

「研究所にいたときから、浅木とは『ホンダのモータースポーツはこのままじゃヤバいよね』という話をしていたんです。そう言っていたら、僕がモータースポーツ部長になり、そして浅木がこのポジションになって……」

 そう言って苦笑いする山本だが、2016年4月にその職に就いてから組織体制面の見直しに腐心してきた。F1に限らずモータースポーツ活動全体において、山本が思い描くホンダらしいホンダにするために、変えるべきところは変え、見直すべきところは見直した。その成果が佐藤琢磨のインディアナポリス500優勝であり、スーパーフォーミュラやスーパーGTのパフォーマンスの向上でもあり、各カテゴリーで徐々に結果が出始めている。

 そしてついに、F1にも大ナタが入ることになった。よりホンダらしく、自由闊達で、スピーディーな開発のためだ。

「マクラーレンにいろいろと非難されたように、F1で戦うにはスピード感も必要だし、それはその通りだと真摯に受け止めていました。レースというのは、今日決めたら今日やらなきゃいけないことがたくさんあるし、組織に階層を作っていたらそれだけで(ひとつ決めるのに)3日~4日かかって、それでもう勝負は終わっているんです」

 それを変えるために、浅木をトップに据え、スピーディーに判断して開発を進めていく。

「勝つためにはなんでもやるけど、ダメなものはやめるという割り切りも必要なんです。足し算だけでなく、引き算もできなければいけない。人の数には限りがあるわけで、足し算ばかりではオーバーフローするだけですから。浅木は先を描いて動くということができる数少ない人材のひとりです。ポイントをちゃんと見つけて、針に糸を通すようなことを考えて動ける人なんです」

 もうひとつ、ホンダらしさを取り戻すカギになるのは、ホンダらしい人間がちゃんと実力を発揮できる環境を整えることだ。

 ファンの間からは、第4期F1活動の体たらくに「ホンダは本当に勝つ気があるのか?」という声も聞こえてくる。しかし、浅木や山本がそうであったように、枠にはまらないような人間が力を発揮してこそ、ブレイクスルーは生まれる。今のホンダがホンダらしく見えないのは、そういうところに原因があると山本は言う。

「僕や浅木なんて猛獣だったけど、そんな猛獣を使うコツがあるんですよ。今のホンダにはそういう猛獣使いが減ってしまった」

 彼ら自身が猛獣だからこそ、猛獣のようなスタッフをうまく生かすことができる。浅木は言う。

「私のマネージメントで普通と違うのは、社内のはぐれ者になっているような人間、扱いにくいと思われているような人間が力を発揮できる環境を作るところ。そういう人って、頭はいいけどその気にならなきゃ全然働かなかったりする。だけどベクトルが合うと、倍働くんですよね。私もそうだし、そういう人の気持ちはよくわかる。彼らが倍働くようになれば、HRD Sakuraは雰囲気も含めてよくなると思います」

 やる気がないように見えるというのも、「不可能命題のようなものを与えられ、世間からの大きな期待とプレッシャーにさらされて、それが焦りになって空回りしている部分があるように見受けられる」と浅木は言う。その空回りを落ち着かせるのも、自分の役目だという。

 ただ、巨大な船は舵を切ってもすぐには反応せず、進行方向が変わるまでには時間を要するものだ。組織全体を変革し、その効果が結果となって表れてくるまでには、半年はかかるだろうと浅木は見ている。

「今はそれをやっている最中だし、そんなにすぐはできない。やはりあと半年くらいは時間がほしい。でも、我々に残されている時間はそんなにないとも認識しています」

 開幕前テストが始まった2018年型パワーユニットの技術詳細については、まだ何も明かしてはくれない。しかし、まず重点を置いたのは、信頼性であることは言葉の端々から感じられた。

「まずは落ち着いてスタートを切ること。去年のように、トラックテストもロクにできずに車体側のテストができないということがないように。特にドライバーも新人ですから、(開幕前テストで)たくさん走るということがチームとしての総合力を上げることになると思います。

 当然パワーを上げることもやっていきますけど、モノには順番というものがあります。これまでと違うシャシーに積むだけでも初めて経験することがあるわけですから、まずはそこでトラブルが起きないよう注意深く進めます。そこから先の技術は、まだ言えません」

 昨年型ではTC(ターボチャージャー)のタービンとMGU-H(※)をつなぐシャフトに負荷がかかり、そのベアリング破損という問題を抱えた。これは昨シーズン中から見直しを進め、「ちょっと見渡せばホンダは結構大きな会社で、よく見ればいろんな人がいて、ジェット機を作っている人までいる。HRD Sakuraのこぢんまりしたところでやるのではなく、『オールホンダ』のパワーをどう使って競争力を上げていくか。それを去年中から始めています」と、さまざまな技術を意欲的に採り入れていることも示唆している。

※MGU-H=Motor Generator Unit-Heatの略。排気ガスから熱エネルギーを回生する装置。

 まずは昨年型の延長線上で、”大コケ”をしないパワーユニットでシーズンの開幕を切る。驚くようなパフォーマンスは期待できないかもしれないが、年間3基という規定を守り、残り2回のアップデートのタイミングでパフォーマンスを向上させていく。浅木の言葉を信じるなら、猛獣たちがこれまでになかったような力を、そこで発揮してくれるはずだ。

 トロロッソは初のワークス体制でパワーユニットメーカーと直接やりとりをしながらマシンを開発していく自由度の高さを歓迎し、その利を最大限に生かそうとしている。マネージメント面でも、マクラーレンのような政治的な要素のないシンプルな体制であり、レースに専念できる。

 ホンダは”第5期”と呼んでも差し支えないような新章へと再出発を切ろうとしている。その変革は、すぐに我々の目に見えてはこないだろう。しかし、着実にホンダはホンダらしく生まれ変わっていく。山本と浅木というふたりの猛獣使いが、それを果たしてくれるはずだ。

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