「打倒ワークスチーム」を目標に掲げ、スーパーGT300クラスにチャレンジする「最強プライベーター」VivaC team TSUCHIYA。2016シーズンは初の年間チャンピオンに輝き、チームは歓喜に沸いた。 しかし、シーズン最終戦の終了…

「打倒ワークスチーム」を目標に掲げ、スーパーGT300クラスにチャレンジする「最強プライベーター」VivaC team TSUCHIYA。2016シーズンは初の年間チャンピオンに輝き、チームは歓喜に沸いた。

 しかし、シーズン最終戦の終了直後、チーム土屋に激震が走る。監督・土屋武士の父であり、つちやエンジニアリングに欠かせない存在の春雄氏が口腔底(こうくうてい)ガンで入院することになったのだ。



左から、山下健太(左)、土屋武士監督(中央)、松井孝允(右)

 2017シーズンのVivaC team TSUCHIYAは、前年はドライバーとしてチャンピオンになった土屋武士が監督・エンジニアに専念し、新たな体制でスタートを切ることになっていた。新シーズンに向けた大事な準備段階の時期に、つちやエンジニアリングは”伝説のメカニック”として知られる唯一無二の大黒柱を欠くことになったのである。

「新シーズンは『親父が現場にいない』という大事件から始まりました。病気という事情もあるけど、ガレージの柱となる人がいなくなったわけじゃないですか。それが2017年のスタートでした」

 土屋武士はシーズン前の心境をこう振り返る。

 今、自分がやるべきことは、何なのか――。

 そう思い巡らせた土屋武士は、大黒柱だった父が抜けた穴を埋めるべく、自身もメカニックのひとりになって2017年仕様のマシンを組み上げることを決断した。

「自分の立場(チームオーナー)として、また息子として、親父を安心させたいと思いました。それがイコール、自分のやるべきこと。やっぱり、ちゃんとクルマを走らせることが一番重要だと思いましたし、抜けた穴を埋めるために自分のできる限りのことをするように心がけました」

 チームオーナーとしての業務に加え、前年チャンピオンという立場だけにメディア取材の対応に割かれる時間も少なくなかった。それでも彼は逃げ出さず、時には家族との時間を犠牲にしてでもマシンを組み上げていった。

 そして、2017シーズンが開幕。第1戦・岡山は4位入賞したものの、第2戦・富士は15位に沈み、思うような結果を残せないレースが続いた。

 だが、土屋武士の苦労が第3戦・オートポリスでようやく報われる。ナンバー61のSUBARU BRZ R&D SPORTとの激闘を制し、0.091秒差で優勝することができたのだ。レース後、土屋武士は「日ごろから知恵を振り絞っていたからこそ掴んだ勝利だった」と語る。

「以前から抱えていた燃料ポンプのトラブルを、本当に頭を悩ませながら対策しました。オートポリスのときも決勝中に(トラブルが)出たので、燃料を少し多めに入れてみたり、いろんな対策をしたおかげでギリギリ勝てたという感じです。

 もしその対策のうち、ひとつでもやっていなかったら勝てていなかった。神様が『(普段から)ちゃんとやっておかなきゃダメでしょ』というのを教えてくれたレースでしたね」

 この勝利を機に、チームは勢いを加速させた。順調にポイントを重ねてランキングトップで迎えた第6戦・鈴鹿――。82kgの重いウェイトハンデを背負い絶対的不利と予想された予選で、山下健太がコースレコードを大幅に塗り替える1分57秒543を叩き出す。この圧倒的な速さには周囲も驚き、チームのポテンシャルの高さを賞賛する声も日に日に大きくなっていった。

「今年もチャンピオンは25号車だ」

 そんな雰囲気が漂い始めていた矢先、決勝でまさかの事件が起きる。

 終盤までトップ争いを繰り広げたチーム土屋は、2位でフィニッシュが確実と思われていた。ところが残り4周で大クラッシュを喫し、マシンは激しく横転してしまう。ドライブしていた松井孝允(たかみつ)にケガはなかったものの、マシンは大破してしまった。

 次戦は、海外でのレースとなる第7戦・タイ――。マシンの輸送日程を考えると、修復に費やせる時間はわずかしか残されてない。土屋武士は少しでも修復時間を稼ぐため、通常なら船で行なう輸送を高価な空輸に変更することを決断し、なんとか第7戦・タイの出走に間に合わせることができた。

 だが、タイでのチーム土屋は、前戦までのような「他を圧倒する速さ」を披露することはなかった。結果は15位。チャンピオン候補から一転し、最終戦を待たずにその可能性を失ってしまう。最終戦・もてぎは5位でフィニッシュ。VivaC team TSUCHIYAは総合6位でシーズンを終えた。

「鈴鹿で順当に2位フィニッシュできていたら、タイでも表彰台あたりまでいけたかもしれません。最終戦・もてぎも調子がよかったので、年間チャンピオンを獲得できていた可能性もあったと思います」

 シーズン終了後、土屋武士は鈴鹿でのクラッシュを後悔しているかと思われた。ところがこちらの予想に反し、彼は鈴鹿でのクラッシュを「プライベーターとして一番重要なことを再確認できた、いい機会」と前向きに捉えていたのである。

「たとえば同じ(モデルの)靴でも、長年履き慣れたものと新品とでは、履き心地が違うじゃないですか。『なぜ鈴鹿であんなに速かったのか?』と考えたときに、それは馴染んだ靴を履いていたからなんです。常にクルマのことを考えて、メカニックと一緒に(クルマに)触って、パーツのひずみを見て、各部を細かく計測して……。そういうことをコツコツやってきたから、あのスピードが実現したのだと。

 だから、クラッシュして(同じように)新しく組み直したからといって、(パフォーマンスが)同じになるということは絶対にあり得ないんです。そのアルミを何年使っているのか、その鉄を何レース使っているのか……。それらも含めてすべてが『セットアップ』なんですよね。

 コピー用紙1枚は薄っぺらいけど、積み重ねていくと分厚くなるのと同じように、僕たちは常に0.001秒を削ることを積み重ねてきただけです。周りからは『速い』と言われていますが、それをずっとしつこくやってきただけなんですよね。今回は鈴鹿でのクラッシュで(積み重ねてきたものが)リセットされました。『プライベーターというのは、そこをサボったら絶対に勝てないんだな』というのがわかったシーズンでした」

 毎日マシンと向き合い、各パーツの細かな変化も見逃さず、状況に応じて最高の状態に仕上げていく――。その高い意識と妥協のない作業が、昨年の彼らが見せた「速さの秘訣」だった。そして図らずも、2015年の参戦時から積み上げ続けてきたマシンがクラッシュによってバラバラになったことで、初めてその重要さを再確認することになったのだ。

 また、チームにとって収穫は、マシンのことだけではないという。エースドライバーへと成長した松井も、あのクラッシュで気づけたことが多かったと語る。

「鈴鹿のときは自分自身をコントロールできていなくて、多少無理をしていたというのが反省点でした。そこからドライビングスタイルを特に変えたわけではないんですが、改めて僕のいいところと悪いところを見直しました。できること、できないことは人それぞれ。僕にとって非常にいい経験でした」

 土屋武士は2017年をこう振り返る。

「結果的にお金はかかりましたが、すごくいい(成長の)キッカケになったし、2016年とは比べ物にならないくらい中身の濃い1年でした。2017年の僕たちのテーマは『昨日の自分に負けない』でした。これを最後までやり切れたことが、これからの僕たちにとってものすごい財産になると思います」

 土屋武士の2017シーズンは、父・春雄氏の入院という大事件から始まった。しかし皮肉なことに、その父がいないからこそ、マシンと向き合えた。

「レースで勝てるマシン」「周りから速いと恐れられるマシン」を組み上げるのに、特別なことは何ひとつない。とにかく地道に、細かな変化も見逃さず、丁寧にマシンと向き合っていくだけ……。これこそが「最速への一番の近道」なのだということを、改めて感じさせてくれたシーズンだった。

 2018シーズン、VivaC team TSUCHIYAのドライバー体制は現時点で未定だが、引き続き86 MCでGT300クラスに参戦予定だという。今年は我々にどんなドラマを魅せてくれるのか、「打倒ワークス」を掲げる町工場チームの物語は今後も続いていく。