「彼は新しい時代の卓球をやっている」 全日本卓球選手権の男子シングルス準決勝で、張本智和(JOCエリートアカデミー)にストレートで破れた森園政崇(明治大)が口にした言葉は、決勝のコートで起こるドラマを予言していたのかもしれない。全日本卓…

「彼は新しい時代の卓球をやっている」

 全日本卓球選手権の男子シングルス準決勝で、張本智和(JOCエリートアカデミー)にストレートで破れた森園政崇(明治大)が口にした言葉は、決勝のコートで起こるドラマを予言していたのかもしれない。




全日本卓球選手権の男子シングルスを制した張本智和

 14歳7カ月の”怪物”が、通算10度目の優勝を目指す”絶対王者”水谷隼(木下グループ)に挑んだ一戦。それを見守った約7000人の観客は、試合が進むにつれて森園と同じ思いを抱いたのではないか。今、目の前で繰り広げられているのは、これまでに見たことのない卓球だ、と。

2度と破られないであろう最年少優勝記録が歴史に刻まれた最大の要因も、その一点に尽きる。

「想像していた以上に相手の思いきりがよくて、僕が縮こまってしまった」

 敗れた水谷が試合の入りをそう悔やんだように、第1ゲームを張本が11-9と奪った時点で、試合の趨勢(すうせい)はほぼ決していたのかもしれない。ポイント差以上に、張本の攻撃的なスタイルが王者を圧倒していたからだ。

 サービスからの3球目攻撃でポイントを重ねたかと思うと、打球点の速い台上のプレーでボールを左右に散らし、強烈なフォアハンドをコーナーぎりぎりに打ち抜いていく。どんな局面になっても「守る」という意識がないのか、水谷が攻めに出たボールも強烈なカウンターで返し、攻守を逆転してしまう。

 攻めて、攻めて、さらに攻める。

 そんな14歳の波状攻撃、つまり、それまで見たことのなかった卓球に、水谷は森園と同じような感覚を抱いたのではないだろうか。

 受けても強いはずの、リオ五輪銅メダリストである水谷が左右に振り回され、ノータッチでポイントを奪われる姿は、過去の全日本では見られなかった光景だ。

 さらに印象的だったのは、課題とされていたフォアハンドとフットワークを強化した張本が、ラリー戦でも著しい成長を見せたことである。準決勝で水谷にストレートで敗れた松平健太(木下グループ)は、「前に出ないと勝てないことがわかっていたけど、下がらされた」と語ったが、張本は台から下がった中陣、あるいは後陣の位置からでも、水谷と互角以上のプレーを見せたのだ。

 水谷が驚異的な身体能力とボールタッチで張本の強打を返せば返すほど、”怪物”のポテンシャルがさらに引き出されていく。今大会で異次元の強さを発揮した両雄の対決は、最後までそんな展開が続いた。

 一気に男子卓球界の主役となった張本が日本に帰化したのは、2014年の春である。このとき、小学5年生の少年が口にした「2020年の東京五輪で金メダルを獲りたい」という夢を、現実的に受け止めた人はほとんどいなかっただろう。

 この情報に過敏に反応した中国のメディアが「どれだけ天賦の才があったとしても、(東京五輪をむかえる)16歳で世界の頂点に立つのは難しい」と報じたことは、少年が紡いでいくサクセスストーリーの小さなアクセントになるかもしれない。


「チョレイ」という雄たけびや、勝利の際の

「ハリバウワー」も大きな話題に

 振り返れば振り返るほど、信じられないスピードで成長を続ける張本の視線の先には、常に水谷がいた。

 エリートアカデミーに所属して間もないころ、代表合宿で初めて胸を借りたときにはまったく歯が立たなかった。

「他の先輩たちとも打ち合いましたが、水谷さんだけは別格だと思いました。ポイントをとるイメージがまったく湧かなかったのは初めてでしたから」

 その直後に水谷がリオ五輪でメダルを獲得すると、その存在はさらに大きくなった。1年前の全日本選手権ジュニアの部(高校2年生以下)の準々決勝で敗れ、人目もはばからずに号泣したのも、水谷が中学2年のときにジュニアの部を制していたことを強く意識していたからだ。

 その半年後の世界選手権デュッセルドルフ大会で水谷を破ったときも、ヒーローのプレーを冷静に分析することを忘れなかった。

「負けても失うものがない僕とは逆に、水谷さんには絶対に負けられないプレッシャーがあったはず。あんなにレシーブがうまい人なのに、少しボールが浮いていました」

 そして1月21日、東京五輪の卓球会場でもある東京体育館のセンターコートで水谷を圧倒した14歳は、「相手が水谷さんだから、120%の力が出た」と憧れの人に敬意を示したうえで、こう言い切った。

「世界選手権のときは勢いで勝ったけど、今回は実力で勝ったという気持ちがある。これからは自分の時代。水谷さんみたいに10回くらい優勝できる選手になりたい」

 一方で、「今日の張本が特別でなかったなら、何度やっても僕は勝てない。中国選手と同じくらいのレベル」と勝者に最大級の賛辞を送った水谷だが、張本のような才能の台頭は、彼が長らく待ち望んでいたことだった。

 水谷が初めて団体戦の代表として出場した2006年の世界選手権ブレーメン大会で、男子の日本代表は過去最低の14位に沈んだ。以来、孤高の存在として男子卓球界を支えてきた水谷は、「僕を超える才能が出てこないと、”打倒中国”は果たせない」と言い続けてきた。「卓球をメジャー競技にするためにも、そんな才能が必要なんです」と。

 そんな水谷にとって、14歳も年下の才能による「新たな時代の卓球」は、これまで国内のコートでは味わったことのない刺激を与えてくれたはずである。

 実際に決勝では、第5ゲームを9-4とリードしたあと、張本の上から叩きつけるようなスイングで、しかも瞬時にボールに回転をかけながら打ち込んだ一撃は、水谷がこれまでに見せたことのなかったプレーである。この1本に、王者の矜持(きょうじ)と、さらなる進化につながる一筋の光を見いだしたファンもいるだろう。

 水谷は13万人近いフォロワーがいるツイッターに、「俺はこんなとこでくたばりません」と書き込んだ。そんなメダリストの存在をこれからも意識せざるをえない張本は、変わらぬ決意を改めて宣言した。

「2年後のオリンピックでまたこの会場に戻ってきて、金メダルを2つ獲れるように頑張ります」

 2020年の夏、東京体育館のコートにこの2人が、あるいは2人に触発された新たな才能が立ったとき、世界の卓球界の勢力図は大きく書き換えられるかもしれない。

 14歳の勝者が見せた底しれないポテンシャルと、28歳の敗者がにじませたプライドの先に、そんな未来が見えたような気がする。