最終戦まで白熱のチャンピオン争いが繰り広げられた2017年のスーパーGT。最後にGT300クラスを制したのは、人気キャラクター「初音ミク」が車体に大きく描かれた”痛車”だった。初音ミクがマシンに大きく描かれたメルセデスAMG GT3はイン…

 最終戦まで白熱のチャンピオン争いが繰り広げられた2017年のスーパーGT。最後にGT300クラスを制したのは、人気キャラクター「初音ミク」が車体に大きく描かれた”痛車”だった。



初音ミクがマシンに大きく描かれたメルセデスAMG GT3はインパクト大

 ナンバー4、グッドスマイル初音ミクAMG--。チーム3度目の年間チャンピオンに輝き、今ではすっかりGT300の強豪という印象だが、このポジションを手にするためまでは苦労と努力の繰り返しだった。

 2008年の第6戦・鈴鹿、「Studie & GLAD with ASADA Racing」がBMW Z4でエントリー。このチームへのスポンサーという形で初音ミクがマシンに描かれたのが、「初音ミクGTプロジェクト」のスタートだった。

 初音ミクがスーパーGTに参入したキッカケについて、玩具メーカー「グッドスマイルカンパニー」の社長であり、現在チーム「グッドスマイルレーシング」の代表を務める安藝貴範(あき・たかのり)はこのように振り返った。

「GLAD Racingさんがレースに参戦をしたいと思ったとき、『当時流行っていた痛車を走らせればスポンサーも集まりやすいんじゃなかろうか?』ということになって、僕のところに相談がきました。そこで、『世に出たばかりでファンもすごく応援している初音ミクがいいんじゃないか』という話になったのが、スタートしたキッカケでした」

 しかし、参戦当初はトラブルが多く、2009年も開幕戦から出走したものの、予選落ちを喫してしまうこともあった。

「最初は”痛車”というのもあったし、チームも強くなかったので、どこか草レースのような感覚でやっていたところはありました。周りの邪魔をしていた部分もあったのかもしれません。”イロモノ”という見方がありましたからね……。でも、よく受け入れてくれていたなと思います。『ちょっと、わきまえろよ』という視線は感じましたけど、『(パドックから)出て行け!』というような感じはまったくなかったです」

 安藝は当時をそう振り返る。だが、決して遊び感覚だけでレースに参戦したわけではない。

「ファンとしっかりコミュニケーションをとって、情報を開示し、一緒に喜んでもらい、みんなからお金を出してもらう。ファンの気持ちと行動が強さに直結するというのが、僕たちの方法論です。それが受け入れられて、レース業界全体にいい影響を与えた部分もあったと思います」

 最初は”痛車”というイメージが先行していたが、2011年に大きな転換期を迎える。ポルシェを使用していた前年のマシンを2011年からBMWに戻し、Z4 GT3で戦うことにした。さらに、ドライバーにはGT300クラスのトップドライバーのひとりである谷口信輝が加わり、元F1ドライバーの片山右京もスポーティングディレクターとしてチームの一員となった。

 この移籍について、谷口は当時をこう振り返る。

「僕はチャンピオンを獲りたい人間なので、正直それまでのグッドスマイルレーシングにはあまり魅力を感じていませんでした。だから2011シーズンに向けてオファーを受けたとき、(当時監督の)大橋逸夫さんにメンテナンスガレージやチーム体制について、いろいろとリクエストを出しました。その結果、うまくシリーズを戦うことができたんです」

 番場琢とコンビを組んだ谷口は第3戦・セパンでチームに初優勝をもたらすと、第6戦・富士と最終戦・もてぎでも優勝してシリーズチャンピオンを獲得。谷口にとっても、スーパーGTで初の年間王者に輝いた。

「(2011年は)僕がGTに参戦して10年目で、初めてのチャンピオンでした。これまで何度もチャンスはありましたが、不運もあって悔しい思いばかりだったので、2011年は感慨深いシーズンでした」

 チャンピオンを獲得したことにより、グッドスマイルレーシングへのイメージは一気に変わり、注目度も格段に大きくなった。2012年にはGT500クラスでの参戦経験もある片岡龍也が加入するが、そのときの印象は「痛車」というよりも「トップチーム」というイメージのほうが強かったという。

「痛車というのは自分にとって異文化だったし、そこに関わることはないだろうと思っていました。でも、2011年に谷口さんがチャンピオンを獲ったことによって、印象は変わったと思います。2012シーズンに向けて声をかけられたときは、単純に前年のチャンピオンチームに加わるという感じだったので、『痛車には乗りたくないな……』という意識は一切なかったですね」

 2012年は第2戦・富士の優勝で総合4位に食い込み、2013年もシーズン後半戦に2連勝して総合3位。そして2014年は新車のBMW Z4 GT3を投入した効果もあって開幕2連勝を果たし、チーム2度目のチャンピオンを獲得する。

「連覇を目指そう!」

 2015年は早々にチーム内で目標を定めるなど、すっかりチャンピオン争いの常連になった。

 しかし、マシンをBMWからメルセデスに変更したときから、苦戦の日々が始まる。2015年は実績のあるSLS AMG GT3を使用し、2016年は最新モデルのAMG GT3を導入したものの、なかなか思うようなパフォーマンスを発揮できず、2シーズン続けて未勝利に終わってしまった。

「苦戦しましたね。マシンを変えたことによってよくなるかなと思ったんですけど。データ不足やタイヤのマッチングなども含めて、車両を変えたことによってシンプルに苦戦したなという感じでした」(片岡)

「メルセデスに変更したタイミングがちょっと悪かった部分もあります。2016年には新型のAMG GT3を導入し、開幕戦こそよかったのですが、それ以降は性能調整を受けて直線のスピードが伸びなくなって苦しみました」(谷口)

 そんな試行錯誤を繰り返しながら、対策を練って挑んだ2017シーズン。その努力はついに報われる。開幕戦の岡山で3年ぶりに優勝。その後も安定したレース運びを見せ、最終的には8戦中4回も表彰台を獲得する活躍で3度目のシリーズチャンピオンに輝いた。

 だが、チームを率いる片山監督は、決してライバルに対して優位性を感じたシーズンではなかったと語る。

「チャンピオン獲得は3度目でしたが、正直2017年が一番厳しかったです。以前と比べるとGT300のレースレベルが非常に上がっていて、海外自動車メーカーの力の入れ方も、ものすごく高くなりました。さらにタイヤ戦争や性能調整もあったので、勝っているところと負けているところ--運のいい悪いがハッキリしていました」

 一方、チームの成長を感じることのできたシーズンだったとも言う。

「昨年まで取り組んできたことが少しずつ花開き始めて、それが開幕戦・岡山の優勝や第2戦・富士でのポールポジションにつながった。第6戦・鈴鹿では100kgのウェイトハンデを積んでいながら予選4番手を記録できましたし。これらの結果は、トータルで底上げができたからだと思います。また、ドライバーのふたりもがんばってくれて、厳しいと言われていたレースでも結果を残してくれました」

 彼らが成長できた要因のひとつに、チームが導入している「個人スポンサー制度」の成果もあるだろう。「初音ミクGTプロジェクト」発足後の早い段階から立ち上げ、ファンが直接チームを支援する体制を築き上げてきた。今では毎年シーズンを通して数千人の個人スポンサーが集まり、各サーキットで熱烈に応援しているファンの姿も見られる。

 個人スポンサーのサポートについて、片山監督やドライバーたちは「さまざまな意味でチームを支える大きな力になっている」と語った。

「(初音ミクの痛車について)正直、最初ビックリはしたけど、その後は何とも思いませんでした。もともと我々はプライベーターですしね。お金持ちが運営しているわけではなくて、個人スポンサーの応援があって成り立っている。このチームは『集合体みんなの力を合わせればできる』という表現の場所でもあるので、本当に雰囲気は暖かいですね。それは内側にいてすごく感じます」(片山監督)

「最初は正直……場違いなところに来てしまったなと(笑)。圧倒されたところはありましたけど、すぐに慣れましたし、個人スポンサー制度もよくできたシステムだと思います。お金を生みつつ運営もできているので、安藝代表の手腕はすごいなと思いますね」(谷口)

「個人スポンサーのみなさんは本当にこのチームが好きで、結果にかかわらずいつも応援してくれます。サーキットでもホームストレートで毎回旗を振って応援してくれるのは本当にうれしいです。ここのファンは絶対に浮気しないですからね!」(片岡)

「初音ミク」を中心として、チームとファンが一緒に成長してきたグッドスマイルレーシング。最初こそレース業界の間からは「痛車」と揶揄(やゆ)され、風当たりが厳しいときもあったが、そこからコツコツと成績を積み重ねて頂点に上り詰めた。

 2018シーズンは昨年と変わらず谷口/片岡のコンビで、マシンはAMG GT3の新車を導入する。さらには来年8月に開催される「鈴鹿10時間耐久レース」(スーパーGTシリーズとは別レース)への参戦も表明し、こちらには小林可夢偉が第3ドライバーとして加入することがアナウンスされた。

 はたして2018年、彼らはどんな快進撃を見せてくれるのか。2月にお披露目される予定の新カラーリングと同様、今後も目が離せない。