2017年シーズン最後の公式セッションとなるアブダビ合同テストが終わってから1週間後の12月7日、ホンダは突然、F1運営体制の変更を発表した。2年間にわたってF1プロジェクト総責任者を務めてきた長谷川祐介がF1を離れることになった。い…

 2017年シーズン最後の公式セッションとなるアブダビ合同テストが終わってから1週間後の12月7日、ホンダは突然、F1運営体制の変更を発表した。2年間にわたってF1プロジェクト総責任者を務めてきた長谷川祐介がF1を離れることになった。いったい、ホンダに何が起きているのだろうか?



第2期F1活動時のホンダ(写真は1992年)

 今回の体制変更を端的に説明すると、2015年のF1復帰からF1活動のトップとして置いてきた「F1総責任者」というポジションを廃止する。そのF1総責任者が担当してきた役割のうち、パワーユニット開発面はHRD Sakuraの執行役員が担い、レース現場運営面は「テクニカルディレクター」を新たに設置し、開発とレース運営を完全に分担したかたちだ。

 テクニカルディレクターという肩書きからは「F1活動の技術トップ」というイメージを抱きがちだが、その業務内容は開発には直接タッチせず、ホンダR&DヨーロッパUKの所属として英国ミルトンキーンズをベースにレース現場を統括することになる。事実上はオペレーションの責任者であり、やや名前が勝ちすぎているとも言える。

 実際には2017年シーズン途中から長谷川総責任者がミルトンキーンズ所属となり、徐々にこうした体制に移行してきていた。シーズン後半戦はその暫定的な体制で問題なくスムーズに開発とレース運営ができたため、このタイミングでの新体制への移行にもゴーサインが出たというわけだ。

 長谷川総責任者に代わってテクニカルディレクターとして現場統括を引き継ぐのは、田辺豊治エンジニア。

 1984年にホンダに入社し、第2期F1活動でゲルハルト・ベルガーの担当エンジニアを務め、その後はインディカーを経て第3期F1活動でジェンソン・バトン担当エンジニア、最後の2008年はF1開発責任者となっていた。第3期ではバトン担当が田辺、もう1台のジャック・ビルヌーブと佐藤琢磨が長谷川と、このふたりがF1活動の実務面の中心人物だった。

 田辺はその後、アメリカのHPD(ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント)でシニアマネージャーを務め、インディカーのエンジンも担当。今年インディ500で佐藤琢磨が優勝したときや、フェルナンド・アロンソがテスト走行から好走を見せた際にも、すぐそばに田辺の姿があった。今年10月の第17戦・アメリカGPにも姿を見せており、このころからすでに今回の人事は視野に入っていたものと推察される。

 ただし、すでに述べたように、テクニカルディレクターの守備範囲はレース現場の運営である。つまり、できあがったパワーユニットをどう使うかというのが仕事であり、その手腕でパワーユニットが速くなるといったようなものではないことも忘れてはならない。

 それよりもホンダの浮沈を大きく左右しそうなのが、開発面の体制変更だ。

 2015年のF1復帰当初は、新井康久F1総責任者がパワーユニットの開発と現場運営を統括し、さらに本田技術研究所の執行役員として本来の業務であるHRD Sakuraの業務全般も担っていた。

 新井の”定年退職”に合わせて2016年3月には長谷川総責任者に交代。総責任者の負担を軽減するためF1プロジェクトのみに専念するかたちに改められ、今季から開発面は徐々にHRD Sakuraの開発責任者である大津啓司執行役員にその比重が移っていった。

 その後、ホンダ本社の山本雅史モータースポーツ部長がHRD Sakura側の役職も兼任するかたちに。現場と開発と事務方を分離すべきところは分離し、一体化すべきところは一体化することで、スピーディーな決断と開発ができるような体制を構築していった。

 その最後の仕上げが、今回の体制変更だと言っていいだろう。

 大津執行役員に代わってHRD Sakura担当となる浅木泰昭執行役員が開発のトップに就き、F1活動全体を統括する。

 浅木は1981年に入社し、第2期F1活動初期のウイリアムズ・ホンダのころからF1用ターボエンジンの開発に従事した。F1活動休止後は、今のF1と同じV6エンジン担当でレジェンドや北米市場向けミニバンを手がけ、その後は一転して初代オデッセイや北米仕様アコードなどで自ら直4エンジンを提案。2011年には軽自動車の初代『N-BOX』から『N-ONE』までLPL(開発責任者)を務め、ホンダの業績に大きく貢献する車種を生み出し続けてきた。

 過去の実績そのものだけでなく、常識にとらわれず前例のないクルマを生み出すことに成功してきた人物と言っていい。今のホンダに必要とされているのは、まさしくそんな独創的で豪快なホンダらしさを感じさせる開発なのかもしれない。

 2017年シーズンは設計コンセプトをガラリと変えたために開幕前の開発でつまずき、半年遅れでの開発スタートを余儀なくされたため、その遅れを取り戻すのに時間を要してしまった。ターボとMGU-H(※)をつなぐシャフトとベアリングにトラブルが多発したが、すでに基本設計が固まっている今季型に対策を施すには限界があった。この部分の改善についても、来季型ではホンダジェットのタービン技術を採り入れるなどして抜本的対策が進められているという。

※MGU-H=Motor Generator Unit-Heatの略。排気ガスから熱エネルギーを回生する装置。

 昨年のような設計の”ガラチェン”による大きな失敗のおそれはないが、来季は年間3基へとパワーユニットの使用数規制が強化されることもあり、まずはMGU-Hをはじめとした信頼性確保を最優先に開発が進められているようだ。トロロッソとのタッグがスタートし、その先にレッドブルとの提携関係も見え隠れする大事な4年目のシーズンだけに、無謀な開発で大成功を狙うのではなく、絶対に失敗しないアプローチで臨もうというわけだ。

 今季のスペック3.8までの進化によって、来季型パワーユニットのベースとなる性能はすでに確保されており、あとはシーズンを通してこれをいかに伸ばせるかにかかっている。今回の体制変更による開発スピードアップと、浅木エンジニアの手腕がどう生かされるかが問われるのは、むしろシーズンが開幕してからの伸びしろということになるだろう。

「RA618H」と呼ばれることになるであろうホンダの来季型パワーユニットがトロロッソのマシンに搭載され走り出すのは、来年の2月下旬。その瞬間に向けて、ホンダの再出発はすでに始まっている。