テニスだけでなく、バスケットボールやバレーボール、格闘技、またコンサート会場としても使用されてきた有明コロシアムが、11月25日に開催された「ドリームテニスARIAKE 2017 」を最後に、2020年東京オリンピック/パラリンピック…

 テニスだけでなく、バスケットボールやバレーボール、格闘技、またコンサート会場としても使用されてきた有明コロシアムが、11月25日に開催された「ドリームテニスARIAKE 2017 」を最後に、2020年東京オリンピック/パラリンピックへ向けた改修工事に入った。

 有明コロシアムが完成したのは1987年。田園コロシアムの後継施設として、テニスの国際大会が開催できるように新設された。その後1991年には、当時ではまだ珍しかった開閉式の屋根が取り付けられ全天候型センターコートとなっている。

 これまでの30年間、有明コロシアムでは数々の名勝負が繰り広げられたため、いつしか”日本テニスの聖地”と言われるようになった。



ドリームテニスARIAKE 2017に参加した錦織圭と伊達公子

 その歴史の中で、日本男子テニスのトッププレーヤーである錦織圭は、一番印象に残っている記憶として、「やっぱり(2012年の)楽天(ジャパン)オープンで優勝した時ですかね。一番思い出に残っているのは、最初にやっぱり楽天オープンで優勝した時の感動」と振り返る。

 ジャパンオープンが1973年にワールドテニスツアー公式戦となってから、日本男子として初めてシングルスのタイトルを獲得したのが錦織だった。当時22歳の錦織にとっては、2008年ATPデルレイビーチ大会以来”2つ目”のツアータイトルで、松岡修造の記録を抜く日本人男子初の快挙達成の瞬間でもあった。もともと錦織はジャパンオープン制覇への思いが非常に強かったため、母国日本での初優勝は喜びもひと際大きかった。

「この有明は子供の頃から試合を見に来たりしていたので、そういう思い出の場所で自分が優勝できたというのは、とても記憶に残っています」

 当時の錦織は、この初優勝によってATPランキングを17位から自己最高の15位に上昇させて、世界のトップ10入りを視野に入れたのだった。

 一方、女子選手でこの有明コロシアムと結びつきが強いのは、今秋に2度目の引退をした伊達公子であろう。ここで開催されたジャパンオープン女子シングルスで4回優勝(1992、93、94、96年)して、世界のトッププレーヤーになった実力を母国日本で披露した。また、第2次キャリアで初優勝したのは、2008年6月に有明コロシアムで開催されたITF大会だった(ITF大会は、WTAツアーの下部にあたる)。

 有明コロシアムで数々の好試合を演じた伊達は、一番思い出に残っているものとして「フェドカップ」を迷いなく挙げた。

 1996年女子国別対抗戦フェドカップ・ワールドグループI・1回戦「日本 vs. ドイツ」では、劣勢といわれた日本が、大逆転の3勝2敗でドイツを破って初のベスト4に進出した。この対戦は、今でも”有明の奇跡”として語り継がれている。

 その奇跡への原動力となったのが、大会2日目に行なわれた伊達対シュテフィ・グラフだった。伊達は大会初日に左足を負傷し、2日目のグラフとのエース対決では100%の状態ではなかった。あっという間に0-5になったが、そこから開き直った伊達が3時間25分におよぶ大逆転劇を演じ、(7)7-6、3-6、12-10で勝利し、チーム成績を2勝2敗にして最終第5試合へつないだのだった。

「私の中でのベストマッチに入る試合ということもあるのと、対戦相手がやっぱり何よりもグラフだったということ」と伊達は述懐する。当時25歳の彼女にとっては、世界ナンバーワンである女王グラフからの初勝利であり、日本女子選手が世界1位の選手を初めて破る歴史的快挙でもあった。

 また、伊達はあの試合で日本代表チームの選手と観客との間に、今までになかった一体感を感じられたことに大きな意味があったと付け加える。

 現在は世界のトッププレーヤーに成長した錦織の人気のおかげで、ジャパンオープンや男子国別対抗戦・デビスカップでも、有明コロシアムが満席になることは珍しくなくなったが、1990年代では、ジョン・マッケンロー(アメリカ)、ステファン・エドバーグ(スウェーデン)といった海外の人気選手が、ジャンパンオープンの決勝で戦った時ぐらいしか1万人収容のコロシアムは満員にならなかった。

「当時、このコロシアムが満員になって、観客で埋め尽くされるということは不可能だろうと(日本テニス)協会サイドとか皆さんが思っていたところがあった。あの時は、松岡修造さんがいて、(日本)女子も強い時期を迎えていたなかで、有明コロシアムをいっぱいにできたということも重なって、すごく自分にとっては思い出深い試合になったのかなと思います」

 まさに日本のテニスファンだけでなく、スポーツファンの記憶にも残った”有明の奇跡”だったが、その有明コロシアムも完成から30年が経過し、老朽化が進み、またバリアフリーの観点からは大きく後れをとっていた。

 車いす女子テニスで世界ナンバーワンの上地結衣は、2016年5月に有明で開催された車いすテニスの国別対抗戦・ワールドチームカップに出場した際に、バリアフリーに関して改善が見られたと話してくれた。

「少し手を加えていただいて、トイレが使いやすくなったりとか、車いす専用の入口を段差なしで行けるように設けてくださった」

 だが、今回のドリームテニスに初参加した上地は、あらためて2020年への改修に向けて問題点を挙げる。

「特に私が利用させてもらっていて、気になったのはやっぱり更衣室かな。もちろん車いすでも入れるようにはなっているんですけど、細々したところで、手すりが少し低かったり高かったり、場所はもう少しこっちだったら、と思った部分がある。作ってくださる方が健常者なので、健常者の目線になりがちになるのはどこの施設もそうだと思う。そういうところを実際に自分たちに先に見せていただくとか、ご相談させていただきたい」

 今後、有明テニスの森公園コートには5000席のショーコート1と3000席のショーコート2が新設され、五輪後にはショーコート2は撤去され、ショーコート1は3000席になって使用されていく。同時に有明コロシアムをはじめ、公園内のコートや施設がバリアフリー化されて、大きな改修が図られ、こちらは2019年7月末の完成予定となっている。

「皆さんが東京2020年の大会で使う時だけいいものではなくて、その後にもどんな方でも使えるものになっていけばいいなと思います」という上地の願いの込められた有明が、”オリンピック・レガシー”にふさわしい施設に生まれ変わることを心待ちにしたい。そして、新たな”日本テニスの聖地”として、どんな歴史を紡いでいくのかも楽しみだ。