ボストン・セルティックスのヘッドコーチ、ブラッド・スティーブンスのお気に入りの気分転換は、1980年代の人気アーケードゲーム『ミズ・パックマン』なのだという。それも、スマートフォンやタブレットなどでできるダウンロード版ではなく、昔ながらの…

 ボストン・セルティックスのヘッドコーチ、ブラッド・スティーブンスのお気に入りの気分転換は、1980年代の人気アーケードゲーム『ミズ・パックマン』なのだという。それも、スマートフォンやタブレットなどでできるダウンロード版ではなく、昔ながらの、かつてアメリカのピザ屋に置かれていたようなアーケードゲームを自宅の地下室に持っている。そして試合当日、対戦相手のプレー映像を見る合間にその前に座り、少しの間だけ、パックマンが点を食べていく単純なゲームに没頭するという。



好調セルティックスを率いる41歳のブラッド・スティーブンスHC

 今年8月、故郷インディアナ州のボーイズ&ガールズクラブ(人材育成を目的とする非営利団体)での集まりで、その話をしたスティーブンスは、『ヤフー』のクリス・マニックス記者のポッドキャストでも、その習慣についてさらに詳しく語っている。

「私にも数分間、気分転換が必要なときがある。昔のピザ・パーラーにあったゲーム機械を地下室に持っていて──若い視聴者はどういうものなのか想像もできないかもしれないけれど──その前に座ってゲームをして、数分間だけ気分転換してから、またコンピューターに戻って(試合の)映像を見るんだ。あれが、私自身にとっての”マインドフルネス(心が満たされること)”なのかもしれない」

 同じ部屋には子どもたちが所有するVR(バーチャルリアリティ)など最新テクノロジーの機器もあるらしいが、そういったものには見向きもせずにアーケードゲームに熱中する41歳のコーチというのが、想像するだけで、なんとも微笑ましい。

 スティーブンスは「新しいテクノロジーに適応できていない私にはピッタリだ」と言う。

 このコメントには、意外に思う人もいるかもしれない。バトラー大学のヘッドコーチ時代、スティーブンスは大学バスケットボール界にアナリティクス(スタッツ分析)の波をもたらした「若手天才コーチ」として評判になり、4年前にセルティックスのヘッドコーチに抜擢された、いわば「最先端のヘッドコーチ」の代名詞のような人だからだ。そんな彼が、新しいテクノロジーに対応できないというのだ。

 実際には、適応できないというよりは、適応することに意味を見出さないだけなのかもしれない。たとえば、ツイッターのアカウントは持っているものの、スマートフォンからはアプリを削除し、ふだんあまり使わないタブレットに入れているだけ。情報は入りすぎると邪魔なのだ。

 セルティックスのヘッドコーチオフィスにあるボイスメールのメッセージは、いまだ4年前にチームを去ったドク・リバース前ヘッドコーチの声のままだと言う。前任者の影が残っていても、気にするふうもない。そんなことで脅(おびや)かされるように感じたり、自分のカラーを出さなくてはいけないと思うほど、彼にはこだわりはない。

 そんなことよりも、彼にとっては「次のポゼッションに勝つ」(スティーブンスのモットーのひとつ)ことに集中することが大事だった。パックマンのように、目の前にあるチャレンジをひとつずつクリアしていくことで、大きな成功へとつながるのだ。

 スティーブンスにとって、NBAのヘッドコーチになって5シーズン目の今年は試練で始まった。夏の補強でFA契約した大学時代の教え子、ゴードン・ヘイワード(SF)が開幕戦で左足を骨折。今シーズン中の復帰は難しくなった。

※ポジションの略称=PG(ポイントガード)、SG(シューティングガード)、SF(スモールフォワード)、PF(パワーフォワード)、C(センター)。

 昨季はイースタンでカンファレンス首位の座を奪いながら、カンファレンス・ファイナルでクリーブランド・キャバリアーズに1勝4敗と完敗。力の差を見せつけられただけに、今季は補強で差を埋めたと思った矢先の出来事だった。

 25歳のスーパースター、カイリー・アービング(PG)をトレードで獲得したとはいえ、ロスターの半数近くは新人かプロ経験1年の若手ばかり。アービングとともにチームを引っ張るべきヘイワードの故障で、「今季は優勝を狙うシーズンではなく、経験を積むシーズンになるだろう」と周囲は言い始めていた。

 開幕から2連敗を喫したときには、確かにそのように見えた。

 ところが、若く経験が浅いはずのこのチームは、2連敗後に16連勝(11月20日時点)でリーグのトップに躍り出たのだ。まだ長いシーズンが始まったばかりだとはいえ、11月16日には、ゴールデンステート・ウォリアーズをわずか88得点に抑えて競り勝つ粘り強さも見せている。オフェンス力はまだ弱いものの、リーグ1位のディフェンス力がチームの連勝を支えている。

 若さゆえの経験不足も、ヘイワードの戦列離脱も言い訳にせず、シーズン序盤から結果を残しているのは、間違いなくスティーブンスの手腕が大きい。

 今季からセルティックスに加わったアービングは、スティーブンスのコーチングに早くも感心することしきりだ。

「ブラッドは彼独自のやり方で特別な存在だ。とても知的で、個々の選手からどうやって日々、最大限の力を引き出すかをよく理解しているコーチだ」

 今シーズンが始まったとき、スティーブンスは選手たちに「年齢を言い訳にしないように」と話したという。年齢について話すかわりに、毎日成長することに集中しようとハッパをかけた。また、ヘイワードが離脱した後も、自分たちでシーズンの目標を下げることのないように気を配った。

 スティーブンスの知識の引き出しや、情報分析力を高く評価する人は多い。とはいえ、決して数字や知識だけのコーチではなく、むしろ人間的な一面も持っている。いや、むしろ人間的な面があるからこそ天才的な知性が生かされるのだと、ベテランヘッドコーチのグレッグ・ポポビッチ(サンアントニオ・スパーズ)は言う。ポポビッチは、以前からスティーブンスのことを高く買っているひとりだ。

「彼はとても賢い。ただし、知性はそれだけでは役に立たない。彼がすばらしいのは、知性に加え、鋭敏さ、判断力、そして感情的成熟が伴っていることだ。これがすべて揃っている人は少ない。それは、人への対応やコーチングに表れる。彼はすでにすばらしいコーチだが、いずれ偉大なコーチになるだろう」

 ウォリアーズのヘッドコーチ、スティーブ・カーもスティーブンスの存在に一目置く。

「彼はとても賢く、それでいて謙虚。このふたつは、とてもいい組み合わせだ。自分がすべてを知っているわけではないということを、よくわかっている。世の中にすべてを知っている人はいない。ときどき、自分はすべてを知っていると思っている人がいるけれど、そういう人は本当に面倒くさい。ブラッドは多くのことを知っているけれど、常にもっと学ぼうと、誰にでも質問をしている」

 カーいわく、独裁的なヘッドコーチに選手たちが盲目的についていく時代は、とっくに終わったと言う。

「オールドスクールのコーチたちは、『勝つことがすべて。私のやり方が気に入らなければ出ていけ』という考え方で、『強いものだけが生き残る』というスローガンを壁に貼っていたけれど、そういう時代はすでに終わっている。今はそれより、理解しあい、力を合わせ、独裁的になることなくコミュニケーションをとり、それでいてコーチをするのに必要なチームコントロールを掌握することだ。ブラッドがいいコーチなのは、そういうところだ」