◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ 混合団体(10日、イタリア・プレダッツォ) ノルディック・スキ…

◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ 混合団体(10日、イタリア・プレダッツォ)

 ノルディック・スキージャンプの混合団体で日本が同種目初となる銅メダルを獲得した。3番手で飛んだ高梨沙羅(29)=クラレ=は2022年北京五輪でスーツの規定違反のために失格し、4位に終わった雪辱を果たした。女子ジャンプの第一人者で、高梨が今も慕い続ける山田いずみさん(47)が、悪夢を払拭した後輩にねぎらいの「手紙」を送った。

沙羅へ

 

 沙羅との出会いはまだあなたが小学生でしたね。今よりももっと小さい体で元気に飛んでいた姿を思い出します。

 2009年に私が引退してからソチオリンピックの1年前にパーソナルコーチのオファーがあり、沙羅から、「いずみさんにそばにいてほしいです」―。  

 その言葉を聞いて、本気でこの子の為に頑張ろうと決意しました。

 そして迎えたソチオリンピック。今でもその時のことを思い出すと涙が出てしまいます。

 悔しい思いをしたあの日、4年後に必ずメダルを取ろう! と誓い迎えた平昌オリンピック。

 2本目の沙羅のジャンプは本当にかっこよかった。

 心身ともに成長した沙羅を見て、私の役目は終わったな…と感じた時でもありました。

 22年の北京オリンピックは初めて自宅のリビングでの観戦でした。

 こんなに努力をしている沙羅に神様はどうしてこんなに試練を与えるんだろう…。

 一番辛い時にそばにいてあげることができなかった悔しさでいっぱいでした。

 本当に沙羅がジャンプをやめてしまうんじゃないかと思っていました。

 でも、そこからもまた立ち上がったあなたを誇りに思います。

 誰よりも沢山の努力をして、誰よりも沢山の辛い思いをしてきた沙羅。

 4度目のオリンピック、ミラノ・コルティナオリンピックで、私が望むのは、沙羅が自分のために、わがままに、楽しんで飛んでほしい。

 ただそれだけでした。

 そして、今あなたの最高の笑顔を見ることができて本当に幸せな気持ちでいっぱいです。

 心からおめでとう。

 そして、ありがとう。

 ◆山田 いずみ(やまだ・いずみ)1978年8月28日、札幌市生まれ。47歳。小1から札幌ジャンプ少年団で競技スタート。札幌宮の丘中1年時に宮の森NH、小樽工高3年時に大倉山ラージヒルを国内女子で初飛行。08年コンチネンタル杯で日本勢初優勝。全日本選手権(NH)5回優勝。女子も初採用された09年の世界選手権で初出場。同年3月に引退。13年に女性初の全日本ジャンプコーチに就任。13年から18年平昌五輪の翌年まで高梨のパーソナルコーチを務めた。