元大相撲の小結で元プロレスラーの安田忠夫(やすだ・ただお)さんが10日までに亡くなっていたことが分かった。62歳だった…
元大相撲の小結で元プロレスラーの安田忠夫(やすだ・ただお)さんが10日までに亡くなっていたことが分かった。62歳だった。詳しい死因は明らかになっていない。
元週刊プロレス編集長のターザン山本!(79)は、亡くなる1か月前まで安田さんと毎日のように会っていたという。ターザンがスポーツ報知の取材に応じ晩年の安田さんの仕事、様子、言葉を明かした。
安田さんは、足立区内で京成線の高架化工事に伴い踏切で警備員を務めていた。ターザンは、安田さんが小結まで昇進した大相撲を1992年夏場所限りで引退。93年6月に新日本プロレスへ入門してから取材してきた。安田さんが2011年に引退してから会うことはなかったが、およそ1年ほど前に夜中に警備する安田さんとターザンは再会した。
「その踏切が僕の自宅から10秒にあってね。1年ぐらい前に安田さんを見つけて『何してるの?』って話かけたんですよ。そしたら彼は懐かしいと歓迎してくれて、そこから、僕が夜中に帰ると彼と毎日のように話してたんですよ」
安田さんがターザンに明かした勤務は、夜の10時から終電までの夜勤だった。
「それが終わると、近くの事務所で仮眠して。また、始発まで警備をやっていたんですよ。彼は『夜勤の方がもうかる。立ってるだけでお金がもらえるから楽』って言ってました」
警備しながら雑談したターザンに安田さんは今の心境も明かしていた。
「彼は、『生きる意味もないし俺の人生終わりだ。孫もできたからもう十分だよ。お迎えが迎えに来てるよ』と言ってましたよ。元気だったんだけど、人生に対しての寂しさも充満している感じでしたよ」
大のギャンブル好きで知られた安田さん。晩年は競輪に熱中していたという。
「よく『今日も競輪は当たらないんだよ』と言ってましたよ」
安田さんは、1か月ほど前に足立区内の踏切から別の建設現場への警備に移ったため、ターザンとの交流は途切れていた。訃報は、10日午前中から関係者の間に流れた。ターザンは、事実を確かめるために安田さんが勤務していた会社の同僚に連絡した。
「昨日、同じ会社の人に連絡したら、安田さんが出勤しないので自宅を訪ねていったら亡くなっていましたと聞きました」
安田さんをターザンはこう表現した。
「一言で言うと、ものすごくマジメ。でも不器用で愚痴が多くて個人として純粋なバクチ好きだった。バクチで借金して人に迷惑をかけたけど、彼は『好きなことやったから満足している』と言って面白い人だった。僕もギャンブルで借金を抱えてるから、彼の気持ちがわかりすぎるほどわかる。ひとつ言いたいのは、彼は、借金では迷惑かけているけど、他は迷惑かけてない。立派な人生だった。バクチ打ちの鏡ですよ。とんでもない自由な人生だった」
2001年には総合格闘技デビューし12月31日の「INOKI BOM―BA―YE 2001」でジェロム・レ・バンナから大金星を挙げ脚光を浴びた。
「彼は、たまたまプロレスラーをやっているという感じだった。ここでまっとうしようとかなかった。一生懸命やっていたけど本職じゃない。ただ、バンナ戦のようにポイント、ポイントで偶然を勝ち取るすごい人生だった。これぞまさにバクチ人生ですよ」
安田さんは、アントニオ猪木さんを師匠として仰いでいた。
「彼から聞いた猪木さんとの関係性が僕にとっては一番面白くてね。猪木さんから格闘技戦に『安田、行くか?』と聞かれると、条件やギャラも聞けない。無条件降伏で『はい』というしかなかったって言ってましたよ。『それが俺と猪木さんの関係』と話してくれました。猪木さんと安田さんのその関係性が面白かったですよ」
最後にターザンは安田さんへ言葉をささげた。
「二度と会えないのが寂しいよ!俺もプロレスマスコミの借金王だから、あなたとは同じ穴のむじなですよ!この1年間、毎日会えたことが幸せだった。あなたと豊かな時間を過ごせたのが最高だった。ありがとう!」
(福留 崇広)