【リビーニョ(イタリア)10日=宮下京香】ミラノ・コルティナ五輪のスノーボード・ハーフパイプ日本代表が、会場で午前から…

 【リビーニョ(イタリア)10日=宮下京香】ミラノ・コルティナ五輪のスノーボード・ハーフパイプ日本代表が、会場で午前から公式練習に臨んだ。22年北京五輪男子金メダルで、1月に負った骨盤など複数箇所骨折などからの復活を目指す平野歩夢(TOKIOインカラミ)が約3時間の練習後に取材に応じた。

 以下は主な一問一答。

 ―体の感触は。

 「けが明けで痛みとかもある状態。練習の中でもやりきれない部分や痛みが出てしまう。それと戦いながら慎重に、あまり無理をせずに滑っているような感じ。今は合わせている段階。本番に近づいてきて、雪上も久々だったので、調整に時間がかかっている。そんな感触」

 ―あのタイミングでのけがは何を思ったか。

 「終わったとは思いましたね。オリンピックを控えていたので、帰ってすぐに検査をして2つの骨折と膝もいまだに感覚がないような感じ。最初の時は膝も2倍くらいのサイズになっていた。松葉づえだったり、車いすだったりの生活が続いていた。そういう状況が目の前にあると、気持ちとか気合とかそういう問題じゃなくなってくる。先が見えないような、そういう日々の時間は長く感じた。日に日に良くなることを考えて、何とか今滑れている状態。本調子じゃないところはあるので、自分ができるベストを尽くすのみかなと思います」

 ―無理をしてほしくない気持ちもあるが、なぜ戻ってきたのか。

 「戻れる可能性はゼロじゃなかったので。1%でもあるのであれば、この場に足を運び、ここで滑りたいという気持ち。そのまま終わるよりも、自分が悔いなく最後までやりきって。結果とかは考えずに、自分が今の状態を含めて、どこまでいけるかは、チャンスがあれば諦めずにやりきりたかった。ぎりぎり間に合ったのか、間に合っていないようなところも実際滑ってみて思うこともあったり。そういう葛藤は今までと違う部分かな、と。すごい自分の体と対話している感覚。あまり全力では出し切れていない」

 ―期待をしていいのか。

 「見守っていてくれれば、一番ありがたい。自分自身のやれることしかやれないので。なるべく可能性があれば、できる限りで、限界を乗り越えられるような滑りを自分自身もしたい。どこまで行けるかにかけて頑張りたい」

 ―目標はどこに置くか。

 「こういう状態でもあるので、ライディングなのか、体なのか、両方考えないと行けない中で、やりきった気持ちで終えることが今一番、自分の求めるべき形。結果になってしまうと、みんなが期待するものなので。今の状況を把握しながら自分に集中して、自分のベストな滑りをするのみ。そこを目指したい」

 ―雪上に来てから3回目の練習を終えて、良くなっている手応えはあるか。

 「全然ないですね。今のところ調子も上げきれなくて、パイプも自分の不得意な感じも、ここ3日滑って何とか合わそうと頑張っているが、パイプの形的にも自分は得意じゃないようなところも含めて、いろいろと工夫しながら徐々に上げて行っている感じ。けがの状況もあって、調整も今まで通りいかないところもあります」

 ―今はどこが痛いか。

 「骨盤の股関節のところ。腸骨というところを骨折している。3日目とかになると着地の負担だったりとか、体も疲れてくるので、いい状態になかなかならない。むしろ悪い方向にけがが痛んできている感覚がある。無理しないように。練習なので。本番にかけていければな、と。なるべく温存しているつもりです」

 ―どれくらいで前を向けたか。

 「どれくらいで…。気持ちは切らしちゃいけないというのはあった。でも、考え過ぎちゃいけない。それをプレッシャーにしたりとか、結果を見ちゃいけないなと思っていた。そこは考えず、今できることは睡眠を取って、食事を取って、できるだけトレーナーにケアをしてもらう。その3つのことがその時にできることだった。そうやって前を向いていくしかない。あとは、日に日にちょっとでも良くなる感触があれば、それだけで間に合うんじゃないかという少しの喜びを感じてここまで来た感じ。万全な状態で挑めない。起こってしまったことなので、あとは日に日に自分の体とともに、これならいけるんじゃないかみたいなものが少しずつ芽生えてきた。でも、実際に滑ることは普通に歩くこととまた全然違う。ちょっと異次元な動きをしないといけないので、今も痛みが出たりというところですかね」

 ―家族も心配したのでは。

 「すごい心配していて、毎日めちゃくちゃ連絡が来るような状況だった。皆さんが連絡をくれていたんですけど、自分も携帯をいじれるような状態でもなかった。生活にするのにいっぱいいっぱいで。トイレ行くのもひと苦労みたいな。そういう生活だったので3日間くらいは誰とも連絡を取らず、とにかく痛み止めを飲んでケアをした。そこから皆さんにお返しした。でも、家族が一番心配して、一日何件も連絡くれていた。でも、それを受け入れすぎると自分も気持ちが下に向くんじゃないかと思っていたので、タイミングで返していた感じです」