◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ(9日、プレダッツォ・ジャンプ競技場) 【バルディフィエメ(イタ…
◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽ノルディックスキー・ジャンプ(9日、プレダッツォ・ジャンプ競技場)
【バルディフィエメ(イタリア)9日=松末守司】男子個人ノーマルヒルが行われ、初出場の二階堂蓮(日本ビール)が銅メダルを獲得した。1回目131・1点、2回目134・9点の合計266・0点でデシュワンデン(スイス)と同点の銅メダル。2回目のジャンプ、106・5メートルを飛ぶと着地の瞬間にガッツポーズ。得点が出ると大声で吠えた。「いやあ、メダルはまあ、想定内ではありましたけど、まさか同率で獲得できるとは思っていなかったので、そういうのも含めてすごくうれしいです」と振り返った。見守った父・学さんへの思いを問われると「父さんの前で取れたのは本当にうれしかった。強く抱きしめました」と口にした。
北海道・江別市出身の24歳。父・学さんは元ジャンパーで、91年世界選手権代表に入るなど第一線で活躍した。その父に8歳の頃、札幌ジャンプ少年団の体験会に誘われた。実は「行きたくなかった」が無理やり連れて飛ばされた。スモールヒルにも満たない小さな手作りジャンプ台で初飛びを行うとそのままジャンプにのめり込んでいった。
中3で世界ジュニア選手権代表に選出され、高校はジャンプの名門、下川商高に入学。19~20年シーズンにW杯札幌大会のメンバーに選出されるなど、スーパー高校生と注目された。エリート路線を歩むはずだったが、歯車が狂ったのが、高校卒業後の進路。実績はありながら、実業団からは声がかからなかった。
20年に東海大北海道に進学したが、コロナ禍もあり、思うような学生生活も送れなかったこと、競技に集中するために3月には退学した。「引退」も頭をよぎるなどするなか、田植えなどのアルバイトをしながら活動費を捻出する苦労を味わった。その後、現在の日本ビールに所属。「悔しい思いはあった。反骨心を持ってやってきた」と当時を振り返る。
原点の五輪がある。14年ソチ大会。当時12歳だったが、テレビから流れるジャンプ団体銅メダルシーンに心をわしづかみにされた。「自分もこの舞台に立ちたい。五輪に対して初めて思いました」とここから五輪を意識し、目標の舞台へと変わった。
今季、ずっと探し続けてきた助走路での重心のバランスの位置を発見。安定した滑りを手に入れた。「ずっとやってきたことが身になってきた」。シーズンインするとその成果は如実に現れた。W杯5戦目で表彰台に乗ると伝統のジャンプ週間を兼ねた1月4日のインスブルック大会(オーストリア)で念願の初勝利。出場した個人20戦で7度の表彰台に上り、W杯個人総合ではエースの小林陵侑(チームROY)に続く、3位。日本の二枚看板に成長した。小林に対しても「いつまでも陵侑さん任せではかっこ悪い。いつか越えないと」と決して「2番手」に甘んじない強い気持ちを持ち合わせる。
バルディフィエメの地は、父・学さんが世界選手権に出場した縁深い地。父は五輪に出場できなかったが、父が輝いたその舞台で躍動し、恩返しのメダルとなった。
◇二階堂 蓮(にかいどう・れん)
▽生まれ 2001年5月24日。北海道・江別市生まれ。24歳。
▽経歴 江別大麻泉小―江別大麻東中―下川商高―東海大(中退)
▽競技 91年世界選手権代表経験もある父学さんのすすめで、小2から札幌ジャンプ少年団でジャンプを始める。中2で全国中学2位、高3時には全国高校総体に優勝。
▽Wデビュー 高3でW杯札幌大会に出場し、2戦で35、46位に終わり本戦に進めず。22~23年シーズンに遠征メンバー入りし本格参戦。25年11月29日のルカ大会(フィンランド)で2位に入り、初の表彰台。
▽代表 世界選手権は23、25年の2大会に出場。
▽五輪会場 ジャンプ会場のプレダッツォ・スキージャンプ・スタジアムは父学さんが出場した世界選手権と同会場。
▽趣味 映画観賞。
▽試合前のルーチン 深呼吸。
▽家族 1月13日にインスタグラムで麗奈さん(26)との結婚を報告。約2年前に飲み屋で酔いつぶれて介抱してもらったのが出会い。
▽サイズ 1メートル66センチ。