◆ミラノ・コルティナ五輪 フリースタイルスキー・スロープスタイル女子(7日、リビーニョ) 【リビーニョ(イタリア)7日=…
◆ミラノ・コルティナ五輪 フリースタイルスキー・スロープスタイル女子(7日、リビーニョ)
【リビーニョ(イタリア)7日=宮下京香】女子の近藤心音(22)=オリエンタルバイオ=が、予選のスタート直前に無念の棄権となった。5日の公式練習中に転倒して負傷し、救急車で搬送されていた。右膝を痛めて棄権した2022年北京五輪に続き、2大会連続でスタート位置に立てない悲劇に襲われ、涙を流した。古賀結那(23)=城北信用金庫=は予選落ちした。
またしても滑走はかなわなかった。予選の競技を見届けた後、取材エリアで近藤は泣き崩れた。北京五輪に続く2大会連続で競技開始前の棄権。「ミラノで五輪は最後にしようと決めていた。そのぐらい強い気持ちで臨んだ。左膝の状態だと出場は不可能。それでも最後まで諦めたくなかった。理不尽で残酷な、どうしようもできない出来事を受け入れている」と、達観したように話した。
予選2日前に悪夢が襲った。会場での公式練習中にジャンプ台から飛び出した後、バランスを崩して転倒。救急車で緊急搬送された。診断は左膝の前十字靱帯と内側側副靱帯(じんたい)の損傷、半月板の骨挫傷。転倒時に強い痛みが走り、一般は歩行すらできず、車いすで移動するほどの大けがだった。それでも「私はスロープスタイルに懸けてきた。無茶してでもこの場にとどまりたい」。この2日間は2時間ごとに治療を受け、競技開始約30分前にはスタート位置に立った。五輪の雪上を滑る強い覚悟で、コースを滑り下りた。しかし、空中技を出した際の着地の動作は不可能だと判断して苦渋の決断を下した。
雪辱の思いをぶつけるはずだった。4年前の北京五輪では、競技1日前の公式練習で右膝を負傷。ビッグエア(BA)と2種目ともに出場がかなわず「ミラノまで頑張りきりたい」と誓った。その一心で成長し、25年2月のW杯では自己最高の4位入賞。五輪の同種目で日本女子初の決勝進出が見えるところまで力をつけていた。
14日のBA予選出場は明言しなかった。2大会連続で残酷な結果に終わったが、4年後の五輪は目指さない意向。「(練習で)自分の脚で滑り下りることができた。出場した気持ちで終われることができた。最後まで頑張った自分を誇りに思いたい」。思い描いた五輪にはならなかったが、涙をぬぐいながら近藤は胸を張った。(宮下 京香)
―転倒時に思ったこと。
「強い痛みが走った時に私の感覚では何か大きなけがをしたと感じて。でもそこですぐに決めつけずに良くなることだけを考えた」
―五輪だから緊張もあったのか。
「五輪だからと言って緊張感が高まることはなかった。普段通りの過ごし方を変えずにやってきた。なので、今まで取り組んできたことに関して後悔はない」
―北京五輪からの4年間を振り返って。
「小さなけがを多くしてきて、競技の場から退こうと考えたことは数え切れないほどあった。ミラノまで頑張りきった事実は絶対に消えない。よく頑張った」
―14日(日本時間15日の)ビッグエアの出場は。
「今は確定的なことはいえない」
―次の五輪への思いは。
「五輪はミラノで最後にしようと数年前から決めていた。その気持ちは今も変わらない」
◆近藤 心音(こんどう・ここね)2003年2月19日、長野・白馬村出身、22歳。父の影響で幼少期にスキーを始め、20年、国内最大級の大会「FIS Oze Tokura」でスロープスタイル(SS)、ビッグエア(BA)で2冠。21年SS連覇。同年世界選手権に初出場し、SS9位、BA15位。22年北京五輪は負傷欠場。昨年2月のW杯SSで自己最高4位。通信制のNHK学園高卒。