「合わせにいくなよ」「踏み込めよ。踏み込め、踏み込め……」「甘いところに来い! ストレート、甘いところ!」 11月15日にマツダスタジアムで行なわれたプロ野球トライアウト。生き残りを懸けた男たちの対決をスタンドか…

「合わせにいくなよ」

「踏み込めよ。踏み込め、踏み込め……」

「甘いところに来い! ストレート、甘いところ!」

 11月15日にマツダスタジアムで行なわれたプロ野球トライアウト。生き残りを懸けた男たちの対決をスタンドから見つめる観客のなかに、創志学園(岡山)野球部監督の長澤宏行の姿もあった。

 長澤が思いのこもった言葉を発したのは、教え子である奥浪鏡(元オリックス)の第2打席、下手投げの加藤正志(元楽天)との対戦のときだった。



免停中に事故を起こし、オリックスを契約解除となった奥浪鏡

 トライアウトで野手にはひとり4打席が与えられている。奥浪の第1打席はフェルナンデス(元ヤクルト)の前にサードフライに打ち取られており、このあたりで奥浪らしい打球を見せたいところだった。しかし結果は、低めの変化球に空振り三振。

「そう甘いところには来ませんよね。そらプロやからね……」

 力なく、そう語った長澤だったが、すぐに気を取り直して再びこうつぶやいた。

「ここから、ここから。あと2打席で2本打ったらええんですよ」

 マツダスタジアムは、広島出身の奥浪が「広島ジャガーボーイズ」でプレーしていた中学時代、ある大会でレフトスタンド最上段に放り込んだ場所だ。

「だからね、相性のいい球場なんです。本人もいいイメージで打席に立っていると思いますよ」

 しかし、残りの2打席も四球とサードゴロ。奥浪にとって約6カ月ぶりとなった実戦で快音を響かせることはできなかった。

 トライアウト終了後、控え室から出てきた奥浪をひときわ多くの報道陣が取り囲んだ。その様子から、奥浪が今回のトライアウトの”注目選手”のひとりであることが伝わってきた。

「久しぶりの実戦でしたが、ボールの速さは大丈夫だったんですけど、ピッチャーとのタイミングというところで実戦不足はあったかなと思います。練習でシートバッティングとかもやっていたんですけど、(投げる)ボールも全然違いますし。トライアウトでユニフォームを着させてくださったオリックスや、ここまで支えてくれた家族のためにも結果を残したいと思っていたんですけど……」

 176センチ、100キロの愛嬌ある容姿と、人懐っこい語り口は以前のままだった。しかし、創志学園時代や、オリックスでの現役時代に話をしていたときの印象からすれば、いかにも神妙な雰囲気が奥浪の”今”を物語っていた。

 今年5月、奥浪は速度超過で1カ月の運転免許停止処分を受けた。ところが、その期間中に大阪市内にある寮の近くで車を運転し、オートバイと接触。事が明るみに出た。免許停止の報告を球団に怠っていたなかでの事故。この事態を重くみたオリックスは、無期限の謹慎処分を課した。以降、奥浪は練習にも参加できず、外出も基本的には禁止。寮長監視のもと奉仕活動に務めたが、8月に球団から契約解除が発表された。

「球団本部長の長村(裕之)さんといろいろ話をさせてもらっているなかで、そういう話(契約解除)をさせてもらいました。練習もせず、復帰の見込みもないまま、オリックスにいさせてもらうより、少しでも希望が持てるトライアウトに参加したいと」

 謹慎中、球団から来季の契約の意思がないことは奥浪に伝えられていた。悶々(もんもん)とした日々のなかで、「もう一度、野球で勝負がしたい」という自らの思いを確認し、契約解除という決断を下した。

「このままいても居場所がないと感じていましたし、思うように練習もできないなかでトライアウトを受けても力を発揮できない。10月まで待つか、自ら申し出て退団するか。そう考えると、このタイミングしかないと思って(契約解除を)言わせてもらいました。そこからは地元(広島)に戻って、トライアウトを目指してきました」

 そして長澤からの言葉も、奥浪の背中を押した。

「監督からは『自分のしたことはしっかり反省して、ちゃんと反省できたと思ったんだったら自分がしたいようにしろ。また野球がしたいのなら、そういう意思は出していかないといけない』と。あと『周りからバッシングを浴びることはあるだろうし、ファンの方のなかには裏切られたと思っている人もいる。でも、お前は社会的制裁を受けて、しっかり反省したんだったら、前を向いて歩いていくしかない』とも。誰にどう相談していいのかもわからないときに、監督さんが話してくださって救われました」

 広島に戻った奥浪に練習場所を提供してくれたのが、広島文化学園大学の野球部だった。ここの監督は、かつて広陵(広島)や京都外大西などを率い、甲子園でも活躍した三原新二郎。長澤や奥浪とも親交があった三原が手を差しのべ、オフの月曜日以外はほぼ毎日、野球部の施設を使い練習を積んだ。

「これまで何不自由なく練習できて、いいグラウンドでやるのが当たり前だと思っていたのがこうなってしまって……。施設を探すとか、最初は本当にどうしたらいいのか、わからないときもありました。そもそも、僕がそういう風に頼むこと自体、厚かましいんじゃないかと思うこともありました。でも、いろんな人に支えられて、人のありがたみをこれまで以上に感じました」

 午前中はグラウンドやトレーニングルームで自身の練習をし、午後からはチーム練習に参加。そのなかで心がけていたことは「とにかくバットを振ること」だった。

 創志学園時代、長澤が「漁師の網打ちのような……」と例えた、前の大きなスイングから高校通算71本塁打を記録。2013年にドラフト6位でオリックスへ入団した。

 ちょうど昨年の今頃、プロ3年目を終えた奥浪に話を聞く機会があった。そのとき、奥浪は高知で行なわれている秋季キャンプのメンバーから漏れ、神戸で居残り練習をしていた。しかし本人はそれを発奮材料に「毎日1000本ぐらい振っています。高校のときも相当スイングさせられましたけど、今はこれまでの人生のなかで一番と思えるぐらい振っています」と4年目のシーズンに懸ける思いを語っていた。

「今もそこは変わっていません。スイングスピードを上げてやろうという思いで、毎日振ってきました。それに今年の自主トレのときに小谷野(栄一)さんから『ティーでも、フリーバッティングでも初球からフルスイングしないと絶対ダメだ』と言われて、そこも頭に入れながらやっています。だから今日も、今の自分が残せるとしたらフルスイング。そう思って打席に立っていました」

 4打席のなかで仕留められそうなボールはあったかと聞くと、「金子(丈・中日)さんの初球です」と即答した。それは第4打席の初球の甘いストレートだった。

「間違いなくあの球が一番甘かったんです。でも、見逃してしまって……。一塁ランナーが走ったのが見えて『あっ』となってしまったのもあるんですけど、そういうところも含め、まだまだ自分の弱さだと思いました」

 持っている力を発揮できなかったという点も含め、それが今の実力。ただ、半年のブランクを経て、この場に立てたことで再び時が動き始めたことも確かだ。まだ23歳、再び野球人として技術を上げていく思いはあるのか。

「この先も野球はやりますし、そのなかでどうしても『もう一度プロ(NPB)の世界へ』という思いがあります。そこにたどり着くにはどうすればいいのか、これから考えてやっていきたい。今日はダメでしたけど、もっと実戦を積んでいけば打てるという自信だけは、今も持っています」

 山川穂高(西武)が新生・稲葉ジャパンの4番を打ち、大学球界屈指のアーチスト・岩見雅紀(慶應大)も楽天から堂々のドラフト2位指名を受けた。”ぽっちゃり系スラッガー”の流れを感じるプロ野球に戻り、持ち前の豪快なバッティングを披露する日は来るのか……。生まれ育った広島の地での4打席が、”そこ”につながる第一歩となることを願いたい。