将棋の名人獲得経験者で、「ひふみん」の愛称で親しまれていた加藤一二三(かとう・ひふみ)さんが22日(木)午前3時15分、…
将棋の名人獲得経験者で、「ひふみん」の愛称で親しまれていた加藤一二三(かとう・ひふみ)さんが22日(木)午前3時15分、都内の病院で、肺炎のため亡くなった。86歳だった。
2017年のWBC直前、加藤さんを取材した。勝負事の通底を理路整然と言語化。普遍性を備えた侍ジャパンへの提言として、今も色あせず輝いている。1時間のインタビューを復刻する。(17年3月2日、日刊スポーツ東京最終版から。年齢など当時)
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実力制第6代名人で「神武以来の天才」「1分将棋の達人」と称されるプロ棋士・加藤一二三(77)。チャーミングな言動で愛される“ひふみん”が、勝負の本質を語った。【取材=宮下敬至】
◆勝負の前提
歴史的に、人間同士の大きな戦いは、大体、攻め方が良くて勝っています。将棋も同じで、羽生善治さんはじめ、大半は攻めの棋風です。基本は攻め。本質的には、攻めて勝つ戦いです。
確かに受けて立って、勝って、名人にまでなるケースはありますが、大変に困難です。実力制11人目の名人である丸山忠久さんに聞くと「『どうやったら負けないか』を考えて、作戦を立てる」と言われました。普通は「どうやったら勝てるか」を考える中では、超ユニーク、異端児的な考え方になります。
それで名人になったからものすごいわけですが、初めから受けて…という発想は、普通は、どっちかというとネガティブだと思います。ですから野球も、点を取って勝つゲームだと考えます。試合を考えるとき「今日はこう攻めていこう」という気持ちが、まず先に来るのではないでしょうか。
◆一手の背景
ある局面では、指せる可能性のある手が、10の220乗あるといわれています。これは「天文学的数字の倍」だそうです。将棋とは、10の220乗の変化がある戦いをしているわけです。
「理詰め」の考え方を説明しましょう。その局面、局面で、一番いい手があり得る、という前提で戦っています。自分は最もいい手を指す。相手も一番いい手を指して、対応してくると考え、想定する。ここでとどまったら素人です。
100点で来た相手に対し、その先、3手目の100点まで考えます。3手目に100点を指したとき、当然、相手も100に近い所を指してきます。一番いい手を読んでいって、それを3、5、10手…と用意していきます。
野球もそうだと思いますが、局面になって「さぁ、どうする」では遅いんです。ほとんど勝ち目はない。相手がこう来るだろうという前提で読んでいて、ほとんどすぐに、返し技は浮かんでいます。頭に浮かんで一番いいと思っていたけど「確かに一番いい」と確信を持って駒をたたきます。
時間をかけて200~300手を考えることもありますが、多くの場合、パッと見た瞬間に4から5手先の展開が頭に浮かんできます。僕の経験上、おおむねは“直感の手”が、90%くらいの確率で、一番いいです。「直感精読」と書きますが、プロの勝負とは、そういう世界です。
大体5分考えれば30手が浮かび、その中からABCDEの5案を用意し、15手先はどうなるか考え、最善を選択する。どんな局面でも、5通りを読んでおけば大体は対応できます。野球の場合も、短い時間で瞬時に、いろんな次の展開をお考えでしょう。例えば投手交代。選手交代。当たり前だけど、交代の時期を間違えたら愚かです。全く取り返しがつきませんから。
◆流れを読む
亡くなられた豊田泰光さんに「野球は3点取られても、後で4点取ったら勝てるでしょう」と、聞いたことがあります。「加藤さんね、0-3が4-3になれば、それは大変な逆転なんだ」と言われました。わが将棋の世界でも、最後の2、3分でひっくり返ることがあります。1つの大逆転負けを10年以上も悔しがる棋士がいますから、プレミア12で韓国に負けた小久保監督も、今でも悔しいでしょう。
ちょっとした「兆し」があったと思います。3点リードして9回まできたけど、何となく相手チームは奮発力というか、強打の雰囲気を感じたような気がした局面も、あったのではないかと想像します。相手が4点を取ったというのは、ピッチャーを送る順番に判断を誤ったか。兆しに対して最善の手を打たなかったか。どうしてそうなったのか。
僕は大山康晴15世名人(故人)と125回戦って、相当、逆転負けを喫しています。大山名人は、逆転勝ちの多いNO・1の名人です。「こちらの方がいい」と思っているけど、ヒタヒタと迫ってきている。「間に合わない。遅い攻めじゃないか」と思ってるんだけど、迫られると、精神的な重圧になる。重圧が負担となり、逆転負けしたことが10や20、あります。
将棋の大逆転劇は、圧倒的有利の棋士が、何でもない簡単な手を見送って、起こります。超難関ないい手があって、それを逃したんなら仕方ないと言えます。誰が見ても「勝負決まっているでしょ」という状況を、見送って、負ける。理屈で分からないような勝負の決着、簡単に言うと運がある…だってそう思わないと、理屈がつかない。野球と将棋の共通した素晴らしさに「研究」があると思います。失敗を研究し、問題を消化しておくことです。
◆決戦の準備
大きな勝負になると、平々凡々、常識的な手では勝てません。1局中に1つは誰もが思いつかない、うなるような素晴らしい手を打たないと。経験則です。どの景色でも普段の10の力を十分に発揮できて、それよりもうちょっと上回る力を発揮して、タイトルに届くのです。
42歳で名人になったとき、旧約聖書にある「勇気を持って戦え」「弱気を出してはいけない」「落ち着いて戦え」という3つの心構えをモットーとしていました。戦う前から「どうも相手は強い」と思ってはいけない。どんな強敵でも、戦う以上はとにかく最善を尽くせば勝てるはずと思った方がいい。そうなってくると、元気が出てくる。それって大事と思うんです。踏ん張れますから。
と同時に、心のどこかに若干のゆとり、遊び心があったほうがいい。20連敗のスランプに陥ったとき、対局の前にモーツァルトのバイオリン協奏曲を聴きました。すると曲の中に、若干の遊び心があることに気付き、スランプを脱することができたのです。緊張の連続の世界だからこそ、ちょっとした遊び心を忍ばせておく。大勝負に挑む人間が10より上の力を出す上で、非常に大切ではないかと思います。