<ノルディックスキー:ワールドカップ(W杯)ジャンプ男子>◇個人第18戦予選◇18日◇札幌市大倉山ジャンプ競技場(ヒルサ…
<ノルディックスキー:ワールドカップ(W杯)ジャンプ男子>◇個人第18戦予選◇18日◇札幌市大倉山ジャンプ競技場(ヒルサイズ=HS137メートル)
レジェンド葛西紀明(53=土屋ホーム)が2大会ぶり9度目出場を狙ったミラノ・コルティナ五輪切符を逃した。ラストチャンスの予選で112メートルの56位で敗退した。それでもすぐに現役続行を明言し、フランス・アルプス地方での30年冬季五輪を目指す意向を示した。小林陵侑(29)が合計274・2点で2位に入った。日本男子の五輪出場枠は「3」になる見込みで、小林陵、二階堂蓮(24)、中村直幹(29)の代表入りが確実となった。
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葛西のイタリアへの挑戦は幕を閉じた。わずかな望みにかけて五輪代表選考ラストの試合に臨んだが、予選突破できず、本戦出場を逃した。戦いを終えて「多分オリンピックは無理だろう、この調子じゃっていうのは心の奥底にあった。それでもやっぱり、自分の調子が良くならないかなっていうのにかけてはいたんですけど…」と残念がった。
日本のトップ10に入る力がまだある。W杯札幌大会は開催国枠も含めて出場10人の中に、下部大会のコンチネンタル杯(C杯)を勝ち抜いて、自力で入っている。さらにメンバーが絞られる昨季と今季の海外でのW杯遠征に入っていれば、自身が持つギネス世界記録を更新する9度目五輪も見えたが、C杯からの昇格が果たせなかった。五輪切符が22年北京五輪5人から、今回は3人と狭き門となったことも逆風となった。
この4年間、年齢の衰えを感じさせず、W杯で30位以内に入ってポイントを獲得するなど、むしろ成績を上げた。北京五輪は開幕約4カ月前の時点で五輪の可能性が消滅していたが、今回は最後ギリギリまで夢が途絶えなかった。「これがもし好調、絶好調っていう風になっていけば、どこまで上にいけるんだろうっていう期待感が持てるようになった」。調子さえかみ合えば、若手にもまだまだ負けない自負があった。
また新たな挑戦が始まる。「この歳でやってるっていう、元気と勇気をみなさんに届けていけるなら、まだまだ続ける」と現役続行を宣言。30年五輪に向けて「もちろん狙っていきたいと思っているし、この先自分がどう上がっていけるかっていうのも楽しみ」と明言。4年後は57歳。「最高じゃないですか」と笑う。
今季J3福島入りして5年ぶりJリーグに復帰したサッカー元日本代表FW三浦知良(58)に刺激を受ける。「キングカズさんもJリーグ頑張るっていうので、カズさんの道をたどって僕もいきたい」とレジェンド。誰も歩いたことがない道を、そのままどんどん突き進む。【保坂果那】
葛西紀明の4年間
◆22年1月30日 雪印メグミルク杯で4シーズンぶり優勝を果たす。
◆24年2月4日 TVh杯を制し、50代初優勝。
◆同2月16日 4季ぶりW杯代表入りを果たした札幌大会の予選に臨み、45位で突破を決めて個人通算570戦目の出場を決める。
◆同17日 史上初の50代W杯ジャンパーとして、札幌大会で30位に入り、W杯ポイントを獲得する。
◆同3月1日 23-24年シーズンのW杯海外遠征メンバーとして、フィンランドラハティ大会に出場。
◆同4月17日 ギネス世界記録公式認定授与式で「最年長W杯ポイント獲得」(51歳290日)と「W杯最年長個人表彰台」(44歳293日)の2個が認定され、7個の記録保持者に。
◆25年2月1日 TVh杯で連覇を達成する。
◆同9日 雪印メグミルク杯で優勝し、シーズン国内2勝目を挙げる。
◆同16日 W杯札幌大会で個人通算579戦出場。
◆同12月13日 2季連続のC杯開幕メンバーに入り、ルカ大会に出場して18位。
◆葛西紀明(かさい・のりあき)1972年(昭47)6月6日、北海道下川町生まれ。東海大四高時代の88年W杯デビュー、89年世界選手権出場。91年地崎工業入りし、マイカルを経て01年から土屋ホームに所属。五輪は92年アルベールビル大会から18年平昌大会まで8大会連続で出場。銀メダル2個、銅メダル1個。W杯個人通算579戦出場など、ギネス世界記録を7個持つ。家族は妻と1女1男。