オリックスは阪神・淡路大震災から31年を迎えた17日、大阪・杉本商事バファローズスタジアム舞洲で黙とうを行った。馬殿(ば…
オリックスは阪神・淡路大震災から31年を迎えた17日、大阪・杉本商事バファローズスタジアム舞洲で黙とうを行った。馬殿(ばでん)太郎球団社長(59)、福良淳一GM(65)、岸田護監督(44)をはじめ、球団フロント、選手、スタッフら約30人が正午から1分間、犠牲者に哀悼の意を捧げた。忘れられない、忘れてはいけない「1・17」。時は流れても風化させない。
◇ ◇ ◇
静かに目を閉じた。そろって神戸の方角を向いた。阪神・淡路大震災から31年。オリックスナインが一列に並んで黙とうを行った。岸田監督は「ご冥福をお祈りしたとともに、『がんばろうKOBE』の時を思い出し、もっと頑張ろうという思いを込めて、黙とうさせてもらいました」と神妙な表情で思いを明かした。
当時は大阪・吹田市の中学1年生。あの朝、大きな揺れで飛び起きた。オリックスの本拠地神戸を中心とした甚大な被害。それでもリーグ優勝に突き進んだブルーウェーブの躍進。その全部を鮮明に覚えている。プロ入り時は神戸で寮生活。先輩から「1・17」の話を何度も聞いた。本拠地が大阪に移ったが、今年もほっともっと神戸で6試合ある。「全部勝つつもりで。応援してくれる方たちに喜んでもらえるように」。就任2年目、特別な日に決意を新たにした。
1月1日付で就任した馬殿球団社長も熱い思いだ。当時、オリックス株式会社の愛媛・松山支店勤務だったが、実家は兵庫・宝塚市にある。「大学のクラブの1つ下の後輩が家屋倒壊で亡くなりまして…。彼の顔が浮かびました」。黙とうの間、今は亡き甲南大の硬式テニス部仲間を思った。
松山から車で断水していた宝塚へ、何度もポリタンクに水を入れて運んだこともあった。神戸支店勤務の経験もある。「オリックスに対する思いをいただいている地域。恩返しできるように強いチームを作っていきたい」と力強く語った。
「風化させたらダメ」。95年、主力だった福良GMは言う。被災した街で野球をやっていいのか? という意見もあった中、スタンドにはファンが集まった。「がんばろうKOBE」をスローガンに掲げてのリーグ優勝。復興のシンボルになった。「何かすごく違う力が、そういう力が働いた。選手だけの力じゃなかった。忘れたらダメだし、忘れることはできない」。自主トレ中の宮城や新人選手らも黙とう。世代をこえ、スポーツの力、野球の力を語り継いでいく。【林英樹】
◆阪神・淡路大震災 1995年1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北部を震源にマグニチュード(M)7・3の地震が発生。神戸市、淡路島などで観測史上初となる震度7を記録した。死者6434人、重傷者約1万人、被害家屋は約64万棟。同震災から、避難生活のストレスなどで体調が悪化して亡くなる「災害関連死」との概念が生まれた。阪神高速が横向けに倒壊した映像は世界に衝撃を与え、その後全国の道路橋などで耐震性強化が進められた。
◆がんばろうKOBE 阪神大震災が起きた95年、被災地神戸の地元球団オリックスがパ・リーグを制した。故仰木監督のオリックスはユニホームの右そでに「がんばろうKOBE」の合言葉を縫いつけて戦い、阪急からオリックスに譲渡後の初優勝。優勝を決めた9月19日西武戦で、イチロー(現マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)は開口一番「震災で傷ついた人に真っ先に伝えたい」と話した。「がんばろうKOBE」はこの年の流行語大賞に選ばれた。