最大震度7という未曽有の阪神・淡路大震災が起きた1995年(平7)1月17日。震源地は兵庫・淡路島北部。当時、日刊スポー…

最大震度7という未曽有の阪神・淡路大震災が起きた1995年(平7)1月17日。震源地は兵庫・淡路島北部。当時、日刊スポーツの大阪本社があった大阪北部の豊中市は府内最大の被害があり、社員の被害状況を確認し合いながら翌18日付の紙面は作られた。気象庁による呼称から、1面の見出しは「兵庫県南部地震 大惨事」だった。

記者も大阪の自宅で震災に遭い、家屋は持ちこたえたものの、室内の棚などはほとんどが倒れた。前日の全国都道府県対抗女子駅伝で、当時の長距離界の有力選手だった千葉真子、浅利純子、山口衛里らを取材してから半日後の出来事だった。

取材ノートを読み返すと、担当していたサッカーで最も被害を受けたヴィッセル神戸(当時JFL)の記述が多かったが、Jリーグ昇格1年目のセレッソ大阪も、当時の活動拠点は兵庫県南東部の尼崎市で、同市内に住んでいた22歳でエースFWだった森島寛晃(現クラブ会長)の言葉も見つかった。

「室内にあまり物を置いていなくて、けがこそなかったですが、本当に大きく揺れた。2度と体験したくないです」

神戸市に住むクラブ職員の自宅が全壊するなど、神戸同様にC大阪も窮地に立たされていた。

震災から2カ月後の3月18日、Jリーグは開幕。準備の不安をよそに、C大阪は敵地で広島を延長Vゴールで倒し、涙ぐむ選手らの歓喜の輪が広がっていた。

延長後半、森島と交代して途中出場した同学年のスーパーサブ、決勝ゴールを挙げた山橋貴史の言葉が忘れられない。ピッチに出て数十秒後、ファーストタッチでのミラクルな大仕事だった。

「あの大震災があったし、暗い話題を少しでも吹き飛ばすような活躍がしたかった」

当時は新幹線が新大阪-姫路間が不通で、チームは大阪-広島を臨時便の空路で移動し、サポーターはマイカーやバスで中国自動車道を使って来場した。クラブ史に残る劇的な試合だった。

Jリーグは今季で34年目に入る。神戸市垂水区の自宅で被災した当時5歳の少年が、C大阪の現在の大黒柱、香川真司というのも何かの縁だろう。入社1年目から記者生活丸35年となり、今年も彼らの勇姿が取材できる喜びを感じている。【横田和幸】