秋の明治神宮大会という2017年最後のビッグイベントが終わり、高校野球シーズンも閉幕ムードが漂っている。 あらためて2017年を思い返してみて、とくに鮮烈な記憶として残っている光景がある。それは9月に茨城大会で見た、こんなプレーだった…

 秋の明治神宮大会という2017年最後のビッグイベントが終わり、高校野球シーズンも閉幕ムードが漂っている。

 あらためて2017年を思い返してみて、とくに鮮烈な記憶として残っている光景がある。それは9月に茨城大会で見た、こんなプレーだった。

 球足の速い痛烈な打球が三塁線を襲う。誰もが「抜けた」と思うような打球だったが、本来ありえない角度からグラブがにゅっと出てきて、打球が吸い込まれる。捕球したサードはボールを左手に握り換え、一塁へ素早く送球。打者走者を間一髪アウトにした。



投手兼三塁手として秋の茨城大会ベスト4の原動力となった清水大海

 上の文章を読んで、違和感を覚える箇所はなかっただろうか。そう、このサードはグラブを右手にはめた、左投げの選手だったのである。

「三塁線の打球は捕りやすいので、(左投げの)利点は生かせたかなと思います」

 このサードは茨城県立の日立一高に所属する清水大海(しみず・ひろうみ)という。名前は雄々しいが、身長164センチと小柄な選手だ。ただし、小さいのはサイズだけで、プレーから小兵にありがちな卑小さを感じることはない。1年夏からレギュラーとして出場する実力があり、中心投手としてマウンドにも上がる。

 このレフティー・サードに牽引されるようにして、日立一は秋の茨城大会を破竹の勢いで勝ち進んでいった。

 そもそも、なぜ左投げの選手がサードをやっているのか。「最初はセカンドだったんです」と打ち明けるのは、日立一の中山顕監督だ。

「1年前の秋に、どうしてもセカンドが固まらなかったんです。でも、清水なら左利きでもできるんじゃないかという思いが僕の中にありました。本人に聞いてみたら、やるというので、やらせてみたんです」

 一般的に、左投げの選手が守るポジションは投手、一塁手、外野手に限定される。茨城高校球界きってのアイデアマンとして知られる中山監督にとっても、左投げの内野手は「苦肉の策」だった。だが、中山監督は次第に清水の内野起用に手応えを覚えるようになっていく。

 当初、中山監督の頭の中にあったのは、以前に鷲宮(埼玉)にいた左投げのセカンドだった。鷲宮の柿原実監督は日本体育大の後輩でもあり、「左投げセカンドの極意」を柿原監督から聞くことができたという。中山監督は言う。

「二塁ベース付近のプレーさえ対処できるようになれば、意外と左投げということが有利になることがわかってきました」

 たとえばセカンドゴロで併殺をとる場合。右投げのセカンドは、捕球後に二塁方向へ体を切り返してから送球動作に入らなければならない。しかし、左投げの場合は捕球してから送球まで一連の動作を流れるようにこなせる。また、ライトからの中継プレーの際も、打者走者の動きを見ながらカットに入ることができる。

 意外なメリットがあるにもかかわらず、なぜ左投げのセカンドはほとんど存在しないのか。それは中山監督の言う「二塁ベース付近のプレー」の難しさにつまずいてしまうからだ。

 サードゴロやショートゴロで併殺をとる場合はセカンドが二塁ベースカバーに入るが、左投げのセカンドだと送球を受けてからの動作が大きすぎる。送球を捕球し、クルッと270度右回転して一塁に投げなければならない。さらに、回転してから正確に投げるプレーそのものの難易度が高い。

 だが、清水はこれらの難しい動作を器用にこなせたという。中山監督は清水のセンスに舌を巻いた。

「練習すべきだったのは、セカンドベース付近のプレーと、セカンド前のプッシュバント。でも、清水はプッシュバントに対して前に出て、捕ってからターンして一塁に投げる動きを1球目からできた。クルッと回ってから投げるプレーで、ミスしたことを見たことがありませんから。空間を認識する能力、体をバランスよく扱う能力が高いのでしょうね。内野手として一流の力を持っていると感じました」

 さらに左利き内野手用のグラブが市販されていないという問題もあったが、清水は「古いピッチャー用のグラブを使っています。柔らかくて使いやすいんです」と対処した。通常、左投げの野手は送球に強いシュート回転がかかることが多いが、清水の送球は回転がきれいということも特徴的だった。

 1年秋は主にセカンドとして出場。そして2年秋はサードとして出場する。サード起用の理由を中山監督はこう明かす。

「秋はどのチームも完成していませんから、守備で揺さぶられたくなかったんです。それでサード候補の選手(右投げ)と清水のバント処理のタイムを計ってみたら、不利なはずの清水のほうが速かったんです」

 清水は投手としてもプレーするため、背番号は1。だが、登板しないときはサードを守ることになった。

 今秋の茨城大会、試合前のシートノック中にスタンドでは高校野球ファンのこんな声が飛び交っていた。

「あれ、サードに左利きがいるよ?」

「ピッチャーがサードでノック受けてるんじゃねぇの?」

「ふざけてるのかねぇ?」

 清水の内野コンバート直後は「私がスタンドの視線に耐えることができれば大丈夫」と考えていた中山監督だが、清水に内野を任せるようになってすでに1年が経つだけに、チームとしてはもう当たり前の光景になっていた。

 そしていざ試合が始まると、清水が単純なゴロを処理するだけでスタンドからどよめきや拍手が起きることもあった。

「コンバートした当初は余裕がなくて気づきませんでしたが、清水がサードにいると球場の空気が変わるなと気づきました。清水がいいプレーをしたら、『明日から日立市の少年野球チームの左利きはみんなサードになるな!』と話しています。そんな雰囲気に周りの選手も乗っていける効果があるんです」

 今秋の日立一は、決して前評判が高いチームではなかった。ところが、地区予選を突破して県大会に出場すると、初戦で下館一を5対1で破り、次戦は強打線を擁する実力校・水戸葵陵と対戦する。

 1回表に4番・木川静の先制タイムリーを皮切りに、一挙8得点のビッグイニング。技巧派サイドスローの1年生右腕・綿引駿の好投もあり、強敵相手に10対3で7回コールド勝ちを収めた。

 さらに名門・水戸商と激突した準々決勝では、清水が先発マウンドに上がる。

「夏が終わってから打ちにくいフォームを研究していたんですけど、前よりも腕が振れるようになりました。サードやセカンドを経験したことでフィールディングや牽制球もうまくなりましたし、内野手の心理がわかるようになったのもプラスだと思います」

 そんな清水の好投もあり、チームは5対1で快勝。ベスト4へとコマを進める。準決勝の相手は近年の茨城でトップクラスの実績を挙げている霞ヶ浦。この試合に3番サードで出場した清水は、4回裏に前述した三塁線の美技を見せてチームを救った。

 先発・綿引が霞ヶ浦打線を5回まで2安打に抑える好投で、0対0のまま試合は終盤戦へ。しかし、霞ヶ浦は6回裏に3番・小儀純也のタイムリー二塁打で先制すると、7回裏には8番・横田祥平に2ラン本塁打が飛び出す。日立一は8回から清水をマウンドに送って失点を防ぐが、打線が最後まで霞ヶ浦投手陣をとらえきれなかった。

「チャンスで打つのが自分の仕事なのに、それができませんでした。気負いはなかったんですけど、打ち損じました。まだメンタルと技術が足りませんでした」

 0対3で敗れた試合後、清水は悔しさを押し殺すように、静かに試合を振り返った。中山監督は「自分たちがやってきた、結果が出ていたことをこの試合でもできたと思うのですが……」と何度も首をひねった。指揮官も選手も、本気で優勝候補に勝てると自信を抱いて戦っていたのだ。

 最後に清水にサード守備のこだわりを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「一番は欲張らないこと。アウトにできればそれでいいと考えています」

 観客を沸かせてやろう、目立ってやろう。そんな野心はない。ただチームの勝利に近づくために、自分にできるプレーをする。そんな清水の職人気質がにじむ言葉だった。

 日立一は秋季大会後、翌春センバツ甲子園の21世紀枠・茨城県推薦校に選ばれた。秋の好成績はもちろん、県北地区屈指の進学校であり、文武両道の実践と狭いグラウンドでの創意工夫ある練習も評価されたという。

 ただ、同じ日立市にある明秀学園日立が関東大会で準優勝を飾っており、地域性の面で日立一にとっては逆風が吹いている。それでも、日立一は2012年、2015年も21世紀枠県推薦校(2012年は関東地区推薦校)になっており、中山監督は前任の水戸一時代を含めて4度目の21世紀枠推薦になる。過去の実績も考えれば、選出されてもおかしくはないだろう。

 もしかしたら、春の甲子園球場で三塁キャンバスに立つレフティー・サードの姿が見られるかもしれない。