今季限りで現役を引退した相川亮二 41歳になる巨人・相川亮二が引退を表明した。プロ入り23年目、攻守に光った名捕手だった。 21世紀の名捕手と言えば、2000本安打を打った古田敦也、谷繁元信、阿部慎之助ということになるだろう。相川はこの3人…

今季限りで現役を引退した相川亮二

 41歳になる巨人・相川亮二が引退を表明した。プロ入り23年目、攻守に光った名捕手だった。

 21世紀の名捕手と言えば、2000本安打を打った古田敦也、谷繁元信、阿部慎之助ということになるだろう。相川はこの3人の名捕手のキャリアと密接にかかわりあっている。

 高校時代に捕手に転向した相川は、1994年ドラフト5位で横浜に入団。しかし入団から4年間は1軍出場なし。99年に1軍に昇格した時には、谷繁が不動の正捕手だった。2番手には秋元宏作がおり、正捕手の座は遠かった。しかし出場試合数は少ないながら、相川はこの時期に着々と実力を蓄えていった。

 2002年に谷繁が中日に移籍し、代わりに中日から中村武志が横浜にやってくると、相川と中村は激しい正捕手争いをする。この年は中村が107試合にマスクをかぶり、相川は73試合の出場にとどまったが、2004年には相川102試合、中村43試合と逆転。2005年には相川は144試合に出場し、規定打席に到達した。

 相川はその後、横浜の不動の正捕手に。中日の谷繁、ヤクルトの古田、巨人の阿部、阪神の矢野燿大らがいたために、ベストナインには選ばれなかったが、リーグを代表する捕手となる。

ヤクルトでも正捕手として活躍

 2008年のオフに海外FAを宣言。相川は城島健司に続いて2人目の捕手としてのMLBへの移籍を希望していたが、これはまとまらず。ヤクルトへの移籍が決まる。2007年に引退した大捕手、古田敦也の攻守の穴を埋めるべく、正捕手としてヤクルトに迎えられたのだ。

 この年、規定打席に達するとともに、リーグ1位の盗塁阻止率4割をマーク。もともと打撃には定評があったが、この時期には守備でも、投手のリードでも信頼感の厚い捕手になっていた。ヤクルトでも3年間、正捕手として活躍。4年目の2012年には骨折によって戦線離脱、この間、14歳年下の中村悠平の成長によって試合数は大きく減ったが、なおも2番手捕手として活躍。38歳の2014年、再びFA宣言をして巨人に移籍した。

 巨人は阿部慎之助の守備での負担を軽減するために、一塁へのコンバートを考えていた。後釜には若い小林誠司を充てる考えだったが、攻守ともに不安があったために相川を獲得した。この年、相川は右太ももの肉離れで戦線離脱したが、打数は少ないながらも打率.313を記録。若い捕手とは違う存在感をアピールした。以後2年は、出場機会は減ったが代打として活躍した。40歳近くなっても勝負強い打撃は健在だった。

 現役年数23年、実働19年。オリンピックやWBCで日の丸も背負った。3つのチームでマスクをかぶり、錚々たる捕手たちと正捕手争いをした経験は、今後のキャリアに生かされるだろう。巨人のコーチ就任は辞退したが、今後の相川の活躍に期待したい。(広尾晃 / Koh Hiroo)