<スピードスケート:全日本選手権>◇26日◇長野・エムウェーブ◇男子500メートル男子500メートル日本記録保持者の新濱…

<スピードスケート:全日本選手権>◇26日◇長野・エムウェーブ◇男子500メートル

男子500メートル日本記録保持者の新濱立也(29=高崎健康福祉大職)が、逆境をはねのけて2大会連続五輪を確実にした。

26年ミラノ・コルティナ五輪の最終選考会で、日本連盟が設定した派遣標準記録の最高位「SS」34秒51を上回る34秒40で2位。妻でカーリング女子ロコ・ソラーレの吉田夕梨花(32)の声援を受けて、逆転で五輪切符をつかんだ。22年北京五輪銅メダルの森重航(25)が優勝で代表確実。女子500メートルは内定済みの吉田雪乃(22)が優勝。高木美帆(31)が2位で代表入りに前進した。

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崖っぷちからはい上がった。ゴールした新濱はタイムを確認し、両拳を突き上げた。コースを1周しゴール地点に戻ると、観客席に右手を振った。涙を拭う妻の夕梨花に感謝の思いを込めた。「試練を乗り切れてよかった」とほっとした。

度重なる苦難を乗り越え、五輪に近づいた。24年3月に腰椎を骨折。復活を果たした25年4月には交通事故にあい、顔面2カ所を骨折した。「死亡事故レベル」の大けがから返り咲いた10月の全日本距離別選手権では大会前日に負傷。W杯代表にぎりぎり滑り込んだものの、低空飛行が続いた。五輪代表圏外で臨んだ今大会も、1週間前にスケート靴が故障。使ったことのないブレード(刃)で一発勝負に臨んだ。「正直、絶望的だった。寝られない日が続いて、不安にかられていた」と明かした。

最終組の2組前でスタート。勢いよく飛び出すと、183センチの巨体を生かして加速し、好記録をマーク。4人を残していたが「3番には入れる」と確信。森重に抜かれたものの「誰よりも苦しい4年間を過ごした。楽なシーズンはなかったが結果を残せた」と安心した。

約束があった。9月にロコ・ソラーレは五輪をかけて北海道稚内市で代表決定戦に臨んだ。帯広から車で約400キロを6時間かけて応援にかけつけた。敗戦を観客席から見つめ、涙を流した。妻やチームメートからは「ミラノの舞台は託した」と言葉をかけられた。今回は妻がハリセンを手に応援しゴール後には大喜び。「よかったです。安心しました」と目を潤ませた。夫は「本当に迷惑、心配ばかりかけた。少しは恩返しできたかな」と笑った。

五輪に再び戻る。前回は2種目とも20位台に沈んだ。「ミラノでの何が起こるか分からない。経験値を詰めたのはプラス」と何事も前向きに捉える。試練を乗り越えて、次は表彰台に登りつめる。【飯岡大暉】

◆新濱立也(しんはま・たつや)1996年(平8)7月11日生まれ、北海道別海町出身。3歳で競技を始め、釧路商-高崎健康福祉大。18年W杯苫小牧大会500メートルで初優勝。19年に500メートルで当時世界記録の33秒83。日本記録33秒79を持つ。22年北京五輪500メートルで20位、1000メートルで21位。妻はカーリング五輪2大会連続メダルの吉田夕梨花。183センチ、91キロ。

【新濱の苦闘アラカルト】

◆24年3月 氷上練習で転倒し腰椎を骨折

◆24年10月 全日本距離別選手権で国内最高記録V

◆25年4月 沖縄・石垣島でのトレーニング中に交通事故に巻き込まれ、救急搬送。顔面2カ所を骨折

◆25年7月 本格的なメニューでの練習を再開

◆25年8月 公開練習に参加し「顔のつっぱり感は残っている」と明かす

◆25年10月 全日本距離別選手権の前日練習で右内転筋を負傷。500メートルで5位、1000メートルで7位

◆25年12月 全日本選手権500メートル2位で、五輪出場を確実にする

▼ミラノ・コルティナ五輪への道 11~12月に行われたW杯4大会の結果により、各国・地域に出場枠を配分。日本は男女7枠ずつを獲得した。男女500メートル、1000メートル、1500メートルはそれぞれ最大の3枠を確保。女子5000メートル、男子1万メートルは出場を逃した。全日本選手権前の時点で、女子500メートルの吉田、1000メートルと1500メートルの高木は代表確実としている。