闘志を前面に出した相撲で土俵に鮮烈な印象を刻んだ貴闘力 photo by Jiji Press連載・平成の名力士列伝67…



闘志を前面に出した相撲で土俵に鮮烈な印象を刻んだ貴闘力 photo by Jiji Press

連載・平成の名力士列伝67:貴闘力

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、気合をみなぎらせた相撲で鮮烈な印象を残した貴闘力を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【小学校卒業と同時に入門志願した破天荒ぶり】

 土俵上では常に気合をみなぎらせて相手をにらみつけ、制限時間前に立つことも厭わず。軍配が返れば張り手を交えた激しい突っ張りを繰り出し、不利な体勢になっても勝負をあきらめず、二丁投げなどの大技で逆転を狙う――。貴闘力は、そんな肝っ玉の据わったスリリングな相撲で、平成時代初期の土俵に鮮烈な印象を残した個性派力士だった。

 昭和42(1967)年生まれ。博多や神戸で過ごした幼少期に、力士を志した。中学を卒業しなければ入門が認められないところ、小学校を卒業すると、引退して藤島部屋(のち二子山部屋)を興して間もない元大関・貴ノ花の藤島親方の元に押しかけて入門を直訴。認められなかったものの、しばらく体験入門という形で居候し、親方の息子である小学生時代の若乃花や貴乃花とも一緒に暮らしたという破天荒なエピソードが伝わっている。

 その後、福岡市立花畑中で柔道部に所属し、3年時には全国大会に出場。団体戦で準決勝まで進み、のちの五輪金メダリスト・古賀稔彦(1992年バルセロナ五輪71kg級優勝)のいた東京・世田谷区立弦巻中に敗れたものの3位に入った。

 中学を卒業すると晴れて藤島部屋に入門し、昭和58(1983)年3月場所、初土俵を踏むと、順調に出世して平成元(1989)年5月場所、21歳で新十両。22歳で新入幕の平成2(1990)年9月場所、11勝4敗で敢闘賞を受賞して一躍、注目された。翌11月場所3日目には横綱初挑戦で大乃国を突き落として初金星。平成3(1991)年3月場所には旭富士から金星を奪うなど1横綱2大関を破って初の殊勲賞。新小結の5月場所は3日目に横綱・千代の富士をとったりで破って大横綱の現役最後の一番の相手となるなど、9勝して2回目の敢闘賞を受賞。新関脇で迎えた7月場所は大乃国、旭富士の2横綱と大関小錦を破って9勝して3回目の敢闘賞と活躍を続け、幕内上位に定着して三役や三賞の常連となった。

 成績以上に印象的だったのが、気合みなぎる態度と、張り手を交えて激しく突っ張る相撲ぶりだった。特に印象に残るのが曙戦で、新入幕が同じで、巨体とリーチを生かした破格の突きで横綱に駆け上がった相手を、激しく張りまくったり、イナしたりする思いきりのいい相撲で翻弄し、しばしば殊勲の星を挙げて「曙キラー」と言われた。

「貴闘力」という四股名は、新十両を機に師匠の元貴ノ花が命名したもので、「闘」という漢字を使った四股名は当時、珍しかったが、貴闘力の闘志あふれる相撲ぶりにぴったりだった。その後はしばしば使われるようになり、その先駆的な存在と言える。

【ハイライトとなった史上初の幕尻からの平幕優勝】

 突き押し相撲にありがちなことだが、連勝も連敗も多かった。大負けが続いて幕尻、すなわち幕内で番付最下位の東前頭14枚目で迎えた平成12(2000)年3月場所が、力士生活の華ともいえる場所となった。

 十両陥落の瀬戸際で初日から白星を重ね、4横綱のうち若乃花は負けが先行して場所途中で引退、貴乃花、曙、武蔵丸の3人も序盤で土がつくなか、6日目に単独首位に立つ。10日目には後続と2差の独走態勢に入った。12日目には2敗勢のひとり、関脇・武双山との一番を叩き込みで制して12連勝まで伸ばす。

 平幕優勝への期待が高まるなか、終盤は抜擢されて横綱との対戦が組まれ、13日目は武蔵丸に寄り倒されて初黒星。14日目は曙に寄り切られて2敗目。結びで武蔵丸が勝てば2敗で並ばれるところだったが、貴乃花に掬い投げで敗れてしまう。同部屋の横綱の援護射撃を受け、2敗で単独首位の座を守った貴闘力は千秋楽、1差で追う3敗勢のひとりの関脇・雅山と対戦。一気に押し込まれたが、逆転の送り倒しで制して初優勝。幕尻の力士が優勝するのは、史上初の快挙だった。

 その後も闘志をみなぎらせて奮戦するが、十両に陥落し、2年半後の平成14(2002)年9月場所、幕下陥落が確実になったところで引退して年寄大嶽を襲名した。敢闘賞10回は今も最多記録として残る。

 私生活では、現役時代から昭和の大横綱・大鵬の娘と結婚して婿養子に入っており、大鵬部屋を継ぎ、のちに大嶽部屋を名乗って師匠として指導にあたった。しかし、平成22(2010)年7月、野球賭博に関わっていたことから解雇処分となり、相撲協会を去った。その後は焼き肉店などを経営する一方、YouTubeチャンネルを開設し、過激な配信内容で話題を提供している。

 4人の息子のうち長男はプロレスラーとなったが、次男、三男、四男はいずれも大嶽部屋に入門。三男が王鵬の四股名で関脇まで進出し、しばしば上位を倒す大物食いとして活躍して、父の果たせなかった大関昇進を目指している。

【Profile】貴闘力忠茂(たかとうりき・ただしげ)/昭和42(1967)年9月28日生まれ、兵庫県神戸市出身/本名:納谷忠茂/所属:二子山部屋/しこ名履歴:鎌苅→貴闘力/初土俵:昭和58(1983)年3月場所/引退場所:平成14(2002)年9月場所/最高位:関脇