11月29日、午前9時を少し回っていた。日大三高(以下三高)野球部の三木有造監督(51)は、多摩川ボートでレース開始を待…

11月29日、午前9時を少し回っていた。日大三高(以下三高)野球部の三木有造監督(51)は、多摩川ボートでレース開始を待つ。周囲には三高野球部OBと保護者もいる。

10時半過ぎ、三高野球部出身の熊倉幹太(23=東京)のデビュー戦がスタートする。直後から、トップからどんどん引き離されていく。結果は6艇で6着。教え子の晴れ舞台を見届けた。

三木監督 結果だけの世界なんだなと。熊倉はこういう世界に立ち向かっていくんだなって思いましたね。すごいなあって…。でも、デビュー戦で伝説残せよって、そういう思いで見てました。爪痕残せよって。デビューおめでとう、じゃないですからね。

思ったことを結論からズバッと口にする。手軽にほめられたい、励ましてもらいたい、そういう期待は見事に裏切られる。しかし、それでも卒業生は三木監督の元を訪れる。それは、三木監督がまだ部長だったころから小倉全由前監督と一緒に育んできた野球部の気風だ。フワッとした美辞麗句、気休めの会話は似合わない。

熊倉の3年夏はコロナがまん延し地方大会そのものがなくなった。熊倉の高校野球は甲子園には届かなかった。三高野球部で打ち込んだ姿勢が認められ大学に進学する。そこから4年間、野球を貫くことがひとつの目標だったはずも、人生の羅針盤は針路を変えた。

ボートレーサーへの道が大きくなっていく。新しい道だ。決断した熊倉は、まず三高に足を運ぶ。小倉前監督、三木監督にその思いを伝える。順序は間違えない。

およそ2年ほど前、熊倉の訪問を受けた三木監督の指摘は、混じり気のない苛烈とも言えるものだった。「野球で入れてもらったんだ。野球を辞めるなら大学を辞めて、そこから新しくチャレンジするのなら分かる。野球は辞める、ボートレーサーにチャレンジはする、大学も卒業する。いいとこどりだな」。

痛烈な言葉を浴びる。しかし、そのために三高の寮に来た。大切な報告であり、決意表明であり、それに伴う三木監督の重い言葉は覚悟の上だった。

その場にいた小倉前監督もはっきり言った。「4年間、目いっぱい大学野球をやって、それからボートレーサーを目指すのなら分かるぞ」。高校野球を目いっぱいやってきた熊倉は、2人の言葉を聞いた上で、もう1度、今この時にボートレーサーに挑戦したい胸の内を熱く訴えた。両者はそれぞれに胸襟を開き、思いの丈をさらけ出す。

そのあとのことは決まっていた。三木監督も小倉前監督も、熊倉の生き様を応援する、そこは揺るがない。だからこそ、決して省けない時間だった。

熊倉は野球を辞め、ボートレーサーになるため養成所に入る。生活にも慣れ始めた昨年夏ごろ、三木監督に電話をかけた。1週間に数分だけ許される外部との電話連絡、貴重な時間だった。

普段、知らない番号には出ない三木監督が、その時だけは反射的にスマホを耳に当てた。不思議なものだ。「三木さん、こんにちは。熊倉です。順調にいけば来年には養成所を卒業できます。そして年内にはデビューできるかもしれません」。弾む声を聞きながら、三木監督は言った。「そうか、デビュー戦か。見に行くよ。大声で『転べ』ってヤジるよ。アハハハ」「やめてください、アハハハ。でも、ありがとうございます」。短い会話、それで十分だった。

デビュー戦当日、三木監督は約束通り、多摩川ボートにやってきた。到着後、すぐに困る。やはり野球場とボート場では勝手が違う。

三木監督 舟券っていうんですけど、どうやって買っていいかわかりませんでした。それで、警備員の方に買い方を教えてもらいました。券売機で買いました。熊倉の舟券を買いました、単勝です。

最初は1人でそっと見る予定だった。ただ、三高野球部のつながりの深さによって、そうもいかなくなった。

三木監督 本当はスーツでと思ってたんですけど、逆にそれでは目立っちゃうかなと思って、いつものジャージーにしました。1人で見る予定でしたが、熊倉のチームメートや保護者の方もいて、すぐに(自分の存在が)分かってしまって。みんなで応援しました。

6着のデビュー戦を見届けて、三高の寮に戻る。目の前には球児がいる。来夏へ向け、熱い指導に没頭する毎日だ。

小倉前監督と同様で、三木監督の視線は、卒業生の生活にも注がれている。成人式や就職、さらには結婚など、あらゆる近況が届き、その都度、表情を緩めたり、あるいは物事の本質に斬り込む鋭さで、卒業生との交流は絶えない。

OBの熊倉がボートレーサーとしてレースに出場したことは、三木監督にはうれしい出来事だった。教え子が新しい目標を掲げ、そこに向け関門をクリアした。素直に応援した。

-熊倉君、デビューしましたね

三木監督 そうですね。ここに顔を出して「ボートレーサーになりたいです」って言った時、その自信はどっから来るんだ? って聞きましたけど、ボートレーサーになりましたね。

-三高野球部を卒業して、みんな野球に限らずあらゆる分野に進みます。ここでの経験はどう生きますか?

三木監督 野球でも、野球に限らなくても、やりたいことに没頭してくれたらいいですね。その時に、ここで一生懸命に熱くやったことが土台になってくれれば…。

-デビュー戦の後、熊倉君には連絡しましたか?

三木監督 してません。

-デビューおめでとう、って連絡するのかと思ってました

三木監督 しません。おめでとうじゃないです。さっき言いましたけど、デビュー戦で伝説残せ、爪痕残せよって。デビューはゴールじゃないですから。60歳でもバリバリ現役の方もいます。結果がすべての勝負の世界です。熊倉のボートレーサーとしての苦しみは、ここからです。

-舟券(単勝1万)はきれいに保管してますね。これ、どうするんですか?

三木監督 頃合いを見て捨てます。

-ケースに入れて、大切にしているのに?

三木監督 まあ、そうですね…、はい、いずれ…、はい、捨てます。

照れた瞳の奥の方が優しく輝き、確信する。

三木さん、きっと、捨てないな

【井上眞】