今年の阪神ジュベナイルフィリーズ・G1(12月14日、阪神競馬場・芝1600メートル)は、どんなドラマが生まれるのか。…

 今年の阪神ジュベナイルフィリーズ・G1(12月14日、阪神競馬場・芝1600メートル)は、どんなドラマが生まれるのか。過去の名勝負は、06年勝ち馬で、四位洋文騎手(当時。現在は調教師)が騎乗したウオッカを振り返る。当時の2歳JRAレコード1分33秒1でG1初制覇。G1・7勝を挙げた女傑伝説の始まりだった。

 父ギムレット譲りの末脚がさく裂した。中団の内から好位に上がった4番人気のウオッカが直線で鋭く伸び、断然人気のアストンマーチャンをゴール前で差し切って、2歳牝馬NO1に輝いた。1勝馬のため、9分の8の抽選をくぐり抜けてのG1制覇。3着には逃げたルミナスハーバーが入った。

 火を噴くようなウオッカの末脚だった。新設された外回りから直線に向いて、圧倒的1番人気のアストンマーチャンが先に抜け出す。その背後から一気に襲いかかった。「何とか、かわしてくれ!」四位の左ムチに応えて、首の差だけ差し切ってゴール。

 「強い馬が1頭いて、後ろからでは無理。好位から進めないと話にならないと思っていた。道中、アストンマーチャンがずっと前にいて、いい目標になった。よく頑張ってくれました」と四位が声を弾ませれば、角居調教師は「ビックリして、うれしいです。アストンマーチャンの強さが飛び抜けていると思いましたからね」と満面の笑みだった。

 道中は5、6番手の内にいた。トレーナーは「窮屈なところにいるな」と不安に思ったという。しかし、4コーナーではうまく馬群をさばいて、末脚の破壊力につながった。「行きたがるところを我慢した前走が、今日に生きる形になった」と四位は振り返った。

 02年のダービー馬タニノギムレットの初年度産駒。父を上回る競走馬に…という願いを込めて、ジンベースのカクテル「ギムレット」よりもアルコール度数の強い「ウオッカ」と命名された。父の手綱を執ったことがある四位は「すごいパワーのある馬で、距離も融通がきいた。お母さん(タニノシスター)は瞬発力があった。(ウオッカは両親の)いいところが出ている」と目じりを下げた。

 5年間に及ぶ現役生活で、通算26戦10勝。JRA・G1は7勝を挙げた。07年の日本ダービーで、64年ぶり3頭目の牝馬Vを達成。また、ジャパンC(09年)を勝ったのは、日本の牝馬で初めてのことで、全競馬ファンのド肝抜いた。08年天皇賞・秋で、同期のライバル・ダイワスカーレットと歴史に残る接戦を演じ、2センチ差で勝利。写真判定に、約13分を要した。記録にも、記憶にも残る名牝だ。

 ウオッカは19年4月1日、繋養先のアイルランドから種付けのため移動していた英国で、蹄葉炎のため死んだ。同年3月10日に右後肢第3指骨粉砕骨折を発症。骨折部位をボルトで固定する手術を行ったが、多くの名馬と同じ蹄葉炎を患い、力尽きた。