10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回は育成1位の神宮僚…

 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回は育成1位の神宮僚介投手(22)=東農大北海道オホーツク=。努力でプロへの道を切り拓いた。

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 2003年5月27日、神宮僚介が誕生した。「仲間に恵まれてほしい」という願いから、同僚の僚の漢字をとり名付けられた。「活発でお調子者でした」と父・肇さん(54)。よく喋る僚介は神宮家を照らした。

 “ずる賢い”一面もあった。小学校低学年時のこと、神宮家ではクリスマスプレゼントにほしいものを書いた手紙を、自らの枕元に置くのが決まりだった。そこで頭がキレる僚介は、自分のに加え、同居する祖父母の枕元にも手紙を忍ばせた。合計3枚、別のプレゼントを要求する姿に母・香代子さん(54)は「あれは笑ったなー」と、なつかしそうに振り返った。

 野球との出合いは、父と家の前でしていたキャッチボール。小学校時代は遊撃を中心に守り、2番手投手だった。中学では軟式野球部に所属。目立った活躍はできなかったが、スカウトされたこともあり「厳しい環境にいくのは当たり前だと思っていた」と桐生一高への進学を決めた。強豪校へ進む息子に母は「レギュラーになれなくてもいいの?」と尋ねたが、僚介の心は決まっていた。

 高校は自宅から通った。始発で家を出て、家に帰るのは23時。疲れ果てて食事中に寝てしまうこともあった。野球ではなかなかうまくいかず苦しんだが、2年冬に主将に任命された。父は「あのときは多少弱音を吐いた」と振り返るが、僚介は「周りを見ることで自分に余裕を持てた」と投球に好影響をもたらした。

 努力が実を結び、3年春、夏と背番号1を背負った。大学は関東圏内を希望したが、プロ野球選手になるため、東農大北海道オホーツクを選択した。大学2年春に指導者の助言をもとにサイドスローへ転向。全国の舞台でも登板し、明確にプロを意識した。

 ただ、順風満帆にはいかず。肘を痛め、大学3年夏にトミー・ジョン手術を受けた。ドラフトまで約1年。父は「(プロは)社会人をへてからかな」と諦めかけていたが、僚介は強かった。リハビリ中にも弱音を吐かず、黙々とトレーニングに打ち込んだ。

 奇跡的な回復を見せ、4年秋のリーグ戦で復帰。育成指名ながら、夢だったプロの扉を開いた。両親は「高校で立てなかった甲子園で活躍してほしい。日本シリーズで投げてくれたら」と期待。不屈の男は、背番号3桁からはい上がってみせる。

 【神宮僚介(じんぐう・りょうすけ)アラカルト】

 ◆生まれ 2003年5月27日生まれ。群馬県吉岡町出身。

 ◆サイズ 178センチ、81キロ

 ◆血液型 A型

 ◆投打 右投げ右打ち。最速148キロ

 ◆家族構成 両親、姉

 ◆球歴 小学3年時に吉岡ジュニアファイターズで野球を始め、吉岡中では軟式野球部に所属。桐生一高では2年秋からベンチ入り。甲子園出場経験はなし。東農大北海道オホーツクでは1年秋からベンチ入り。大学通算4度全国大会で登板。

 ◆好きな食べ物 焼肉

 ◆好きなアーティスト NiZiU

 ◆好きなタレント 桜田ひより

 ◆好きな言葉 人生に意味のない経験などない(トミー・ジョン手術を受ける際の後押しになった言葉)