阪神、オリックスなどでヘッドコーチを務めた高代延博さんが9日に死去した。71歳。奈良県出身。23年から関西6大学野球の大…
阪神、オリックスなどでヘッドコーチを務めた高代延博さんが9日に死去した。71歳。奈良県出身。23年から関西6大学野球の大経大の監督を務めつつ、がんとの闘病生活を送っていた。
現役時代は「守備の名手」で知られ、現役引退後は「名参謀」「名ノッカー」として球界を渡り歩き、09年第2回WBCでは原ジャパンのセ界一に貢献した。葬儀・告別式は非公表。人知れず病と闘いながら、最後まで大好きなユニホームを着続けた。
◇ ◇ ◇
高代さんは人知れずがんと闘いながら、最後までユニホームを着続けた。この秋まで大経大で指揮を執り、12月9日、監督のままこの世を去った。
智弁学園(奈良)、法大、東芝を経て78年ドラフト1位で日本ハムに入団。プロ1年目の79年に、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を獲得。2年目の80年には遊撃のベストナインに選ばれるなど、守備の名手で知られた。
89年の現役引退後は「名参謀」として球界を渡り歩いた。広島の1軍守備・走塁コーチを手始めに中日でも指導し、日本ハム、ロッテ、オリックス、阪神ではヘッドコーチを歴任。韓国・ハンファでも総合コーチを務めた。捕れるか捕れるかないかのギリギリに打つ絶妙なノックが代名詞。クセ盗みの達人でも知られ、三塁コーチとしても幾多の好判断を演出した。09年の第2回WBCでは原辰徳監督のもと、日本代表の内野守備・走塁コーチを務めて連覇に貢献。13年の同大会でも同職を務め、日の丸にも欠かせない存在だった。
11年から2年間、岡田彰布監督のオリックスでヘッドコーチに就き、阪神は和田豊監督の14年にコーチとして入閣。16年から2年間金本知憲監督のもと2年間ヘッドコーチを務め、1軍から2軍に配置転換となった後も野球への情熱は冷めなかった。炎天下でも寒空でも、若虎を根気強く教える姿が高城スタイル。20年限りで退団した阪神が最後のプロ野球指導になった。
21年に「学生野球資格回復制度」の認定を受け、アマチュア野球の発展にも力を尽くした。23年1月に大経大の監督に就任すると、春季リーグでいきなり優勝争い。勝率の差であと1歩届かず「負けに不思議の負けなしですよ」とアマでも勝負師の顔を見せた。実はそのリーグ戦中に、がんと診断されていた。
大学生と白球を追いながら、人知れず戦っていた。病院で治療するため、リーグ戦を休まざるをえないこともあったが、選手たちには病名を告げることはなかった。今年の春には、来年入学予定の新入生の姿を見ようと、高校野球の兵庫県大会を訪れる姿もあった。
闘病生活を送りながらも、野球への情熱が冷めることはなかった。歴代携わったたくさんのチームに思い出を残して、生涯の幕を閉じた。
◆高代延博(たかしろ・のぶひろ)1954年(昭29)5月27日、奈良県生まれ。智弁学園-法大-東芝を経て78年ドラフト1位で日本ハム入団。遊撃手で79年ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)80年ベストナイン。89年広島に移籍し同年引退。通算917試合出場、57本塁打、346打点、打率2割5分6厘。引退後は広島、中日、日本ハム、ロッテ、オリックス、阪神、韓国ハンファでコーチ。09、13年WBC日本代表コーチ。23年1月、大経大硬式野球部の監督に就任。170センチ、73キロ。右投げ右打ち。