阪神、中日、広島などでコーチを歴任し、第2回WBCで日本代表のコーチとして大会連覇に貢献した高代延博さんが9日に食道胃…

 阪神、中日、広島などでコーチを歴任し、第2回WBCで日本代表のコーチとして大会連覇に貢献した高代延博さんが9日に食道胃接合部がんのため死去した。奈良県出身。71歳だった。

 高代さんは23年1月から関西六大学野球の大経大監督に就任したが、同年4月末にがんに罹患(りかん)していることが判明。本人の意志で公にはせず、野球部の監督を務めながら、闘病生活を続けてきた。

 24年秋に大きな手術を受け、今年は軽いノックができるほど回復。「やっぱり野球は楽しいわ」とうれしそうに話してた。しかし、今年9月末に症状が悪化。大経大監督として籍を残したまま、帰らぬ人となった。

 高代さんは智弁学園から法大、東芝を経て1978年度ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目の1979年から遊撃のレギュラーに定着し、新人としては初のダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を受賞。2年目は遊撃部門のベストナインに輝いた。

 長くショートのレギュラーとして活躍したが、1989年に法大の先輩である山本浩二氏が監督に就任した広島へ移籍。同年限りで現役を引退した。

 1990年からは広島で9年間、コーチを務めた。1999年以降は中日、日本ハム、ロッテと渡り歩き、2004年からは中日に復帰し、落合博満監督の下で5年間、コーチを務めた。

 2009年は第2回WBCの日本代表の内野守備走塁コーチ。三塁ベースコーチも担当し、原辰徳監督の下で大会2連覇に貢献した。

 2010年は韓国・ハンファでコーチを務め、2011年からはオリックスで岡田彰布監督の下、2年間ヘッドコーチを担った。

 2013年は第3回WBCの日本代表コーチ。2014年からは7年間、阪神に在籍。教え子である金本監督の下でヘッドコーチも務めた。

 現役では11年間。コーチとしては阪神を2020年に退任するまで2度の日本代表、NPB6球団、韓国1球団で31年間。計42年間もユニホームを着続けた。

 中日では星野監督、落合監督時代にリーグ優勝に貢献し、岡田監督も能力を評価するなど、名参謀として多くの指揮官を支えた。三塁ベースコーチとしては判断力に優れており、小柄な体を目いっぱい使って大きく腕を回し、多くの名シーンを生んだ。

 また、ノックの名手としても知られ、厳しい指導でも知られた。広島のコーチ時代には金本知憲、中日のコーチ時代には福留孝介、井端弘和、荒木雅博ら多くの多くの名選手を育てた。金本氏は「広島時代に自分に大きな影響を与えてくれた3人」として、三村敏之さん、山本一義さんとともに、高代さんの名前を挙げている。

 2021年からはデイリースポーツでウェブ評論家を務めながら、アマ野球の指導にも携わった。23年1月からは関西六大学野球の大経大の監督に就任。同年4月末に食道がんが発覚後、2年半を超える闘病生活を送ったが、天国へ旅立った。