◆アジア・チャンピオンズリーグエリート ▽第6節 町田3―1蔚山(6日・町田GIONスタジアム) J1町田はホームの蔚山…

◆アジア・チャンピオンズリーグエリート ▽第6節 町田3―1蔚山(6日・町田GIONスタジアム)

 J1町田はホームの蔚山(韓国)戦で2025年の全日程を終えた。町田は今季、クラブ記録を更新するリーグ戦8連勝と公式戦11連勝、天皇杯での優勝があった一方で、23年の黒田剛監督就任以降初の3連敗など、勝ちに恵まれない時期も経験した。2季連続で主将を務めた元日本代表DF昌子源は「シーズンを振り返れば苦しい時期が長かった」としつつ、「全てが報われたとは思っていないですが、天皇杯で優勝できたのは誇らしかったんじゃないかなと思います」紆余(うよ)曲折のあった1年を総括した。

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 今年、町田は合計で公式戦52試合を戦った。そのうち、昌子は50試合に出場。欠場したのは天皇杯2回戦の京産大戦、3回戦の富山戦のみだ。先発で出場したのは47試合で、その全てでフル出場。リーグ戦は全38試合、1分も休まなかった。自身にとって17年以来2度目のリーグ戦フル出場で、今季のJ1のフィールドプレーヤーで同記録を達成したのは昌子を含めて4人(他はDF植田直通、古賀太陽、MF稲垣祥)のみだ。ACLEやカップ戦の出場時間も含めれば、他の3人を上回る。結果、昌子は今年だけで4450分もピッチの上でプレーした。

 「妻含めて家族のサポート、トレーナーの皆さん、あとは僕のせいで負けた試合もある中で信用して、信頼して使ってくれた監督とコーチングスタッフにまず感謝したい」

 18年に鹿島からフランス1部トゥールーズに移籍してからは右足首の痛みに悩まされるようになり、20年にG大阪に加入して以降も苦しみは続いた。同年の天皇杯決勝も、右足首の手術を受けることを決断し、病室から仲間の敗戦を見届けた。昌子はフル出場達成の感謝を述べてから、G大阪当時の自身について自ら言及。「ガンバの時は選手として引退しようかと思った唯一の(タイミング)。あまり引退したいとか、サッカーを辞めたいとは思わないですし、妻に言うことなんてなおさらないですけど、初めて妻に『ちょっと辞めようかな』とこぼすくらいちょっと悩んだ」と明かした。

 「昌子源という選手がこのまま終わっていくと何とか思わせたくなく、ガンバ時代はプレーが全然でもちょっと大口をたたいた。サポーターの皆さんに『なんやあいつ』と思われるシーンも多かったと思いますが、それを分かっても言わないと、そのまま終わってしまう気がしていた。口が先行したし、ガンバ時代は特にそうやったと思いますけど、意図的に大きく言って、何とか昌子源はまだもがいているというか、まだここからと思わせたかった。それくらい、特にガンバの時は強化部の方もそうですけど、サポーターの皆さんにも申し訳ないと今でも思う」

 23年に古巣の鹿島に復帰したが出場機会をつかめず、昨季から町田に加入。移籍初年度で優秀選手に選ばれると、今季もチームの大黒柱として引っ張り、Jリーグ屈指のセンターバックとして復活した。5失点を喫し試合後に号泣した第28節川崎戦(3●5)、痛恨のオウンゴールを許したACLEメルボルンC戦(1●2)など苦しい瞬間もあり、「もしかしたら監督は何回か俺を外そうとした時があるかもしれない。そのタイミングで(岡村)大八がけがをして俺を使わざるを得なかったかも知れない」と振り返る。ただ、シーズン中には選手の意見を集めて、黒田剛監督に守備のやり方の変更を打診するなど、ピッチ内外で背番号3の貢献度は計り知れなかった。

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 11日には33歳になる。「僕より先輩の方で、まだバリバリやられている人が多い」と、神戸のFW大迫勇也、広島のDF佐々木翔らの名前を挙げるように、30代中盤から後半に差し掛かっても上位チームで活躍する選手は国内には多くおり、まだ老け込むような年ではない。「まだまだ33歳でも戦えるのを見せられて良かった」。そう話す昌子の顔からは今季の充実感と来季への希望がにじんでいた。(町田担当・浅岡 諒祐)