大相撲の特等床山、床辰(立浪)が9日に65歳の誕生日を迎え、日本相撲協会の定年となった。11月の九州場所が、最後の本場所…
大相撲の特等床山、床辰(立浪)が9日に65歳の誕生日を迎え、日本相撲協会の定年となった。11月の九州場所が、最後の本場所となった。
九州場所まで、横綱豊昇龍関の大銀杏(おおいちょう)を担当していた。14日目の時点では「まだ実感はないです。昨日、(豊昇龍と明生と)3人で鍋を囲みました。(横綱は)結構テンションが高まっていることは確か。今日も頭をやる時はピリピリしていましたね」と話していた。豊昇龍の優勝はならなかったが、千秋楽パーティーの後に部屋の力士たちから胴上げで送り出された。
床辰は高校を卒業を前に、元関脇安念山の立浪部屋に手紙を書いて入門の意思を伝えた。大相撲に興味があり、大関旭國が好きだった。立浪部屋に床山が1人しかいないことも狙い目だと考えたという。1979年3月に日本相撲協会に採用され、床山になった。
「自分はあまり手先が器用じゃないので、もうちょっと手先に強さがあったらもっとうまくできたんじゃないかと思います」。こう謙遜しつつ、46年半以上も務めてきた。この間、立浪部屋は元小結旭豊に代替わりした。
「部屋はいろいろ浮き沈みがありました。双羽黒のごたごたといい…、部屋が一番大変な時でした。その後、大翔山が入って、やめた後は、関取がいない時期もありました。猛虎浪で良くなったと思ったら、その後の関取がなかなかできなかった。親方も周りからいろいろ言われて大変だったと思います。横綱をつくって、見返せたと思っています」
これまで本場所で大銀杏を任された関取は16、17人。その中には部屋や一門を越えて、縁がきっかけで担当したことも多かった。旭富士は三役だった1986年九州場所から引退するまでの5年以上を任された。魁皇は約8年やった。
その元大関魁皇の浅香山親方が担当部長を務める九州場所が最後になった。13日目に「お世話になりました」とあいさつしたところ、「早いですね、今場所ですか…」とねぎらわれたという。
幕内優勝力士のマゲを直す場面は8回も経験した。旭富士で4回、魁皇と豊昇龍で2回ずつ。この場面は、床山の手さばきがNHKでばっちり映る、数少ない見せ場でもある。縁と運がなければ経験できない大役だ。
定年後の予定は、特にない。「休みたいってのは、ちょっとありますね。これからはじっくり相撲を見たいですね。相撲好きなんで」。静かに、伝統文化の継承者としての役目を終えた。【佐々木一郎】