元ブラジル代表FWで東京V、浦和で活躍したワシントン氏(50)が、新たに立ち上がったFC相模原のゼネラルマネジャー(GM…
元ブラジル代表FWで東京V、浦和で活躍したワシントン氏(50)が、新たに立ち上がったFC相模原のゼネラルマネジャー(GM)に就任し、このたび来日した。現役時代に心臓病を克服し、多くのゴールとタイトルを手にした“奇跡のストライカー”。ブラジルではサッカー統治公共機関(APFUT)会長として地域スポーツ・教育・社会貢献活動を推進している。「第2の故郷」日本でも自らの実績や経験を生かしたいと考えてのGM就任。そのワシントン氏にインタビューした。【取材・構成=佐藤隆志】
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神奈川県相模原市にできた「フットボールクラブ相模原」(斉藤勝代表)にワシントン氏が就任-。突然のニュースリリースが出たのは10月下旬だった。新設されたばかりの日本のクラブに、あのワシントンが? 実際に会うまでは半信半疑だった。しかし本人が目の前に現れ、就任に至った経緯や思い描く未来について、自らの口で語った。
まずワシントン氏をおさらいしたい。Jリーグに在籍したのは05~07年の3シーズン。力強いゴールとともに、心疾患を克服した左胸をたたくパフォーマンスで有名になった。J1出場85試合で64得点。その1試合平均0・753点は、通算30得点以上(合計233人)の中でも史上1位と、まさにJリーグ最強の点取り屋だった。07年にはアジアチャンピオンズリーグ(ACL)優勝に貢献し、クラブW杯でも3位に引き上げた。
まずは、なぜ相模原へ?
「私と斉藤の間では共通の友達がいて、斉藤の活躍、活動ぶりを聞いていました。彼はポルトガル語もできるので、電話で話して意気投合しました」
25歳の斉藤代表はブラジルでプロ選手を目指していた。負傷もあってプロを断念。故郷の相模原に戻り、地域に根差したクラブチームを作っていきたいと考えていた。そこで共通の友人を介して知り合った。サッカーに終わらず、子供たちや高齢者に向けた活動のアイデアに共感。「ブラジルでやっている活動と似ていたので興味があったし、やりたいなと思いました」。
ワシントン氏は35歳で現役引退後はクラブの監督や強化部長、建設会社経営に政治家(市議会議員、下院議員)、国家や州レベルでのスポーツ長官も務めた。実に幅広く、さまざまなことに従事する。その中でも子供の貧困には自らプロジェクトを立ち上げ、支援活動を行った。
「小さいチームをやっているところで、地域社会とのつながりから政治の方へ声をかけられました。ブラジルには貧困問題があります。彼らには貧困から抜け出すチャンスがない。機会がないと薬とか、変なところに走ってしまう。だから間違った方向に進まないよう指導、ケアして、スポーツによって健全な道へ導いていく。そこでもしサッカー選手になれるなら素晴らしいことだし、それ以外の道でも何か機会をつくってあげたい。子供たちが勉強をすれば、努力をすれば、続けていけば、それは大きなモチベーションに必ずつながります。結果的に若い人を育てることはブラジルをいい方向にもっていくことだと信じています」
ワシントン氏は父が外交官という恵まれた家庭ゆえに、少年時代に高等教育を受けられた。その経験から得た知識や、学ぶことの重要性を説いている。
そこへ27歳だった02年に判明した心疾患。2度の手術を乗り越え、サッカー選手として再起した。自らの言葉で、子供たちに“あきらめるな”と伝えたい。
「心臓疾患と言われ、床が抜けるというか、もう終わったと思った。それでも練習がしたい、また戻りたいという気持ちが高まった。動けなかった時に自分を信じ、自分はできると過大評価した。いずれ戻った時に全部してやると。だから子供たちには、それぞれの生い立ちはあるが、自分はこうやってきたんだということを説明すること、見せてあげることができる。希望を持つこと、あきらめないことを伝え続けています」
FC相模原は来年から神奈川県リーグへ登録する新チーム。GMとしてどう関わるのか? 地球の裏側にあるブラジルとは遠く離れているが、通話アプリを使えば支障はないという。
「できたばかりのチームなので自分の経験や、こうしたらいいよという運営面も一緒にアドバイザーとしてやっていきたい。それこそヴェルディや浦和のような大きなクラブになったら、フルタイムで私は見なければいけないし、強化もしなければいけない。まだ生まれたばかりなので、チームとしての在り方とか、そういうことをアドバイザーとしてやっていきたい」
何より第2の故郷と言える日本に、関わっていきたい思いが強かったという。
「日本でいろんなことを学びました。迎えてくれた日本の人たちには今でも感謝しています。今後も日本とのつながりをもっともっと太くしていきたいし、架け橋となりたい。社会的な活動、スポーツでも同じようにやっていきたい」
10月に日本代表対ブラジル代表戦が行われたが、その時も日本代表を応援したというほどだ。「親善試合だったし問題ないでしょう。だから日本を応援しましたよ」と笑った。Jリーグ入りする前の01年にはW杯前年のコンフェデ杯で来日し、ブラジル代表としてプレーした。日本との縁を感じずにはいられない。
くしくも2025年は日本とブラジルの国交が結ばれて130周年。両国の友好関係が深まるタイミングに自らも新たな一歩を踏み出す思いを強くした。将来、何かやりたいことや目標はありますか? そう問うと「本当のこと言っていい?」と言って笑った。
「本当のことを言うと、僕はチームの経営、もしくはチームの監督をやりたいとずっと思っているんです。自分の夢は日本のチームで監督がやりたい。そういうことがあれば要職をなげうってでも行きたい」
敬虔(けいけん)なカトリック教徒。現役時代にJクラブからのオファーを受けた時も「日本に行ってあなたは何かしなさいと啓示を受けたようだった」と二つ返事だった。
「04年にブラジルで34ゴールという記録を作ったけど、すぐに行くと言いました。周りからはなんで日本に行くんだと言われましたけど。それでも行くと決めました。おかげさまで日本でも記録を作ることができました」
50歳。人生は折り返した。このタイミングで浮かんだ“望郷”の念。ワシントン氏は再び日本で、自らの活躍の機会を広げたいと願っている。
◆ワシントン・ステカネラ・セルケイラ 1975年4月1日、ブラジル生まれ。89年にブラジリアでプロデビュー。インテルナシオナル、グレミオ、フェネルバフチェ(トルコ)などを経て05年に東京V入り。06年から浦和でプレーし、同年に得点王。01、04年ブラジル選手権得点王。ブラジル代表Aマッチ通算9試合2得点。J通算85試合64得点。189センチ、88キロ(現役時)。