◆明治安田J1リーグ▽第38節 鹿島2―1横浜FM(6日・メルスタ) 鹿島が横浜FMを2―1で下し、9シーズンぶり9度目…
◆明治安田J1リーグ▽第38節 鹿島2―1横浜FM(6日・メルスタ)
鹿島が横浜FMを2―1で下し、9シーズンぶり9度目のJ1制覇を果たした。主要タイトル通算21冠目となり、Jクラブ最多を更新した。
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待ち焦がれていた瞬間だった。涙で目を赤く充血させた植田が、シャーレを空高く掲げた。2016年以来、9季ぶりの歓喜。植田が「鹿島が1番だ!」と叫べば、鬼木監督も「鹿島、最高!」と声を張り上げる。3万7079人の大観衆が沸いた。
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1月7日、鬼木監督はホワイトボードに「リーグ優勝」と記した。緊張感漂う始動日のミーティング。「俺は優勝したいからここに来た。本気で心の底から優勝したい」。狙うは9季ぶりV。方向性が定まった。
2月15日、鈴木優磨は嘆いた。湘南との開幕戦で0―1の敗戦。「パスが各駅停車」。技術を求める指揮官の要求に応えようとするとミスが多発した。自滅に近い、厳しい船出となった。
2月22日、第2節東京V戦(4〇0)は大きな転機となった。指揮官は「勝利への執念が足りなかった」と開幕戦を選手に謝った。この一戦から「練習で技術を高め、試合は最善手で」という戦法が確立した。
4月20日、昨季まで戦力外扱いだった若手が、公式戦連敗を4で止めた。岡山戦(2〇1)の先制点は、1年前まで練習の中で駒扱いされていた20歳DF津久井佳祐、決勝点は22歳(ともに当時)舩橋佑の演出から。鬼木監督は「全員戦力。ずっと総力戦」と言い切り、居残り練習も最後の1人が終わるまで熱視線を送る。若手の台頭は躍進を支えた。
5月31日、鬼木監督は涙を懸命にこらえた。G大阪戦(1〇0)で安西幸輝が右膝を痛め負傷退場。「日本代表復帰を目指そう」と声をかけてきたDFの長期離脱が決まり、前半戦だけで師岡柊生、関川郁万、安西の主力3人が今季全休の大けがを負った。早川友基は「3人に(優勝の)シャーレを掲げてもらいたい」と誓った。タイトルを取らなければならない理由が1つ、チームに加わった。
6月28日、鈴木とMF松村の大げんかが勃発した。岡山戦(1●2)後、激しい口論となった。これまでなら鈴木が一方的に怒るだけだった。しかし5歳下の松村は応戦した。クラブ幹部が「懐かしい」と目を細めたのは、かつての黄金期にありふれた光景だったから。10月の京都との大一番(1△1)では、この2人で劇的同点弾を生んだ。
9月20日、鈴木が「これじゃ優勝は無理」と吐き捨てた。浦和に1―0で勝利するも「この戦いはいつか限界が来る。練習から危機感持たないと」。勝ってもなお、成長を求めた。結局、チームは7月を最後に一度も負けず、15戦無敗で駆け抜けた。
11月30日、松村は「あと1つ!」とスタンドに吠えた。東京V戦(1〇0)の勝利により、ついに王手。選手は口々に「鹿島の強みは一体感」と言うようになった。仲良しこよしではなく、1つの目標に向かい、しのぎを削り合って突き進む集団という意味だ。
12月6日、時は来た。鹿島に歓喜が訪れた。鈴木も、植田直通も、三竿健斗も涙した。タイトルに飢えていた名門が、復権の足がかりとなる21冠目。鬼木監督は「感無量です。何も言うことありません」と笑った。強い鹿島が帰ってきた。(岡島 智哉)