第102回箱根駅伝(来年1月2、3日)で、継続中としては最長の21年連続シード権(10位以内)獲得を目指す東洋大の酒井…

 第102回箱根駅伝(来年1月2、3日)で、継続中としては最長の21年連続シード権(10位以内)獲得を目指す東洋大の酒井俊幸監督(49)が6日、学生時代に一本のタスキをつないだ3学年先輩で、チームの新スポンサーとなったビースタニング代表取締役の斎藤洋一さん(52)から熱い激励を受けた。

 ちょうど30年前の第72回(1996年)箱根駅伝で、当時4年生で主将だった斎藤さんは1区(区間13位)、当時1年生の酒井監督は3区(区間11位)を担い、同じ鉄紺のタスキをかけて走った。酒井監督は「洋一先輩は私が1年生の時の4年生でキャプテンでしたので、とても、お世話になりました。その洋一先輩が今、スポンサーとしてチームを支援していただけることは、とてもありがたいことです」と感謝した。

 学生時代、キャプテンシーあふれる選手だった斎藤さんは「箱根駅伝を走らせてもらった経験で一番に思うことは、選手を応援してくれる家族、友人、恩師、そして、チームメートへの感謝です。私はスポンサーの前に東洋大OBです。少しでも、当時の恩返しをできれば幸せです」と誠実に、かつ謙虚に話した。

 この日、東洋大は練習拠点の埼玉・川越市のキャンパスでトラック練習を行った。かつて、自らも、汗を流したグラウンドを訪れた斎藤さんは感慨深い表情で語った。

 「酒井監督はじめ当時のチームメートと箱根駅伝を走ってから、ちょうど30年。当時、東洋大はシード権(当時は9位以内)を取れず、苦しい時代でしたが、一緒に汗を流し、選手寮で文字通り同じ釜の飯を食べた仲間は今でも大切な存在です。切磋琢磨(せっさたくま)する中で成長することが『だれが一番、速いのか』の先にある大学駅伝の価値と思います」

 斎藤さんは1992年に山形・新庄北高から東洋大経済学部に入学。箱根駅伝には3回出場し、2年1区16位(チーム15位)、3年3区8位(チーム10位)、4年1区13位(チーム11)。96年に卒業し、実業団の雪印に入社。ニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)にも出場経験を持つ。99年に現役引退し、営業職など社業に専念。2002年に雪印を退社し、IT企業に転職。06年に起業し、赤ちゃんのギフトショップ「ConiConi(コニコニ)」を運営するビースタニングを設立した。

 今年12月2日に東洋大とのスポンサー契約を発表。公式トレーニングウェアに「ConiConi」のロゴが掲出されることになった。「赤ちゃんの誕生を祝い、未来へ最初の一歩を応援することが私たちの仕事です。駅伝に挑む若者たちの姿が、未来の子どもたちにとっての憧れとなり、努力することの大切さを知ってもらえることを願っています」と斎藤さんは話す。その上で「私たちはもっと会社を大きくして、将来的にはユニホームスポンサーとなれるように頑張ります」と大きな夢を語った。

 今年1月の第101回箱根駅伝で、東洋大は最終10区の最終盤まで8~11位争いを繰り広げた。4校のうち3校がシード権を獲得、1校だけがシード権を逃すというシビアな戦いで、アンカーの薄根大河(当時2年、現3年)が9位と踏ん張り、20年連続のシード権を死守した。今回は21年連続シード権、さらには5位以内をチーム目標に掲げている。

 「箱根駅伝を走った選手が母校のスポンサーになることはすごいことです。現役選手の励みになります」と酒井監督は話す。物心両面で東洋大を支援する斎藤さんの激励を受け、東洋大は、第102回箱根駅伝に向けて、さらに士気を高めた。