<大相撲九州場所>◇2日目◇10日◇福岡国際センター元横綱旭富士の宮城野親方(65)が、しこ名を継承するバトツェツェゲ・…
<大相撲九州場所>◇2日目◇10日◇福岡国際センター
元横綱旭富士の宮城野親方(65)が、しこ名を継承するバトツェツェゲ・オチルサイハン(23)の実力に太鼓判を押した。まだ初土俵すら踏んでいない新弟子に、横綱の名を与える。「つけてあげたいから、いいんじゃないですか。ウチの部屋で一番強くなったからね」とさらりと言った。
伊勢ケ浜部屋には、伯桜鵬を筆頭に全部屋最多となる6人の関取がいる。いずれも実力者だが、「一番強くなった」と評価した。「一番稽古もよくやったから」とも続けた。一般的に、横綱のしこ名は「止め名」になることが多い。力士名が偉大になり、受け継ぐ側にも重圧がかかるため、永久欠番のような扱いになる。この点についても「そんな決まりはないでしょ」と気にしていなかった。
将来性を見込んでの継承だ。「もちろん、横綱になってもらいたいし、なる可能性はある。稽古をどれだけやるかにかかっているけど、実力的にそれくらいあると判断しています」。宮城野親方の見立てが外れたことは、これまで「1度もない」とも言った。
7月に65歳の定年を迎え、日本相撲協会の参与となった。定年を見据えて6月に伊勢ケ浜部屋を継承するまで、日馬富士と照ノ富士を横綱に育てた。当時、旭富士を継承する気持ちは「あまりなかった」。オチルサイハンが約4年半待って新弟子検査受検が決まった時点で、継承を考えたという。「下から(旭富士を)付けるのは、それだけの実力があるから。もっともっと強くなってほしい」。辛口の親方が、孫弟子に温かい視線を送っている。【佐々木一郎】
◆宮城野正也(みやぎの・せいや)。本名・杉野森正也。1960年(昭35)7月6日、青森・木造町(現つがる市)生まれ。近大を中退後、漁業に従事していたが大島親方(元大関旭国)に誘われて角界入り。81年初土俵、90年に63代横綱に昇進、92年引退。93年「安治川」を襲名し部屋を継承。07年「伊勢ケ浜」へ名跡変更。多数の関取を育てた。25年6月、元横綱照ノ富士に「伊勢ケ浜」を譲り、年寄「宮城野」に。同年7月に定年を迎え、現在は参与。