史上最強の新弟子が極めて異例となる、横綱のしこ名を受け継いで、初土俵を踏むことになった。大相撲九州場所3日目に始まる前相…
“史上最強の新弟子”が極めて異例となる、横綱のしこ名を受け継いで、初土俵を踏むことになった。大相撲九州場所3日目に始まる前相撲で初土俵を踏む、モンゴル出身のバトツェツェゲ・オチルサイハン(23=伊勢ケ浜)が、4度の優勝を誇る元横綱、宮城野親方(65)の現役時代のしこ名「旭富士」を継承することが決まった。同場所2日目の10日、会場の福岡国際センターで、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱照ノ富士)が明かした。
まだ実績ゼロの新弟子が、横綱のしこ名を付けるのは極めて異例だ。関係者の間では「すでに実力は大関、横綱クラス」との呼び声が高い、大器への期待の大きさの象徴となった。伊勢ケ浜親方は「先代(宮城野親方)から『どう?』と聞かれて『親方がいいなら、いいんじゃないですか』と答えて決まった。本人が(神奈川)旭丘高校の出身なので、その意味も含まれている」と説明した。今夏には「旭富士」襲名が内定し、前相撲を翌日に控えたこの日、ずっと温めていたプランを明かした。
大器だからこそ、師匠の目は厳しく「力が強いぐらい」と、技術的には未完成と強調した。ただ、筋力トレーニングは「やるなと言っても、やってしまうぐらい」と、熱心に取り組む姿勢を評価していた。「あんまり持ち上げないでよ」と、弟子が調子に乗らないよう、冗談交じりに話しながらも、笑顔の中に期待がにじんでいた。
現宮城野親方の旭富士は、昭和から平成へと時代が移ろう中で、千代の富士、大乃国、北勝海と4横綱の一角としてしのぎを削った。引退後も先代・伊勢ヶ浜親方として厳しい指導で弟子たちを育て上げ、日馬富士、照ノ富士と2人の横綱を送り出した。力士、親方としても各界に大きな貢献を果たしてきた「旭富士」の名を、まだ何も成し遂げていない23歳の若者が背負う。
オチルサイハンは15歳の18年春に来日し、神奈川・旭丘高に1年から留学。同高時代は目立った成績を残せなかったが、同高卒業後から伊勢ケ浜部屋で4年半、みっちりと稽古を積んだ。大相撲の規定で、外国出身力士は1部屋1人まで。今年1月の初場所中に横綱照ノ富士が引退するまで、初土俵の時期も不透明だった。そこから外国出身力士に必要な、半年間の研修期間が正式にスタート。秋場所前の新弟子検査を受検、興行ビザの取得に1場所を要し、今場所、晴れて初土俵を踏む。
4年半もの長すぎる鍛錬の時間が若者を怪物へと変貌させた。東前頭筆頭で現在、2場所連続で横綱大の里から金星を挙げている伯桜鵬、7月の名古屋場所で優勝を争った草野改め義ノ富士、熱海富士、さらに優勝経験者の尊富士ら、実力者がひしめき合う伊勢ヶ浜部屋の中でも実力は抜きんでている。
スピード感のある鋭い立ち合いからの圧力は驚異的。まわしを取らなくても圧力勝ちし、まわしを取れば、部屋の関取衆も太刀打ちできないほどの怪力を発揮する。先月末、福岡・太宰府市での稽古中に右目上がパックリと割け、出血するけがに見舞われた。稽古を途中で抜け、向かった病院から戻った際に「6針縫ってきました」と明かした。それでも笑顔を見せるなど、大事には至っていない様子だった。さらに初土俵を間近に控えた心境を「特に気持ちが高ぶることも、緊張することもない」と、堂々と話すなど、大物感を漂わせていた。
どれだけ期待値が高くても、横綱が名乗ったしこ名を受け継ぐのは、従来なら実績を積み、番付を上げてから、しこ名を改名してきた。だがオチルサイハンには「通例」は似合わない。初土俵を前に注目度が一段と高まった「旭富士」が、いよいよ初土俵を踏む。
◆バトツェツェゲ・オチルサイハン 2002年(平14)5月17日、モンゴル・ウランバートル生まれ。モンゴルでのスポーツ歴はバスケットボール、ボクシング。18年春に来日し、神奈川・旭丘高に留学、相撲部に入部。卒業後の21年春に、伊勢ケ浜部屋に入門。内臓検査の結果を受けて、秋場所初日に新弟子検査合格が発表されれば、11月の九州場所で初土俵の見込み。家族は母。叔母はレスリング女子76キロ級で12年ロンドン、16年リオデジャネイロ、21年東京と五輪3大会出場のブルマー・オチルバト。185センチ、150キロ。