熾烈なシリーズチャンピオン争いに注目が集まった全日本スーパーフォーミュラ選手権の最終戦・鈴鹿。当初は10月22日に決勝レースが行なわれる予定だったが、台風の接近により決勝レースは中止に。その結果、第6戦終了時点でランキングトップにつけ…

 熾烈なシリーズチャンピオン争いに注目が集まった全日本スーパーフォーミュラ選手権の最終戦・鈴鹿。当初は10月22日に決勝レースが行なわれる予定だったが、台風の接近により決勝レースは中止に。その結果、第6戦終了時点でランキングトップにつけていた石浦宏明(P.MU/CERUMO・INGING)がそのまま2年ぶり2度目のチャンピオンを獲得した。



ピエール・ガスリーは9月末のマレーシアGPでF1デビューを果たした

 戦わずしての決着という、どこか不完全燃焼な結末となってしまったが、同時にスーパーフォーミュラに対する世界からの注目度が上がっていることも感じられた週末だった。

 9月末のマレーシアGPでトロロッソからデビューしてF1ドライバーの仲間入りを果たしたピエール・ガスリー(フランス/TEAM MUGEN)は、続く日本GPにも参戦した。しかし、ランキング2位で迎えたスーパーフォーミュラ最終戦はF1アメリカGPと日程が重なっていた。どちらのレースに出走するのか注目されるなか、ガスリーはスーパーフォーミュラでのタイトル獲得挑戦を優先して日本に戻る決断をする。

 ところが、台風21号の接近と秋雨前線の影響で、金曜日の専有走行から鈴鹿サーキットは雨模様に。土曜日の公式予選も悪天候でコースオフする車両が後を絶たず、その度に赤旗中断になるセッションとなってしまった。結局、予選はQ1で終了し、夕方には台風の影響を懸念して翌日の中止決定が主催者から発表。ドライバーズタイトルは石浦が手にし、ガスリーは0.5ポイント差のランキング2位でシーズン終了となった。

 その後、急遽行なわれたシリーズチャンピオン記者会見には、2度目の王座に輝いた石浦と、チームタイトルを獲得したP.MU/CERUMO・INGINGの立川祐路監督、さらにランキング2位に加えてルーキー・オブ・ザ・イヤーも受賞したガスリーと、ランキング3位のフェリックス・ローゼンクヴィスト(スウェーデン/SUNOCO TEAM LEMANS)が出席した。

 超大型の台風が接近している状況なため、決勝レースの中止は仕方がないところではある。だが、このような形でシリーズを終えるのは非常に珍しいケースだ。チャンピオンを獲得した石浦も複雑な表情を見せていたが、それ以上にガスリーからは悔しさと落胆ぶりが伝わってきた。約50分にわたって行なわれた記者会見のなか、ガスリーが笑顔を見せた瞬間はほんの数回しかなかった。

 メディアからの質問に対し、ガスリーは重い口を開いて今週末のことや今シーズンを振り返った。

「本当ならば、最後までちゃんと石浦選手と戦いたかった。それが本音。決勝レースがキャンセルされたというのは残念だけど、石浦選手には心からおめでとうと言いたい」

 珍しい形で幕を下ろした今シーズンとなったが、この最終戦で何より印象的だったのは、海外メディアの多さだ。

 日本国内のシリーズ戦ということもあり、以前は海外メディアがスーパーフォーミュラを取材に来ることはまったくと言っていいほどなかった、だが、今年は開幕戦から海外メディア姿を見かけることが当たり前のようになり、第6戦のSUGOではフランスのテレビ局がドキュメンタリー番組の作成のためにガスリーを密着取材していた。

 そしてこの最終戦にも、10人近い海外メディアが鈴鹿サーキットに訪れていた。昨年のストフェル・バンドーン(マクラーレン・ホンダ)を含め、「F1への新しい登竜門」として海外でのスーパーフォーミュラの評価が変わりつつあるようだ。

 今シーズン初めてスーパーフォーミュラを戦ったガスリーとローゼンクヴィストは、この1年で非常に多くのことを学んだという。

「日本のチーム、日本のスタッフと一緒に仕事して、それぞれ考え方が異なるなかでどうやればコミュニケーションがうまくとれて、パフォーマンスも改善していくのかを探る日々だった。今シーズンやってきたことは、きっと今後の僕のキャリアのなかで役に立つときが出てくるだろう。

 また、今年は初めて走るコースも多く、十分な走行時間がないなかで予選を迎えなければならなかった。短時間のなかで100%のパフォーマンスができる準備をしなければいけないから、それに対応する集中力は身についたのではないかと思う。ひとりの人間としても、成長できたシーズンだったよ」(ガスリー)

「これだけハイパフォーマンスなフォーミュラカーに乗ることは今までなかったから、本当に多くの経験を得られた。あと、時差ボケには特効薬がないんだな、ということもわかったね(笑)。ピエール(・ガスリー)も言っていたけど、コミュニケーションが一番の課題だった。違う言語、文化のなかで最初は苦戦したけど、このままあきらめるか、それとも打開策がないか探っていくか。僕たちはコミュニケーションの改善に向けて取り組んだので、その結果いいシーズンを過ごせたと思う」(ローゼンクヴィスト)

 そしてふたりは、ヨーロッパにいる後輩ドライバーや他のカテゴリーで戦うライバルたちに対し、このスーパーフォーミュラはぜひとも参戦を勧めたいレースだと太鼓判を押してくれた。

「このシリーズは本当にすばらしいと思うよ。たくさんのプロフェッショナルなドライバーがいて、みんな速いし、経験豊富だし、このチャンピオンシップを戦うことによって得られるものは非常に大きい。またフェリックス(・ローゼンクヴィスト)が言ったように、スーパーフォーミュラはGP2やフォーミュラルノーのクルマとは比べ物にならないくらい速い。僕が今まで経験してきたなかで、もっとも速いクルマのひとつと言えるよ。

 それから、コースもすばらしいね。鈴鹿は大好きだし、開幕戦で走ったときは興奮した。オートポリスも僕にとっては刺激的なコースだったよ。これからもきっとヨーロッパからたくさんのドライバーがきて、次のステップの場にしてくれると思う」(ガスリー)

「正直、昨年くらいまでスーパーフォーミュラは海外であまり知られていなかった。それが昨年から今年にかけて注目されるようになって、多くのドライバーが興味を示している。僕が参戦しているフォーミュラEのドライバーもスーパーフォーミュラに出てみたいと考えているので、ぜひとも彼らにもオススメしたい。

 また同時に、日本人ドライバーもヨーロッパに行っていろいろなことを学んでほしい。これだけ有能な日本人ドライバーがたくさんいるのに、F1に日本人ドライバーは誰もいないし、F2やF3にも2~3人しかいない。本当ならもっといてもおかしくないくらいなのに。ヨーロッパと日本でドライバーがたくさん行き来できる環境が出来上がればいいね」(ローゼンクヴィスト)

 実は、この週末もFIA F2で戦うラルフ・ボシュング(スイス・20歳)がレースの見学に訪れるなど、スーパーフォーミュラへの参戦を視野に入れているかのような動きをしているドライバーもいた。また、海外からも、スーパーフォーミュラに出てみたいというコメントも聞く。

 来シーズンのドライバーズラインナップや移籍情報は、現在まだほぼ白紙状態だ。だが、間違いなく来シーズンも豪華なメンバーが出揃う予感が漂ってきた。

 FIAはF1参戦に必要なスーパーライセンスの発給条件を満たすポイントリストを9月に改訂し、スーパーフォーミュラは前年と比べると5ポイント”格下げ”を受ける形となった。しかし実際には、海外のドライバーたちはスーパーフォーミュラを魅力のあるカテゴリーと考えているように思える。

 1990年代はエディ・アーバインやハインツ=ハラルド・フレンツェンなど、日本国内のレースで育った海外ドライバーがF1へステップアップしていくケースは多かった。近年、その流れがふたたび復活し始めているのは間違いなさそうだ。