B3新潟の主将、池田雄一さん(41)が24-25年シーズン限りで現役を引退した。新潟一筋19年間で個人通算861試合に出…

B3新潟の主将、池田雄一さん(41)が24-25年シーズン限りで現役を引退した。新潟一筋19年間で個人通算861試合に出場。得意の3点シュートを武器にB1時代の18-19年には中地区優勝に貢献した。bjリーグを皮切りにB1、B2、B3とすべてのカテゴリーでプレー。B2、B3への降格などさまざまな経験もした。バスケットの「ミスターアルビレックス」が選手生活を振り返り、今後のクラブとの関わりなどについて話した。【取材・構成 斎藤慎一郎】

 ◇   ◇   ◇

-現役引退を6月30日に発表し、約1週間

池田 今までこの時期は次のシーズンに向けて動いているんです。今はトレーニングではなく健康維持で(笑い)。今度、登山をしたいと思っています。現役の時は「山トレ」で、弥彦山を山頂まで走った。これからは景色を楽しみながらのんびり上りたいです。

-最後のシーズンになった24-25年はB3プレーオフ準決勝で敗退し、B2復帰ならず

池田 22-23年でB1からB2に落ちて、23-24年でB3に降格。24-25年はどうしても上(B2)に戻らなければならなかったのですが。非常に残念です。クラブは次にしっかりつなげなければならないです。

-引退を決めたのは

池田 構想外の話を聞いた時ですね。新潟以外でプレーする気はなかったですから。シーズンが終わってからの話だったので、ファンやお世話になった関係者の方々に直接お伝えする機会を持てなかったのが心残りです。会見を開いても構わなかったのですが。来季がちょうど20年目のシーズンだったので、個人的にはそこを区切りに引退というのは考えていました。そうすればファンの方々にもプレーを見ていただけるし、最終戦であいさつもできました。

-今季での引退は悔いが残る

池田 いえ。複数年を提示された時に自分から単年契約をお願いしていました。1年ごとに全力でやった方があっているので。出場機会は減ったけど、全てを尽くしました。その上での構想外ですので、やることはやりました。20年はプレーできなかったけど悔いはないです。

-印象に残る試合は

池田 やはり18-19年にB1中地区優勝を決めたアウェーの川崎戦ですね。翌日の2戦目も勝って、川崎に2連勝できたこともうれしかったです。

-新潟一筋の理由は

池田 10歳からバスケを始めて、吉田中を卒業するときに当時新潟商の監督だった佐藤正先生に声をかけていただきました。1年生の時にインターハイ優勝を経験できた。東海大の当時の監督、陸川章さんも新潟出身。4年の時にインカレで優勝しました。ずっと新潟の人に関わってバスケをしてきて。だからプロでも新潟でプレーできることに感謝し、恩返しをしたかった。他クラブから声をかけていただいたこともありますが、気持ちは揺るがなかったです。

-今後について

池田 クラブに残る予定です。詳しい業務はまだ決まっていません。ただ、いずれはトップチームのコーチになりたいです。そのつもりでライセンスも取得しました。

-バスケとは

池田 切り離せないもの、ですね。これからも携わっていきます。

◆池田雄一(いけだ・ゆういち)1983年(昭58)7月13日生まれ、燕市出身。新潟商から東海大に進み、4年の時にインカレで優勝。06年に旧bjリーグのドラフトで新潟に入団。以後、新潟一筋でプレー。bjリーグ、Bリーグの個人通算成績は出場、861試合、得点5444点、3点シュート成功回数1062。現役時のポジションはSF。背番号32。191センチ、93キロ。