その相手は、彼女がテニスを始めた「理由そのもの」だった--。「もしビーナス(・ウィリアムズ)とその家族がいなければ、私はテニスをやっていなかったと思う」 大坂なおみは、そう言い切ることを迷わない。「私のお父さんはウィリアムズ姉妹に大きな影…

 その相手は、彼女がテニスを始めた「理由そのもの」だった--。

「もしビーナス(・ウィリアムズ)とその家族がいなければ、私はテニスをやっていなかったと思う」

 大坂なおみは、そう言い切ることを迷わない。

「私のお父さんはウィリアムズ姉妹に大きな影響を受けて、私たち姉妹にテニスを教えたんだもの」



ビーナスを破って満面の笑みを浮かべる大坂なおみ

 セリーナとビーナスのウィリアムズ姉妹が父・リチャードの手ほどきにより、幼少期からともに競い、やがてはふたりでテニス界を席巻するスタープレーヤーとなる……。その物語は、同じように歳の近いふたりの娘を持つ大坂の父に、多大な刺激と感銘を与えた。同時にウィリアムズ姉妹の存在は、ラケットを手にコートに立つ少女たちに、自分たちの「原点」としての敬意と憧憬(どうけい)の目を向けさせもする。

 大坂は言う。

「彼女たちは、私がテニスを始めた理由であり、テニスの有りようを変えた選手たちだとも思う。強烈なショットで試合を支配するパワーをテニス界に持ち込んだんだもの。私も自分をビッグヒッターだと思うから、彼女たちのプレーを参考にして今までテニスを続けてきたわ」

 ビーナスに向けてきたその敬意を、そして獲得してきたパワーテニスを、大坂は香港オープン2回戦での対戦で、あますことなく見せつけた。

 第1セットでは先にブレークされるが、「相手はすばらしい選手。リードされたからといって落ち込む必要はないし、落ち込んでいる場合でもない」と心を落ち着ける。同時に「自分のプレーは悪くない。このまま集中力を切らさなければ、必ずチャンスは来る」と自らに言い聞かせた。

 畏敬の念を自制心とモチベーションに換えた大坂は、第1セットのゲームカウント3-5から自慢の強打でウイナーを連発し、9ゲーム連取の電車道。勝利まで1ゲームに迫ったサービスゲームではブレークを許すも、その場面でも「ビーナスはツアーでも1~2のリターンの名手。ブレークされても仕方ない」と思えたと大坂は言う。

 果たして続くゲームでは、破壊力に満ちた1本のリターンウイナーが、あのビーナスの心を打ち砕く。ラインを大きく割るボールが試合に終止符を打ったとき、大坂は小走りにネットへ駆け寄ると、首をすくめるようにペコリと会釈し、憧れの存在が差し出した手をしっかりと握り返した。

「キャリア最高の試合」。本人もそう認めるビーナス戦勝利の2日後……大坂はアナスタシア・パブリチェンコワ(ロシア)に3-6、3-6のスコアで敗れる。相手が上り調子の世界21位であることを考えれば、結果そのものは必ずしも落胆するものではない。しかし試合後の大坂は、伏し目がちに「ミスが多すぎた」と小声でこぼす。

 大坂が覚えたその悔いは、コーチのデイビット・テイラーが抱えた、もどかしさでもあった。

「今日の試合で、彼女はエネルギーや情熱を発揮することができなかった。テニスの問題ではない。彼女は勝てるテニスをすでに身につけているんだ。なのに、それを試合で出せないことが多い。それがファンにとっても、そしてコーチである自分としても、モヤモヤする点なんだ」

 一気に吐き出したテイラーは、自分を落ち着けるように少し間を置き、ポツリと言った。

「もちろん、彼女自身にとってもね……」

 選手とコーチが覚える歯がゆさとは、「技術面では、去年よりはるかに上達している」との共通認識と、現実の狭間で生まれる残滓(ざんし)でもあった。

「サーブが確実によくなったし、フォアハンドも間違いなく上達している」

 自信に満ちた口調で大坂が言えば、テイラーも「フォアハンドはよくなったし、セカンドサーブも上達した。ビーナス戦でも示したように、なおみはトップ10に比肩するプレーをできる」と、選手の手応えを裏付けた。

「ただ……」と、テイラーは続ける。

「テニスというのは、1週間におよぶトーナメントで争う競技だ。グランドスラムなら2週間。優勝するには5~7試合勝たなくてはいけない。しかし今大会の彼女は、ビーナス戦がすべてであるかのように捉えてしまった。

 原因は、精神面にある。彼女は精神的なアップダウンが激しく、ゆえにプレーや結果も安定しない。彼女に必要なのは、常にトッププレーヤーとやっているときのような精神状態で試合に挑むことなんだ」

 またテイラーは、この課題がすぐに解決されるとは思っていない、とも言った。

「最近は、10代のころに将来を期待された選手が22~23歳ごろに開花し、トップ10入りする例が多いんだ。(10月16日に20歳となった)なおみも、まだ時間がかかると思う。多くの人が早く結果を求めるだろうが、少なくとも1~2年は見守ってほしい。これは数日間で改善される課題ではなく、人間的な成長が何より必要なのだから……」

 大坂なおみ本人は今季を振り返り、笑顔で「全体としては喜ぶべきシーズン」だと断言した。

「結果的にビーナスのようなトップ選手にも勝てたのだから、ネガティブになる必要はない。ランキングが去年より下がったことを指摘する人もいるだろうけれど、それは気にしてないわ。だって私は、自分が去年よりも成長し、いいプレーヤーになったことを知っているもの」

 初めてラケットを手にし、姉とともにウィリアムズ姉妹の足跡を追い始めてから15年。その出発点にいるビーナス・ウィリアムズを破り、大坂なおみの10代最後のシーズンは暮れていく。

 自身の成長への確信と、これから踏破すべき長い道のりを指す、夢への指針を浮かび上がらせて……。