室屋義秀がレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップに参戦し、今年が6シーズン目になる。デビュー当初は連戦連敗が当たり前だったが、自身のトレーニングに加え、機体の改良が実り、今では世界中の猛者たちに混じっても”強豪…

 室屋義秀がレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップに参戦し、今年が6シーズン目になる。デビュー当初は連戦連敗が当たり前だったが、自身のトレーニングに加え、機体の改良が実り、今では世界中の猛者たちに混じっても”強豪”のひとりと数えられるまでになった。



エアレース最終戦を制し、年間チャンピオンに輝いた室屋

 そんな成長の過程において、室屋に感じる最も大きな変化は「落ち着き」であり、「余裕」だ。

 かつての室屋は過剰にレースを意識するあまり、人を寄せつけないようなところがあった。レースを終え、自身のフライトを振り返るときも、(その多くが敗戦後だったのだから無理もないが)どこか強がりや負け惜しみを口にするようなところがあり、余裕が感じられなかった。

 だが、今は違う。例えば、あるレースの成績が悪かったとき、以前と同じように「ここがダメだったけれど、次は大丈夫」と話すにしても、それが強がりに聞こえない。話すときの表情や口調に、かつての苛立ちや焦りとは違った、落ち着きや余裕があるからだ。

 決して後づけではなく、今季の室屋を振り返ったとき、優勝するレースでは不思議と”勝てそうな雰囲気”が漂っていたように思う。今季の最終戦が行なわれたインディアナポリスに入ったときも、室屋は初の年間総合優勝がかかった大一番を前にしているにもかかわらず、驚くほど自然体だった。

「日本でのエアショーが終わったら、他の用事は全部キャンセルして、航空券の予約も変更してこっち(アメリカ)に来ちゃった」

 少なからず重要な用件もあっただろうにと、こちらが心配するのをよそに、室屋はそう言って笑っていた。

 言葉だけを聞けば、大一番を前に少しでも準備の時間を長くしたい。そんなふうにも思える。だが、室屋の様子を見る限り、急な予定変更も”入れ込み過ぎ”が理由とは思えなかった。

「年間総合優勝がかかったレースだから(早く来た)、というのもあるけど、それよりも、日本にいるとなにかと(周囲が)騒がしいからね」

 そう語る室屋は、至って落ち着いたものだった。

「一戦一戦どれもレースは同じだけど、タイトルかかればまた面白いしね。優勝の可能性がある上位の4人はレベル的にはほとんど変わらないし、僅差のゲームになると思う。わずか0.1秒でも稼げるように、エンジンのテストもしてきたので、それが本番でどう出るか。楽しみですね」

 何より”決戦前夜”の室屋に印象的だったのは、いい意味でタイトルに固執するようなところがなかったことだ。

 目を血走らせて、周囲の人が近づきがたいオーラを発する。そんな様子は、絶対にタイトルを取ってやるという執念の表れとも言えるが、裏を返せば、余裕のなさにもつながりかねない。

 決戦の地に足を踏み入れてもなお、室屋いつも通り穏やかだった。

「どっちにしたって過去最高成績(年間総合4位以上)になることは決まっているわけだから。今年勝つもよし、勝たぬもよしと思えばそんなに入れ込むこともないですね」

 それほど自身の置かれた状況を達観できるのには、「ラウジッツ(第7戦)に比べれば気持ちは楽」だという想いがあるからだった。

「そのときは知らなかったけど、実は(マルティン・)ソンカの年間総合優勝が決まってしまう可能性もあったレースに、自分もここで一発勝負という感じで、優勝を絶対条件にして臨んだ。かなりいろいろな戦略を張り巡らせて、かなりリスキーな戦いを切り抜けられましたが……、だから、この前のレースは疲れましたね。表彰式のときには、もう膝に手を置きたいくらいで、あんなに疲れたレースは今までにありませんでした」

 それを思えば、「今回はいつものレースよりもだいぶ早く入ってトレーニングとテストを重ねてきたので、万全と言ってもいい。やれるだけの準備はしてきから、あとは飛ぶだけでしょ、って感じ」だった。

 自力ではどうにもできない年間総合優勝の可否はともかく、このときの室屋には、間違いなく”勝てそうな雰囲気”があったのだ。

 ところが、そんな室屋に異変を感じたのは、予選のフライトを終えた後のことだった。

「エンジンがどうも……、まだ原因はわかっていないんですけど、馬力が出ていなくて」

 そう語る室屋からは明らかな苛立ちがうかがえ、発する言葉は短く、怒気さえはらんでいた。

 室屋は予選2本のフライトでいずれもペナルティを犯し、まさかの2桁順位(11位)に沈んでいた。エンジンの不調が原因なのか。それとも、それによって自身のフライトが乱れていることが原因なのか。室屋が何に苛立っているのかはわからなかったが、その様子は”悪いときの室屋”だった。

 誤解を恐れず言えば、室屋が年間総合優勝できるかどうかは、それほど大きな問題ではなかった。だが、このままではせっかく年間3勝を挙げ、大きなステップアップのシーズンとなった2017年を不完全燃焼で終わらせてしまいかねない。そんな不安を強く感じてしまうほど、室屋は苛立っていた。

 しかし、結果は今さら言うまでもなく、最終戦を制した室屋がチャンピオンシップポイントでもトップのソンカを逆転し、年間総合優勝を果たした。

 ラウンド・オブ・14ではソンカとの直接対決を制し、ファイナル4では2位以下に2秒以上の大差をつける驚愕の(室屋によれば、シミュレーションの計算上でもありえない)トラックレコードを叩き出しての圧勝だった。



ファイナル4で、トラックレコードを1秒以上更新する1分3秒026をマーク

 苛立ち紛れの予選から完璧なフライトを見せた本選にかけての2日間、室屋にいったい何が起きていたのだろうか。年間総合優勝の決定後、公式会見、写真撮影、テレビ取材などを次々にこなし、ようやく一息ついた室屋がゆっくりと口を開く。

「昨日(予選)だけでなく、実は一昨日(公式練習)もそう(苛立っていた)で、自分がどうやって飛んでいたのか、よくわからなくなってしまったんです。今年になってサンディエゴ(第2戦)とか、ラウジッツ(第7戦)とか、ちょっと極端に言えば、『エアレースって簡単だな』って思えるようなレースもあったんですが、今回は金曜日の公式練習からすでに自分のフライトというものが全然わからなくなってしまって……。ほんのちょっと視点がズレるだけでも集中力が欠けて、あっという間にゲートに入れなくなる。そもそもエアレースのフライトというのは、それくらい繊細なものなんですが、その感覚がちょっと狂っていたんです」

 理由はともかく、一度狂った感覚は簡単には戻ってくれなかった。

「(エンジンの不調で)機体が遅かったのもあって、操縦のテンポも崩れ出してしまって……」

 室屋曰く、「年間総合優勝がかかっているからといって、自分としては緊張している感じはなかった」。だが、やはり振り返ってみると、「タイトルがかかっていることのプレッシャーがやっぱりあったんだと思います」。

 年間総合優勝がかかった今季最終戦とあって、インディアナポリスには(千葉でのレースを除けば)いつもの何倍もの日本メディアが集まっていた。

 周囲の喧騒はできるだけ排除し、自分の気持ちをコントロールしていく。これまで室屋はそうやってレースに集中してきたのだが、これだけいつもと異なる環境に身を置かれてしまうと、「そうしたわずかなリズムの崩れが、結果としてフライトをガタガタにしてしまうんだと感じました」。

 土曜日の予選は、エンジンの不調があったにしても、2本のフライトでともにペナルティを犯す散々な出来に終わった。なるほど、これでは室屋から余裕が失われていたとしても不思議はない。確かに機体のセッティングがうまくいかなかったのも一因ではあるだろう。

 だとすると、今度はもうひとつ別の疑問、すなわち、それほどまでに落ち込んだ状態から、室屋はいかにして本選まで立ち直ったのか、にぶち当たる。

 室屋は苦しかった2日間を振り返り、こう語る。

「昨年優勝したマティアス(・ドルダラー)から当時の経験を話してもらったり、メンタルトレーナーからアドバイスをもらったりして、今までやってきたことで問題ないんだ、と。予選を終えた日の夜に、ようやく持ち直したという感じでした」

 しかし、室屋がいつもの室屋に戻れたのには、やはり「落ち着き」や「余裕」があったからだろう。目の前にちらつくタイトルを絶対に逃すわけにはいかない。そんな思いで力みかえっていたら、狂ったフライトのリズムはそう簡単に戻ることはなかったに違いない。

 再び、時計の針を巻き戻せば、インディアナポリスに入った室屋が、公式練習を前に語っていた言葉が印象深い。

「もちろん順位という結果は数字となって出ますが、それとは別に、自分の成長曲線というか、限界曲線というのは、明らかに上向きに伸びてきている。そこは今までトレーニングしてきたことの成果であり、強くなっている証拠でもあるので評価していいと思う」

 そして室屋は「言い方がすごく難しいんですけど……」と言い淀み、少し言葉を選びながら、ニッコリと笑ってこう続けた。

「優勝できるだけの努力をしてきたんだから、自分にできることは、その成果をこのレースで最後にもう一回出すだけ。それが100%できれば勝てるだろうけど、99%だといい勝負だろうし、98%だと負けるかもしれないし、っていうレベルの勝負なので。今年最後のレースもそう思って臨みます」

 室屋はあくまでも自分にできることだけにフォーカスし、自分の手ではどうすることもできないことは、逆らうことなく、ありのままを受け入れる。それができるところに、彼の強さはあるのだろう。

 肩の力を抜き、自然体で臨んでいたからこそ、室屋は世界の頂点に立てたのだと思う。