◇メジャー第3戦◇全米オープン 事前(10日)◇オークモントCC(ペンシルベニア州)◇7372yd(パー70)プロとア…

◇メジャー第3戦◇全米オープン 事前(10日)◇オークモントCC(ペンシルベニア州)◇7372yd(パー70)
プロとアマチュアの垣根なく“ゴルファー世界一”の座をかけて戦う「全米オープン」は今年で125回目を迎える。7月に第153回を控える「全英オープン」に次ぐ伝統のメジャーは、時にハードすぎると批判の的になることすらあるコースセッティングでほかの試合とは一線を画す。長い歴史において、その権威と難しさゆえに発生した“事件”もチラホラ…。記録と記憶に残る出来事を振り返る。
1895年に優勝賞金150ドルで始まった全米オープンは、3年後の98年に初めて72ホール競技として開催された。舞台となったマサチューセッツ州マイオピアハントクラブは2928ydの9ホールというレイアウト。49人が出場して1ラウンドで同じ9ホールを2回、合計8回プレーして競うフォーマットだった。
全米オープンのスタートから14年間で4度も大会が開催されたコースだったが、難しすぎるとしてローテーションから外れてしまったほど。この1898年も最初のラウンドから9人が3桁のスコアをたたく大荒れの展開となった。特にJ.D.タッカーの「157」は現在も18ホールの大会ワーストストロークとして記録に残る(恐らく今後も破られることはない…)。
全選手の合計180ラウンドのうち3桁のスコアが19ラウンドもあった。80を切ったのも2人(2回)だけ。そのうちの一人であるフレッド・ハード(スコットランド)は、平均スコア「91.3」だった第3ラウンドを「75」でプレー。84-85-75-84と並べる合計328ストロークで、初日に「78」をマークしていたアレックス・スミスに7打差をつけた。
USGA(全米ゴルフ協会)によると、大の酒好きとして有名だったハードに対し、大会側はトロフィーを授与する前に現金を預けておくことを要求。酒代のために優勝トロフィーを質入れする事態を懸念して異例の対応をとった。ちなみにハードの弟・サンディもロイヤルリバプールで開催された1902年「全英オープン」を制している。